グルメ放談

東京では多いそうですが、関西では比較的珍しいとされる威張る店。実際には殆んど行った事がなくて、辛うじて知っているのは客がヘコヘコしている店を1軒だけ(おでん屋)経験した事があります。もう30年程前ですが、懇意にしていたスナックのマスター(この人とは色々ありました)の誘いで出かけたわけです。大人気店で予約を取るのも大変てな店で、行く前に「くれぐれも失礼のないように」と念押しまでされた記憶があります。

予約システムも凄くて、たしか2時間の2回転制で、定時が来たら大人しく帰るのが店のマナーとかで、なんか慌しく食べた記憶だけが残っています。旨かったと思うのですが、なんか強面の大将に客がへつらっているような感じがして、正直なところやな感じと言うところです。2回ぐらい連れて行ってもらったと思いますが、若かった事もあり馴染めない店でした。いずれにしろ遠い記憶です。

でもって、調べてみたらまだ健在でした。歳月と言うのは怖ろしいもので、あの強面の大将もすっかり丸くなって、今はかなりアットホームな雰囲気に変わり、大将も「あの頃の事を思い出すと恥しい」と述懐されているそうです。読んで感心したのですが、急に行ってみたくなりました。今度は心から楽しめるかもしれません。ちょっと遠いので実際には・・・あそこで夜飲んだら泊りにする必要があるので現実には行けそうにありません。


個人的に「やな店」のタイプにカウンター内の雰囲気が悪い店です。味は悪くはないと思うのですが、大将が下働きと言うか、店員に当たる店です。カウンターシステムを取る店の目的は、その料理の手際も演出して見せる点だと思っています。もちろん大将を始めとする料理人との語らいもあります。ですからカウンター内は一種の舞台と思っています。

舞台も客は味わって食べているのですから、舞台での怒号や叱声は興醒めしてしまいます。もちろん不手際があっての事でしょうが、そういう事は裏に行ってやってくれです。客に見せるものではないと思っています。もっとも芸のある大将なら、叱声も演出としてしまうほどの人もいますが、下手な人は下手で、何故に大将が定員を叱責する声を聞きながら、気まずい思いをしながら下を向いて食わにゃならんのだでだす。ある名店とされる鮨屋はどうしても鼻について足がすっかり遠のきました。


それと一見を大切にしない店です。こっちだって一見ですから、常連並に扱って欲しいとまで思ってはいませんが、あんまり極端だとやになります。一見にもそれなりの気の使いようはあるだろうと言うところです。たった2組しか客がいないのですから、常連が優先されるのは仕方がないにしろ、もうちょっとやり様があるはずだです。

一見があるから次があるわけであり、その店の大将が雑に扱った一見がどれだけの客を次に連れてくるかを考えないのかと言うところです。「二度と行かない」とあれだけ憤慨させられた店も珍しい体験でした。そんな客扱いしかできないのであれば、カウンターシステムなど取るなと言いたくなりました。


後はヘンコの店。これは好き嫌いが鮮やかに分かれそうです。ある串カツ屋。大将は見るからに頑固そうな職人で、素振りも口ぶりも頑固そのものです。他の従業員はおそらく家族と思うのですが、それこそ大将の動作を息を詰めて見守るような感じです。実に愛想のない店ではありましたが、全身から旨いものを作るから食ってくれってオーラが出ていたように思います。

上に挙げた、叱声が出る店、一見を大事にしない店に近い事は近いのですが、あれだけヘンコだと叱声も巧まざる芸の領域に達している気がしました。それと愛想がないのは一見に対してもですが、常連に対しても差がなく、これは小さい様でも大きな違いです。結構通った店でしたが、この店は震災を境にして消えてしまいました。


この串カツ屋の大将は妙にお気に入りにしてしまいしたが、結局行けなかったヘンコの店もあります。南京町にあった穴子の老舗なんかそうです。母方の亡祖父が贔屓にしていました。亡父も食べる事はうるさい方で、その店の存在だけでなく味も評価していましたが、どうやら子供連れでは絶対に行けない感じを受けました。まあ、そりゃそうだろうと思います。

行かなかったのはそれだけでなく、亡祖父(これも今から思えばヘンコでしたが・・・)はヘンコの大将と馬が合ったようですが、亡父は合わなかったようで、これも行けなかった原因にも思っています。名前も場所も聞いていたので、一度は食べたかったのですが、この店もまた震災で失われています。


亡父は穴子の老舗はパスでしたが、同じ筋にあるトンカツ屋は良く連れて行ってくれました。この店も懐かしい店なんですが、とりあえずメニューがない店(一度だけ見たことがあります)です。私は子供の頃から連れて行ってもらってましたから良かったですが、それでも店の全メニューを知るには歳月を要しました。たぶんこれがすべてだと思うのですが、トンカツ定食、エビフライ定食、ハンバーグ定食です。

実はもう一つあるのを知っています。ステーキ定食です。これは実に珍しいオーダーで、私も一度しか見たことがありません。一度と言うのは亡父のオーダーで、店のほうも「時間かかりまっけど宜しいか」のやり取りがあったのをウッスラ覚えています。これが40年以上は前のお話です。いつの日か私もあの店でステーキをオーダーしようと思っていましたが、この店もまた震災で失われてしまいました。私にとって幻のステーキの一つです。

震災で失われた店は多いのですが、北野にあった天ぷら屋さんもそうです。豪勢な店で、玄関に下足番がいて上りこむスタイルで、広い座敷形式のカウンターがありました。カウンターの後ろは大きな窓で夜景を見ながら食べるという趣向でした。食後は別室でデザートでしたっけ。個室で食べるというのもありました。震災後は北野の店を畳み、一時他の場所で営業していましたが、やがてこれも無くなってしまいました。再開後の店も一度だけ行った事があるのですが、店の勢いからして閉店もやむなしと言ったところです。

この際ついでですから、フラワーロードにあった本格的な英国パブ風のお店もなくなってしまいした。ここはもう少し歳を重ねて、払いに余裕を持てるようになったら、もっと通いたかった店ですが、ここもまた覚えている人だけの店になってしまったと言うところです。神戸では震災を契機に閉店となった名店は多いのですが、寂しいものです。


えらい話が横道にそれましたが、私が「やな店」としたところも殆んどは繁盛しており、私に合わなかっただけで支持する人間は十分におられるとも言えます。だからそれはそれで良いとは思っています。店も客を選ぶかもしれませんが、それ以上に客が店を選ぶものです。自分が楽しめる店こそ最高の店であり、そうでなければ誰が評価しようが「やな店」と言う事です。それだけのお話と思っています。

思うのですが、店との相性なんて微妙なものと思っています。料理一つ取ってもそうで、最良の素材で、最良の料理法で出すのは基本でしょうが、いつもいつも同じ水準の素材がそろうとは限りません。日によって良し悪しが出てくるのは避けられません。食う方の客にしてもそうで、体調によって同じものを旨く感じる時と、そうでもない時があります。

サービス業ですから、客への接待は重要ですが、これだって日によってはうまく回らない時があるものです。私も見ようによっては接待業みたいな側面もありますが、調子が悪いと言うか、リズムに乗らない時はどうしたって出てきます。行き付けクラスになれば「そんな日もある」と思えますが、一見の時にはそこまで思いは至りませんから難しいものです。


最後にかつてよく行っていた鮨屋の大将のお話です。この大将も商売人なのですが、一見は大事だが難しいとも言っていました。鮓ネタも日によって良し悪しが出てきます。必ずしも高級とされるネタが良いとは限らないと言う事です。だから注文しても「今日はこれはやめとき」なんて返事がポンと返ったりするのですが、それが言えるのは気心の知れた常連でないと難しいところがあるとしていました。

この勧めるというのも微妙なもので、安くて旨いネタを勧めるのはまだ良いとしても、高級なネタを勧めるのもまた気を使うとしていました。仕入れには自信があってもお勘定もそれなりになるわけで、客によっては嫌な顔をされる事もあるそうです。常連相手なら選べるとしていましたが、一見はどんな反応になるのか見当が付け難いので手探りにならざるを得ないみたいなところでしょうか。

この辺は店も様々、客も様々で、とくに一見で行く時は一期一会なんだろうと思っています。