1.17 歳歳年年人不同

今日はさすがに「休載中」と寝てられない日です。何があっても何か書かないといけない日だと思っています。つう事で今日から復活します。たぶん・・・。

私事ですが娘は今年18歳になります。だからどうしたと言われそうですが、娘の歳でも既に震災後の人間です。つまりは震災は聞いた知識であり経験者でないです。もちろん娘より年下も同じです。自分の感覚ではせめて神戸の人間ならあの日の経験は共有していると思いたいのですが、そうでない人間は確実に増えています。そうなるのは当たり前とは言え、娘を見るたびに「そうなんだ!」と実感しています。

さすがにこれだけの歳月が過ぎると滅多に震災の話はしません。まあ、何度も何度も同じ話を繰り返しているので、今さら同じ話をしたところで「またか」と思われてしまうのと、話相手が震災の経験者かどうか判らなくなっているからです。あの日の経験者であればまだしも、そうでなければ「また震災の話か・・・」てな反応をされかねないからです。18年の歳月はそれほど長いように感じます。

「また震災の話か・・・」の反応をする人を非難しようとは思いません。経験者の話は余りに重いので、最後のところは実際の経験者でないと共有できないところがあります。聞く方は相槌を打つぐらいしか反応のしようがなく、また嫌と言うほど聞かされた「同じ話」ですから、立場を変えれば私だって同じような反応をしないとは到底言えないからです。


現在の神戸を訪れた人間の目に震災の傷跡を見つけるのは難しいかもしれません。人によっては目覚しい復興と称賛する人もいます。間違いではありませんが、言われると非常に複雑な気分になるのは話しておいても良いかもしれません。とりあえず経験者の目に映っているのは3つのシーンで、

  1. 震災前
  2. 震災時
  3. 復旧後
綺麗に復旧した街並み自体が震災の傷跡です。復旧したのは嬉しいですが、震災前の街並みと、被災直後の街並みが三重映しになっているです。非常に複雑な感情で、どこに惹かれるかと言えば震災前になってしまうぐらいでしょうか。


もう一つですが、今それなりに復旧を果たした人間は、その背後に震災により沈まざるを得なかった余りに多くの人がいる事を脳裡に深く刻まれています。復旧と言っても、震災前の人間の生活のすべてが復旧したわけではもちろんありません。震災の影響を乗り越えて復活できなかった余りに多くの人間が存在しています。

沈まざるを得なかったのと復活の差は紙一重です。同じ神戸市街でも震災の影響の落差は多分にあります。家ごと、店ごと、商店街ごと、地域ごと灰になった地域もあれば、修繕程度でなんとかなった地域もあり、それが斑に広がっています。復活できたものは比較的被害が少なかったところの方が言うまでもなく有利で、そういう地域に住んでいたかどうかなんて紙一重、運不運程度の差でしかないからです。

復活できた者とて容易であったわけではなく、懸命に18年間を駈けてきただけであり、苦しむ人々に手を差し伸べる事が出来たかと言えば、到底出来たと胸を張って言える人はさほど多くはないと思っています。私もまたそうです。自分が生き残るのに精一杯であったです。仕方がないと言えばそれまでなんですが、何とも言えない負い目を一生背負っていくと思っています。


震災時に20歳過ぎのもので40歳ぐらい、30歳過ぎのものでもう50歳、当時50歳過ぎのものなら70歳になります。これが後10年もすればさらに10歳スライドします。震災の記憶は歳が経つほど記録になっていくのは時の流れです。そして震災を知らない人間が神戸でさえ大半を占めて行くようになります。そしていつか語る者も少なくなっていくのは避けられません。

そして震災復旧後の神戸が、生まれながらの神戸として記憶され、新たな記憶として語られていくです。そう思うと一抹の寂しさを感じないでもありませんが、そうなっていくのを死ぬまで見続ける気がしています。劉廷芝の代悲白頭翁が身にしみています。

洛陽城東桃李花
飛来飛去落誰家
洛陽女児惜顔色
行逢落花長嘆息

今年花落顔色改
明年花開復誰在
巳見松柏摧為薪
更聞桑田変成海

古人無復洛城東
今人還対落花風
年年歳歳花相似
歳歳年年人不同

公子王孫芳樹下
清歌妙舞落花前
光禄池台開錦繍
将軍楼閣画神仙

一朝臥病無相識
三春行楽在誰辺
宛転蛾眉能幾時
須臾鶴髪乱如糸

但看古来歌舞地
惟有黄昏鳥雀悲
年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」は非常に有名なフレーズですが、個人的に最後のフレーズが響いています。読み下しは、
    ただ看る古来歌舞の地 ただ有り黄昏鳥雀の悲み
震災経験者が歳月の流れで消え去った時に、震災は本当に終るのかもしれません。