史観雑談

史観とは歴史の見方としても良いのですが、今日はやや広義に扱います。見方とすると高尚な感じがしますが、個人的には解説でも良いと思っています。歴史は過去の事実ではあるのですが、事実に何故に解説がいるかと言えば、事実はわかっても歳月が過ぎると何の事やらわからなくなってしまうのが歴史だからです。

孔子が記した歴史書に春秋がありますが、あくまでも「たぶん」ですが孔子が書き上げた時に同時代人なら「読めばわかる」であったと考えています。ところが歳月が過ぎると、はっきり言って意味が取れなくなってきます。そこで解説書が編纂されます。有名なのは春秋左氏伝、春秋公羊伝、春秋穀梁伝です。これらの解説書も成立時には同時代人なら「読めばわかる」だったと思いますが、また歳月が下ると注釈書の意味も判らなくなり、さらなる注釈書が生れるみたいな感じです。

孔子の時代は古すぎるからそう言う事があっても仕方がないと言われそうですが、もっと近い時代でも事実だけでは意味不明になってしまう事さえあるのが歴史です。うちのスタッフは若くて30代の後半ですが、それでもバイオリズムになるともう知りません。知らない人間が書籍でバイオリズムが出てきても既に理解できなくなります。理解できないとなれば解説が必要になってくると言うところです。

また言葉の意味だけではなく、その言葉が歴史に及ぼした影響も後世になると意味不明に成ります。これもそんなに遠くない時代の例を挙げておくと、天中殺があります。天中殺はまだ覚えている方もおられると思いますが、1970年代の中盤ぐらいに一世を風靡した占いです。猫も杓子も天中殺の時代があり、単なる占いと言うより社会現象みたいな様相があり、小説だけでなくギャグにもふんだんに取り込まれています。

バイオリズムも似たところがありますが、単なる吉凶だけではなく言葉自体が当時の常識語であり、当時の人間は天中殺と占いがあるのと同時に、そういう広い意味の使われ方をしているのを知っていたわけです。そういう周辺・背景知識を知らないと、長嶋監督(第1期時代)と和泉宗章氏の話も理解できないとすれば良いでしょうか。


私が挙げた例も、もうわからなくなっている人は結構おられると思います。歴史は記録され、記録されたものが後世に伝わるのですが、記録するのは記録した時代の人間になります。この記録する時が一つの問題で、当時の常識には多くの場合、そのまま解説無しに使われる事が多々あります。そうですねぇ、現在ならAKBの事やその影響を記録するのに、わざわざAKBとは何ぞやから記録しないようなものです。

まだ文字として記録されるものはマシですが、当時的には余りに常識で記録さえされないものも多々あります。記録するほうにすれば、常識を縷々と書く気も起こりませんし、記録をその時の同時代人が読めば「そんなものは不用」として、書いただけで批判されたりしかねないからです。「くどすぎる」と言ったところでしょうか。

ところが一世を風靡しているAKBだって、ものの10年もすれば「懐かしの・・・」になり、50年もすれば知らない人が多数になり、歴史としての記録として読めば「AKBってなんじゃらほい」になり、平成の風俗の解説が不可欠になっていくと言った所です。


歴史の記録も古くなるほど断片的になります。昨年末から何回かムックをやりましたが、源平合戦の一大イベントである一の谷の合戦だって、神戸でそれがあったのは間違い無くとも、どこに一の谷があったのか、義経がどこを通ったのかは判らなくなっています。残されているのは断片的な記録のみです。そこで後世の人間は断片的な記録をつなぎ合わせて当時の実像を再現しようと試みます。

しかし記録が断片的であるが故に、点としての記録と記録の間を推測で埋めざるを得なくなります。この推測は考え様によって様々な方向に話として向かっていきます。わかりやすい例なら邪馬台国論争。元ソースは魏志倭人伝ですが、ここからの推測による比定地はそれこそ全国に点在します。これが歴史の解説であり、史観じゃないかと思っています。


さらに史観はしばしばイデオロギーと密接な関係を持ちます。歴史は教育との関連性が高く、教育には政治が絡みやすく、政治にはイデオロギーが濃厚に存在する関係です。点と点の記録の説明や解釈に特定のイデオロギーの角度を当てて史観としてしまうです。誤解はして欲しくないのですが、史観はどう持とうと基本的に自由であり、歴史マニアならみんな自分の史観を持っています。私の信長、私の新撰組、私の坂本龍馬みたいな感じです。もちろん私もそうです。

個人が持つ史観は自由なんですが、ここに政治が入り込むと話が厄介となります。もともと絶対に正しい史観なんてものはないのに、「この史観以外は許さない」なんて世界が展開するのは個人的にウンザリです。誰が言ったか忘れましたが、

    歴史は100年が過ぎてから語る方が良い
こういう考え方には私は賛同します。100年とは同時代の関係者が死に絶えた後ぐらいの意味合いです。同時代人は実際に目で見、音で聞き、しており記録としての重要性は高いのですが、一方で個人の経験の比重が高すぎて歴史の大きな流れを見失いやすくなるところがあります。そういう人物から記録を集めるのは重要ですが、そこから語ってしまうとしばしば批判や論争を呼んで収拾が付かなくなってしまうとでもすれば良いでしょうか。

それと歴史を語るべきでないのは、あくまでも政治の道具としてであって、そうでない人物は関係ありません。何を書きたいのか自分でもコンガラがってきてますが、歴史を思想として用い、これを政争の材料にしてしまうのはあんまり宜しくないんじゃなかろうかです。とくに近代史以降はそうと思っています。あれは触るとややこしいです。

とは言うものの、歴史は教養の装飾として常用されているもので、私も他人の事を言えたものではありません。たぶん、これからも「これこそ正しい近代史観である」と頑張る政治家は後を絶たないとは思っています。教養の装飾として用いるうちはまだ良いのですが、政争の道具にするのは政治家が思っているより遥かに扱い難い代物と思っています。でも手を出すんだろうなぁ?