ラーメン食べたい

 個人的な偏見もありますが、のぢぎく県はラーメンについては盛んとは言えない気がしています。これじゃ、誤解を招きそうなので、うちの近所にもラーメン屋はたくさんありますし、美味しいと評判の店もありまあります。ありますが、基本的に他所のラーメンの二番煎じみたいなところがあります。

 神戸ラーメンと名乗るラーメンチェーンもありますが、あそこは第一旭、そう京都が発祥のラーメン屋です。まあ、もっこすとか2国ラーメンもありますが、あれをいわゆるご当地ラーメンとするのはどうかと思っています。

 要するにのぢぎく県発祥の御当地ラーメンが盛んでないぐらいのお話です。もっともそれを言えばのぢぎく県の御当地グルメも県民であっても思い浮かばないぐらいですから・・・玉子焼(明石焼)とか、いかなごのくぎ煮とかあるか。。。

 それでものぢぎく県にも御当地ラーメンはあります。全国的な知名度はお世辞にも高いとは言えませんが、ちゃんと存在しているを知っています。播州ラーメンと言うのですが、播州でも北播地域の御当地グルメです。

 始まりは播州ラーメンの特徴にも連動するのですが、北播地域は播州織が地場産業です。これも機械化が進んでしまっていますが、かつては女工さんたちがたくさん勤めていました。通説ではこの女工さん相手のラーメンが播州ラーメンの始まりとされています。

 女工さん相手だったためか、スープがとにかく甘口なのが最大の特徴で、甘すぎるので好みが分かれるところはあるそうです。醤油ラーメンなのですが、スープを啜ると「甘い」の感想がまず出るぐらいのラーメンです。

 播州ラーメンを初めて食べたのはたぶん小学生の時のはずです。亡父がプロパー(今のMR)から美味しいラーメン屋があると聞いて連れて行ってもらったぐらいです。ちなみに亡父はあまり気に入らなかったと言うか、ラーメンはそれほど好きでなかったのか一緒に行ったのはそれっきりのはずです。

 それから次に行ったのは二十歳も越えて学生になってからです。店を探すのもネット前の時代ですから一苦労と言うか、当時の情報雑誌で見つけて訪れたはずです。あの頃はそういう時代です。でもって改めて食べた感想は美味しかったです。

 この頃の知識的には播州ラーメンと言えば大橋ラーメンで、大橋ラーメンと言えば西脇大橋の近くにある西脇大橋ラーメンだと思い込んでいました。ところがなんですが、亡父と行った店と違うのです。亡父と行ったのも大橋ラーメンのはずですが、どうにも店が違います。

 こんなもの今ならググればすぐ見つかるものですが、あれこれ調べた末に大橋ラーメンが滝野にもある情報をやっとつかんだぐらいです。こちらは西脇大橋ラーメンに対して滝野大橋ラーメンと呼ばれています。やっと小学生の時のラーメンを食べる事が出来たぐらいです。

 そこから滝野大橋を贔屓にしていたのですが、光明寺にハイキングに出かけた時に気になるラーメン屋が目に付きました。かなり繁盛しているラーメン屋で、調べてみると紫川ラーメンとなっていますが、滝野大橋ラーメンを作り上げた人が開いた店となっています。

 情報化時代になっていて手軽に情報が手に入るのが嬉しいのですが、播州ラーメンの店もかなりあるようで、その中で御三家と評価もされているのが、西脇の内橋、滝野大橋、それに紫川とされているようです。西脇の内橋は少し遠くなるのと、ちょっと入り込んだところみたいなので、まずは紫川ラーメンを制覇したいじゃありませんか。

 紫川と滝野大橋はご近所さんと言えるぐらい近いですし、店の場所も知っています。さっそくと言いたいところですが、嗚呼バイクが待てど暮らせど手に入らない事です、電車でも行けますが加古川線鉛線でかなり時間もかかりますし、本数も少なく電車賃もバカになりません。

 スクーターでも行けますが、せっかくですから新車の慣らし運転にしたいじゃないですか。いつになったら行けるのか、本当に困ったものです。