ネタガレのため埋め草的戯文

これって単なるブログ名です。考え様によっては傍迷惑なブログ名で、勝手に質問されて回答を強要されるような気がして、個人的にはあんまり良い気がしないものです。ブログで意見発表するのは自由ですし、内容が誰かに回答を求めるスタイル自体はアリとは思いますが、それをブログ名に掲げるセンスは好みでないといったところでしょうか。ま、一皮剥かなくても単なるブログですから「公開質問」されても回答しなくても良いわけですし、そもそも読む義務もないのは確認しておいても良いかと思っています。

でもって書いておられるのは、

竹野内真理

私は「全く」存じ上げない方です。これじゃ愛想がないのでほんの少しだけ調べてみると、一部からデマリンなるニックネームを奉られているようです。そいでもって今日の埋め草に取り上げるのは、

これだけで読みたくない人も出てくるような気が「なぜか」しますが、なんとか少しでも面白味が出るように努めさせて頂きます。この公開質問ですがリンク先をお読みになられれば判ると存じますが、強調のためか赤字が乱舞して目がチカチカする体裁になっています。そうそう竹野内氏は「翻訳家、ジャーナリスト」の肩書きがあるようですが、なかなかの表現力と妙に感心しました。

「公開質問」とあるので何か「質問」しているのですが、何を質問されているのか把握するのにとりあえず難儀しました。冒頭に「大前提の質問」と掲げてあるのは、

→「汚染地帯に子供や妊婦までを含めた住民をとどめ置き、ホールボディーカウンターによる計測を続けることは、人道に反する医療検査行為とは思いませんか?」

これだけでは何を質問したいのかピンと来ないのですが、これを理解するには竹野内氏のこの「大前提の質問」に対する答えを探す必要があります。私が見るところでは12 Questions to NHK への12の質問 にあるものが「それらしい」気がまずします。

食べて応援やがれき拡散、福島帰還奨励によって被曝を推進し、脱原発も緊急にやってくれないNHKに、日本の子供たちが殺されます!!!

これって4/26の記事なんですが、今現在でも竹野内氏は、

  1. 福島県産食品を食べるな
  2. がれきの広域処理は絶対反対
  3. 脱原発(当ブログ的にはコアな反原発主義者)
これで誤解はないかと存じます。これで竹野内氏の答えがわかって頂けたでしょうか。そんなに捻らずとも
    福島県から即時避難、とくに妊婦や子供は即刻に
こう受け取らせて頂いて宜しいかと存じます。これが竹野内氏の答えですから「福島帰還奨励」なんて「もってのほか」ぐらいになるとするのが自然です。竹野内氏の答えはわかりましたが、なぜに上氏や坪倉氏のホールボディーカウンター(WBC)計測に関連してくるかです。ここの点が非常に煩雑なところでして、単純にWBC検査で被曝の安全確認そのものに反対しているだけではないようだからです。

そうであれば理解は単純なのですが、これに捻りがさらに入っています。竹野内氏にとってはWBC検査による安全保証自体が欺瞞の立ち位置と理解して宜しいようです。欺瞞は言いすぎで、それだけではとても被曝への安全性を担保出来ないぐらいの理解で宜しいかと思われます。その点についてバンダジェフスキー論文を絶対の根拠として力説されています。ここは竹野内氏がそう考えておられるで軽く流しておきます。

竹野内氏が「公開質問」として重点を置いているのは、とくに上氏が福島での被曝の実態を知っているにも関らず、あえてWBC計測に協力し、被曝被害に目を瞑ってのデータ取り、すなわち人体実験を行っているぐらいです。ここの捻りの部分を理解するのが少々骨が折れました。


あえての余計な解説

面白さが判って頂けたでしょうか。竹野内氏にとっては「福島は放射性物質による被曝の危険があるんじゃないか?」ではなく、

    福島は問答無用の汚染地域である
こうなっており、それは疑う事のない真実と言うわけです。この立ち位置を理解するのに少々手間取ったと言うところです。この立ち位置からすると、伝聞調の上氏発言の引用部分である、

  1. 10年以内に何らかの影響が子供達に出てもおかしくない
  2. 早急な結論はでないだろうが、因果関係は否定できないだろう
  3. 福島県外の講演会で)「十年以内に子供たちの健康に異変があってもおかしくない」

これは竹野内氏にとって自分の主張を裏付ける「権威」の発言であったぐらいに理解します。ところが上氏は福島からの避難を推進するわけでなく、WBC検査の推進を行うのみになっています。おそらく竹野内氏の反感を決定付けたのは上氏の、

  1. 福島市郡山市も、とてもじゃないが避難させられない。将来奴らは、集団訴訟とかするんだろうなあ」
  2. 南相馬はあぶないよ。」

このあたりの様にも感じられます。思想信条の自由がありますから、竹野内氏がそう思われるのは構いませんが、決定的な証拠として引用したもののうち2.以外はすべて「伝聞」です。伝聞を引用したらいけないとは言いませんが、上氏を

これはまさに時間軸の延びた731部隊の人体実験に他ならないと私は思います。

ここまで評するのなら、もう少し確実なソースを引用すべきかと存じます。なんと言っても竹野内氏は「自称」かもしれませんが、

    ジャーナリスト
これを名乗られているからです。私に言わせれば雑な調査です。伝聞でよいのなら「そうでないと言った」を上氏が100ほども自分の記憶から反論されれば粉砕されます。ロジック的にも面白いところがあって、竹野内氏の主張は上氏が今でも福島は危険であると考えていないと成立しないところがあります。原発事故以来、被曝に関する情報はそれこそ乱舞しております。

ある時点で上氏が被曝は深刻なものであるとの情報に考えが偏った時期があっても不思議ありません。原発事故直後から半年ぐらいは、そうデータを受け取っていた人間は決して少なくありません。ですがそういう人々が現在まで一貫して考えが変わっていないかと言うと大いに疑問です。放射能被曝に対する知識の蓄積、地道な検査による被曝データの積み重ねにより考え方、見方が変わった人間はゴッソリおられます。

上氏だって変わってもおかしくない訳です。公開質問に対し、

    そう考えている時期もあったが、今は必ずしもそうではない
この回答でチョンです。竹野内氏とっては許し難い変節になるかもしれませんが、放射能被曝問題については、問題の性質から姿勢転換がそれほど大きな問題にならないのは、日本中の知るところだからです。ただし、これも程度の問題で、被曝の恐怖をトコトン煽りまくった人間が今になってコロンと転じればさすがに非難は起こります。それは竹野内氏の様な立ち位置の人だけでなく、そうでない人からも「今をなにさら」程度の嘲笑は受けるというところです。そうなると話の焦点は、
  1. 上氏は現在でも福島の放射能汚染は深刻で、人の住む様なところと思っていない
  2. 福島の放射能汚染は深刻と考えていたが、今は必ずしもそうとは思っていない
このどちらであるかが問題で、1.なら竹野内氏と仲良く遊んでいらっしゃれば宜しいと考えます。問題は2.の時で、
  1. 放射能汚染が深刻と考えていた時期にどれだけ煽ったか
  2. いつの時点で考えが変わり、どう意思表示を行なったか
これによって竹野内氏及びそのグループ以外の人々の評価は変わります。私は大げさに「公開質問」なんてする気はありませんが「気になる」ぐらいは表明しておきます。どうせ無難な釈明として「真意を誤解している」がありますから、私は回答が欲しいと思いません。


上氏の欠点かな?

前にも論評した事がありますが、上氏は非常に頭の回転の早い人物だそうです。それでもって即断力が優れていらっしゃるです。ここで言う即断力とは、十分でない材料から全体像を推測し、物事の進む方向を即座に決めてしまう能力ぐらいの意味合いです。優れていない即断力は単なる「早トチリ」ですが、そういう粗忽なものではなく、その時点で集まった材料で判断するだけなら妥当性の高い即断が御出来になられると見ています。

即断力は医師には必要な能力で、医療には待った無しの判断が迫られる事は多々あり、とりあえずでも何でも前に進む事が求められる事があります。そこで逡巡していては下手すると患者の生死に関ります。即断である程度前に進んだ時点で、新たな情報が入り、最初の判断と違うようなら直ちに新たな即断(修正)を行ないます。医師ならそういう経緯が日常的にあるのは良く御存知かと思います。

上述した医療での即断でも、判断材料が不十分のうちの即断は「やむなく」のものであり、その判断が違っていてもリカバリーできるような対策を巡らしておきます。材料が不十分なので間違いがあることも計算のうちで、新たな状況の変化に対応できるように常に手を打っておくです。決め打ちで大ハズレなんて失態を犯さないようにするためです。


上氏の問題は即断力を情報発信にも用いられている事です。情報発信と医療は違います。医療の即断と修正はせいぜい医療従事者間の話で、下手すりゃ医師の頭の中のお話です。ところが情報発信でやれば、これは「その時にこう言った」で記録されます。それも全体の文意で推し量ってくれると言うより、ほんの断片を切り取られてピックアップされ上氏の意見であるとされてしまうと言う事です。そこに常に注意を払わなければならないのが情報発信者と思っています。

臨機応変に即断と修正を繰り返す人間は「コロコロ意見が変わる人」としてレッテルを貼られます。このレッテルは情報発信者としてマイナス材料その物であり、そのため意見を修正する時には即断力ならぬ大きな決断力で行われます。意見を変えると言うのはそれぐらい大きなものであると思っています。だからこそ最初の立ち位置を決めるときには熟慮と決断力が求められると言うところです。


情報発信者で即断を求められるのはテレビなどのコメンテーターでしょう。下手すりゃ、その日に起こった事の感想や見解を商売として求められます。ま、あれは商売ですから致し方ないぐらいにとりあえずしておきます。ほいじゃ上氏はどうでしょう。熱心にツイッターを始めとして情報発信を行なわれているようですが、私の知る限り商売としての即断を求められているわけではないと見ています。

ツイッターにしろ、他のものにしろ、確かに話題の旬というモノがあり、ある程度は即応性も求められますが、必ずしも即断で即答する必要はありません。まだ判断材料が不十分と思えば保留で先送りしたって誰も文句は言いやしません。結局のところある問題に対して何の反応も起さなかったとしても、それで評価が下がるものとも私には思えません。

でも我慢できないんでしょうねぇ。これは人間性の問題ですから、今さらどうしようもないかもしれません。そういう欠点を穿った人間がいたと言うところかもしれません。


チトあきた

今日は埋め草のために引っ張り出しましたが、私の感想として終わった人です。福島大野での活躍の評価は変わりませんが、あの活躍は欠点が出ないシチュエーションに恵まれただけであったの評価にせざるを得ないと言うところです。あれで引っ込んでいたらヒーローの1人であったかもしれませんが、福島大野を踏み台にして活躍し始めてから、福島大野の遺産を食い潰してしまったと言うところです。

これは蛇足ですが原発を今すぐ廃止せよてなブログがあります。そこには、

 また、昨年4月ころ、医療ジャーナリストの伊藤隼也氏から直接聞いた話だが、上教授は伊藤氏に「南相馬はアブナイですよ」とハッキリ仰っている。

 つまり上教授は、そもそも浜通りの住民の健康被害が発生することを予測しながら、住民避難を訴えずに活動している、ということである。

 伊藤氏は「彼は確信犯だよ」とも言っていたが、私自身のなかで東大の「活動」に対する疑念が「確信」に変わった瞬間であったと同時に、かつてはむしろ懇意にしていた人物がこのような言動を、住民の知らないところで平然と言い放っているという事実に接して、さすがの私も愕然とした。

放射能被害云々については興味は無く、興味があるのは交友関係に「伊藤氏」が登場しているところです。人物の評価にはしばしばその交友関係・人脈は着目されます。それだけの事です。この交流についても以前から耳にしていましたが、タマタマ文字にしたものがあったのでお出しさせて頂いただけです。もうエエかなってところです。