高校の文化祭

厳密には中高一貫校の文化祭ですが、主役は高校生でしょうからタイトルはそうさせて頂きます。高校の文化祭なんて、自分が高校生だった時以来のもので、なおかつ女子校に足を踏み入れるなんて初体験(だから「どうこう」てな事はないのは聞いているにしろ)ですからワクワクしながら見に行かせて頂きました。

文化祭は文化会系の祭典ですが、おおよそ2つのスタイルがあると思っています。クラス展示の有無です。自分の怪しい記憶では中学はクラス展示があり、高校は無かったと記憶しています。これも学校によって差はあるようで、高校でもクラス展示はマチマチのようです。そう言えば、学園物ドラマではクラス展示でエピソードが盛り上がるのが定番ですから、ある方が多いのかもしれません。ちなみに娘の学校はない方でした。

まず第一印象は立派な学校でした。まあ比較しているのが自分が通った公立校であり、なおかつ在学中に取り壊された老朽校舎(生徒はプレハブ校舎だった・・・)ですから較べるにも差がありすぎると言うところでしょうか。これも奥様に言わせれば「ちゃんと学費は取られている」ですから、ごもっともです。それと会場全体もまるでテレビドラマの様に華やかに盛り上がっていたのですが、これも理由はあると思った方が良い気がしています。

文化祭には2つの側面があると思っています。校内関係者向きの部分と、校外関係者向きの分です。公立高校では主体は校内関係者の比重が重くなります。ここもわかりにくいかもしれませんが、校外関係者にことさらアピールする必要性が乏しいと言えばわかってもらえるでしょうか。もちろん公立であっても校外関係者をゲストとして呼ぶ部分がありますが、校外関係者の評価はさほど重くはないと言ったところです。せいぜい低いより高い方が良いぐらいでしょうか。

私学ではチト趣きが違い、受験予定者がかなり訪れます。娘の学校のレベルも激戦区で、似たようなレベルの私学がズラリとあります。どこを選ぶかの材料の一つと言うか、選んでもらうアピールとして文化祭は位置付けられている側面は濃厚にある気がします。この辺は男子校よりかなり女子校の方が流されやすいところは娘を見ていても実感しています。だから学校としても一大イベントとして、大いに力が入っているぐらいの感じです。閑散とした寂しい文化祭では、「あそこはやめておこう」になりかねないぐらいの配慮です。



目的として見に行ったのは娘の劇です。これも演劇部じゃなくてESS。なおかつ未だ中学生ですから裏方で、まったく舞台に登場していないと言うのは御愛嬌です。舞台に出るのは高校3年生がやはり主体です。ESSですから英語劇で、なんとミュージカルでした。英語劇であるのは知っていたのですが、本当に踊るとはちょっと驚かされました。

言ったら悪いですが、今でもやってるのかなぁ? 正月の芸能人のかくし芸大会の英語劇ぐらいを想像していたのですが、期待を良い意味で裏切って、褒めれば宝塚もビックリ風です。まあ男子はいませんから、それぐらいは褒めておいてもエエ事にします。でもって結構、歌も踊りも上手いのです。あれだけ踊れるのは私の頃ならそれこそダンス部(・・・てなものがあったかな?)ぐらいのものです。

それよりなにより「今どき」なんて言うとオッサン丸出しなんですが、スタイルが誰も非常に良いのも改めて驚かされました。あんだけのスタイルは、それこそ私の頃は「モデルさんみたい♪」みたいな表現(これも死語だろうな・・・)で、校内でも指折りクラスでしたが、今や軒並み普通ってところでしょうか。そういう出演者が実に格好よく歌って踊るわけです。

それとしょうもないところに感心していたのですが、舞台が実に立派です。音響も照明も完備で、なおかつ椅子も備え付けです。う〜ん、神戸市の医師会館よりも立派かもしれません。私の頃を引き合いに出すのは無念ですが、高校には当然の事として体育館しかなく、ブルーシートを敷いてパイプ椅子を並べていたのとはエライ違いでした。その分の学費を払っていると言えばそれまでですが、はっきり言ってうらやましかったです。


娘に聞くとESS最大の出し物らしく、極論すればこの劇を演じるために1年間活動しているとの事でした。そう言えば、ここ3ヶ月ぐらい、練習、練習で休日も朝から出かけていました。娘の出演部分は大道具、小道具でしたから、「どうだった」の感想をしつこく聞かれて、ちょっと困ったぐらいです。だいぶ制服を汚してくれたので、奥様はその点はむくれていましたっけ。

演題にミュージカルを選ぶのも伝統らしく、ダンスを褒めたら、あれも最初に練習していたのは、怖い怖いOGから「ダサイ」と烙印を押されて、また練り直して本番に仕上げなおしたそうです。ダンスを練り直した関係で大道具、小道具も変更・作り直しがあったそうで、「いかにたいへんだっか」を滔々と拝聴させて頂いた次第です。高3にとってはこの劇で引退ですから、最後の最後、舞台挨拶も終わり、幕が閉じられる瞬間に出演者全員から、

    「部長、ありがとう」
これが一斉に起こり、部長が涙ぐんでいるのが印象的でした。1年間、部員たちを引っ張り、なんとか舞台を無事終了させた万感の思いが胸にこみ上げたのだろうと思っています。無事伝統を引き継げたことと、その伝統を後輩にしっかり受け渡したと言うところかもしれません。いや、エエなぁってところです。


えらく俗っぽいですが、こういう事に熱中できるのが高校生の特権かもしれません。ドライに言えば、学生の本分は勉強ですから、見様・考え様によっては余計な事になります。それだけの時間があれば進学のために勉強した方がお得と言う事も可能です。これは某知人のお話ですが、某知人もコチコチの進学校の特進だったそうで、そういう催し事は「余計なもの」と醒めている風の感じがあったそうです。

某知人の学校にはクラス展示があり、最初は「面倒」てな感じで準備が始まったそうですが、途中から妙な熱気が湧いてきて、異常に凝りまくった展示になったと笑ってました。それで良いのだと思っています。勉強が大事なのは言うまでもないことですが、勉強以外に興味を示さない、ないしは能力を発揮しない人間はあんまりプライベートではお付き合いしたくないところです。

社会人としてのスタートのために学歴や資格はあった方が有利なのは、誰がなんと言おうと確実にあります。あるからこそ必死になって勉強する、ないしは親としてさせているわけです。しかし学歴や資格はスタートとして有利ですが、それだけでは社会を押し渡っていけないところは多々あります。ESSが行ったミュージカルも見様によっては一種のプロジェクトです。

色んな制約がある中で、一つの成果として残せる共同作業の経験は大きな財産と思っています。つか、そういう能力の評価は社会人になると大きい気がします。社会人の仕事とは、そういう面が多々あるからです。そこまで堅苦しい事を言わなくとも、そういうプロジェクトに参加した思い出自体が人生の財産のような気がしています。

歳を取っても新たな思い出を作るのは理屈の上では可能ですが、若い時の思い出は若い時にしか作れません。それこそセピア色になっても永久に黄金色に包まれる財産です。そういう財産は一つでも多く持っている方が、残りの人生が少しでも豊かにに出来るんじゃないかと思っています。


言い古された言葉で「よく学び、よく遊べ」とされますが、人生の膨らみは「よく遊べ」にあるとこの歳になって噛みしめています。「よく遊べ」もまた学びの一つであろうです。そうは言っても、クソ面白くもない普段の勉強をサボってもらっても親として困ります。仕方がないので私も親から言われた同じセリフを娘に言います。

    「さあ、切り替えて勉強してくれ」
言いながらこれも気付かされるのですが、きっと私の親も同じ事を考えていたんじゃないだろうかって。放っておいても、「よく遊べ」は勝手にやる人間の方が多いと思っています。私もまたそうでした。ところが「よく学び」は若い頃ほど後回しにしたくなります。親が叱咤するぐらいでようやく「よく学べ」の方にバランスが取れるのかもしれません。

ほんの少しだけですが、若い時の気分が戻った気がしています。ああいうウキウキした場は、行くことが少なくなっていますから、たまには良いものです。来年も見に行こうかな?