マニュアルについての雑感

少し前に院内業務用にある種のチェックリストを作成しました。問題になったのはチェック項目の設定です。多く作るか、少なく設定するかです。少しばかり範囲の広い用途に使うので、私としては最低限の共通項目だけにし、後はその他欄と言うか自由欄的なところで処理する発想でまず原案を作りました。あれこれ盛り込んでも、日常的に使う項目は多くなく、後は臨機応変で対応みたいな感じです。ところがこれがイマイチ不評。要は少なすぎるからもっと項目を増やして欲しいです。スタッフの言い分は、

    チェック項目欄が多い方が見落としが少なくなる
言われて見て発想の根本がチョット違う事に気が付きました。私はチェック項目にするような事はそもそも見落としなんて事が起こると思っておらず、どちらかと言うと備忘項目ぐらいの視点でいました。むしろ項目を多く設定する事により、項目だけをチェックすれば後は「見ない」になる方を懸念していた感じです。医療に限らず世の中の事は想定外の事がしばしば起こるわけで、そちらをチェックし記録しておく方が重要ぐらいの考え方です。なんちゅうか、今まで無かった訳ですからチェックリストに頼ると言う発想がなかったぐらいです。

ところがどうもいざ作るとなると、チェックリストに頼ろうという発想がかなり強そうだの感触を得たというところです。スタッフの弁護のために書いておくと、スタッフにも資格と経験による能力差があり、スタッフ側の発想として低いところに合わせたいの考えがあった事は留意しておいて欲しいところです。低いところに合わせて作るなら可能な限りチェック項目は増やしておきたいぐらいです。その方がチェック漏れが減るです。何度か原案を練り直してとりあえず完成したのですが、とりあえず試用してみようぐらいのところに至っています。


どうと言う事のないお話ですが、このエピソードからの連想です。今は電子カルテが普及していますが、かつてはすべて紙でした。様々な様式の書類が医療機関にも存在しました。その様式ですが、おそらく原初は白紙ないし罫線のみであった気がしています。イチから書式を考えて書類を作成していたのだろうです。ただイチから書いていたのでは手間とヒマがかかり過ぎるので、必ず記載する項目は予め書式として印刷するようになったと思っています。

ただなんですが、そうやって利便性・効率性を目指して作ったはずの書式が必ずしも便利であった記憶があんまりありません。最悪のものになると、印刷された書式分は殆んど役に立たず、わずかな欄外ばかりが活用されるみたいな感じです。これは書式が作成された時には良かったものが、時代の変化と共に不要となり、さらに後から出てきた必要項目に対応で来ていないためと考えています。

それなら書式を変えれば良さそうなものですが、事務屋の壁が立ち塞がります。印刷物は大量発注の方が割安になるので、途轍もない枚数の在庫が鎮座しているなんて話は良くある事です。書式を変更して新たな書類を作ったりすれば、膨大な在庫が無駄になってしまうです。つまりは既定の書式を使い切らないと書式変更がなかなか出来ないです。

ほいじゃ、在庫が切れる頃に書式変更が出来るかと言えば、これまたそうは簡単に行きません。とくに公立病院なら分かりやすいのですが、勤務医だけでなく事務も異動が何年おきかであります。書式変更を企画しても、膨大な在庫を消費するうちに異動でいなくなるなんて事がしばしば起こります。在庫が切れる頃に新任の事務屋が既設の書類を大量発注して変更がさらに先延ばしになるなんて笑えない話がしばしば起こります。


話が前後しますが、チェック項目の考え方も温度差はかなりあるように思っています。医療職で言えば経験を重ねた人間ほど自由欄形式を好む傾向があるように思っています。うちの診療所は今でも紙ですが、カルテの2号用紙は罫線だけあるノート形式に過ぎません。そこに診察するたびに一定の書式で記載を行うわけです。「一定」とはしましたが、小児科の町医者でも患者のバラエティ度はそれなりにあり、医師の頭の中に漠然とした書式を適当にモデファイしながら書いている感じです。

これも診療科によって温度差はあるようで、とくに入院カルテであれば○○科専用の書式は何度か見たことがあります。小児科だって病院によってはあるのかもしれませんが、個人的には知らない程度です。あの自由欄形式と言うのは経験の浅いものにとっては結構大変なもので、私の頃は「カルテの書き方」なんて系統だって殆んど学ばず、指導医のエライ簡略すぎる記載から学んだものです。

たまたま医師になって最初の指導医が非常に大らかな人物であったのですが、次の指導医がカルテ記載の指導に非常に熱心な先生だったもので大変でした。必死になって記載しても赤ペン先生宜しく細かいチェックが入るという次第です。指導する方も今から思えば大変だったと思いますが、指導される方も要点を把握するまで大変だったと言うところです。

カルテ記載でどの点が必要で、どの点が必ずしも必要とされないのポイントは一言では到底表せるものではなく、ある症例では必須でも、他の症例ではポイントが変わるです。また同じ症例でも病態によってポイントが変わってきます。それでも患者というか病気がわかれば、自ずとそれが見えてくるてな感じでしょうか。いやぁ、古いですが体で覚えさせられた感じです。


そんな昔々のエピソードを思い出していたのですが、各疾患、各病態に合わせたチェックリスト的なカルテ様式があれば、体で覚えなくとも初心者でもかなり漏れなく患者の容態の記載は可能のように思います。そんなものがあればかなりラクだったと思います。でもって、その詳細なチェックリストからカルテ記載の要点のキモを覚えていくのは手法としてありじゃなかろうかです。

実は似たような事を研修医時代にやってまして、指導医のカルテ記載を分析して、なるべく似せるなんて事をやってましたから、その完成マニュアル版みたいなものです。今は存じませんが、かつてそういう手法を取らなかったのは、それをやるとマニュアルしかやらない医師になってしまう事を懸念したんじゃないかと思っています。覚えるのは形式ではなく、病気の本態に必要なポイントを見る事ぐらいの考え方です。マニュアル式からでも到達できる者も多くいる一方で、マニュアル主義に陥ってしまう者もまた少なくない考え方でしょうか。

診療に必要なキモは一つであって一つでないみたいなものです。まるで禅問答ですが、病気の本態さえ見えるようになれば、自ずと記載必要事項がわかるはずで、身につけないといけないのは記載必要事項でなく、本態の見抜き方ぐらいとすれば宜しいでしょうか。

ある時期になってその事がおぼろげながらわかる気がしました。勤務医なら誰でも経験のある入院抄録。あれは限られたスペースに簡潔に入院の様子を記すものです。「簡潔」と言うのがポイントで、入院記録をすべて書き写すものではありません。とある研修医は膨大な量の入院抄録を書いていました。膨大であるが故に、罫線をさらに2つに割りビッシリと書き込んでいる感じです。

詳しいのですが、そこまで書き込んでも欲しい情報がポロポロ抜けているのです。「つい」指摘すると泣きそうな顔で「スペースが足りません」と言われたのを思い出します。結局のところ何が必要で、何が必要でないかまだ見えていなかったと言うところでしょうか。一応「これが足りない」「これは不要」と教えましたが、かなり混乱されていました。それでも、あの研修医氏も今ごろは立派になってるんでしょうねぇ。


いずれにしても人を教えると言うのは大変だと思っています。幸か不幸か責任を持って研修医の指導にあたる立場になった事は数少なく、これからも無いとは思いますが、私には向かないなぁ・・・が今日の強引な結論でした。