人は色々います

えっと

この方なんですが、2008年卒の家庭医療学後期研修プログラム中の医師です。これが医学部教育の経験談で、これが薬学部4年間の経験談のようです。まあ、薬学部を6年制にする必要があったかどうかは議論のあるところですが、主張についてはリンク先をお読み下さい。個人的には研修医4年間の臨床経験でそうとしか感じられなかったのは、個人の資質であるのか研修プログラム並びに医学部教育の問題が表されている様な気がしますが、言論の自由ですからあえてこれ以上触れません。今日は内容はこれもリンク先をお読み下さい。こういう主張をされるのもまた言論の自由です。興味をもったのは結論に至るサイクルです。ある程度偏りのある強い主張をされた時には当然ですが異論反論が出てきます。今日は何度も言論の自由を書いていますが、異論反論もまた言論の自由です。そういう主張をされる時には異論反論が出るのを予期して行うのが常識です。もちろん常識があればですが・・・。

ネットで主張に対する異論反論はそりゃ辛辣なものが出てきます。正直なところ誹謗中傷から罵倒そのものも出てきます。私もネット言論に住む者ですから、その強烈さはある程度存じています。おそらくこの方もそういう洗礼を受けられたのでしょう。確かにあれは嫌なものです。ネット媒体の負の部分と感じられても不思議は無いと思います。それでもってそういう洗礼に対する反応ですが二つに分けられるようです。

  • ネット媒体とはそういうところと思って受け止める
  • ネット媒体のそういうところを叩き潰さないといけない
私は前者であり、この方は後者のようです。私のネット媒体の見方は罵倒的な異論反論もある代わりに、共鳴支持してくれる方も広く出てくる点を評価しています。罵倒は正直辛いですが、一方で共鳴支持は有り難いものです。これの足し算・引き算で自分の主張がどれほど受け止められたかを、それなりに見ることが出来る点を高く評価しています。どちらもモロの本音ですから、リアルでは得難いものです。

また辛辣な異論反論を少しでも回避したいと思えば表現に工夫を凝らすようになります。いくらダイレクトな反応を評価すると言っても、読むのが楽しいとは言えないからです。その上で「この点に対してはこれぐらいの反応があるだろう」とか「ここは突付かれても賛否両論だろう」ぐらいは長い事やっているとおおよそ見えてきます。それがネット媒体です。

それとネット媒体の一番良いところは非常に手軽に意見を発信できる点です。私にしても、この方にしてもネット媒体がなければ無名の医師で、いくら意見を主張したとしても、せいぜい周囲の人間だけに留まります。これが数千とか数万とか、場合によってはそれ以上に意見を発信できる点は驚異的だと思っています。そんな手軽さの代償に手軽に反応されるデメリットぐらいは払わざるを得ないだろうです。ネットのそういう特性がどうしてもお気に召さないのならfacebookあたりに引き篭もられるのをお勧めします。


文章の表現への感想をあえて加えておけば、正直なところ工夫が足りないです。もちろんあえてそういう刺激的な表現でウケを狙う意図があるのかもしれませんが、そうすればどれだけの反応があるかを予期できない人間にはネット媒体は不向きの気がします。もう一つなんですが、偏りの強い意見には賛否両論が出ますが、結局のところ支持されたかどうかの判断をされているのでしょうか。

これは偏見がかなり入りますが、単に支持が少ないから逆上しているようにしか見えません。言論は「どうしてわかってくれないのか」を嘆くところではなく、「どうしたらわかってもえらえるか」の工夫を競うところです。どうにも炎上マーケティングの手法を取っているにも関らず、炎上する事が許せないタイプの人としか見ようがありません。

それでも、変わった人は医療にもいますし、世間にも一杯います。スルーしたかったんですが、今日はどうしても他のネタを拾えなかったので埋め草でした。