マスコミの○○被害者の実名掲載基準

犯罪被害者の場合

自分で書いて半分忘れていたのですが、犯罪被害者等基本計画案(骨子)に対する意見書と言うのが新聞協会HPにあります。まずですが、

 警察による被害者の実名発表、匿名発表について、「個別具体的な案件ごとに適切な発表内容となるよう配慮していく」としている、2の第2の2「安全の確保」中の(2)のエ項に、日本新聞協会は反対し、削除を求める。被害者は実名で発表されなければならない、とわれわれは考えるからである。

 実名のない被害者は、その存在さえ容易には確認できず、本人や周辺からの取材もできない。確認できない事柄を無責任に報道することはできない。われわれが実名発表を求める理由はここに尽きる。事件や事故を正確に、客観的に取材、検証し、報道するために、実名は欠かせないのである。

ここで原則として、

    実名のない被害者は、その存在さえ容易には確認できず、本人や周辺からの取材もできない。確認できない事柄を無責任に報道することはできない。われわれが実名発表を求める理由はここに尽きる。
犯罪被害者の警察からの実名発表(実名報道で無いのに注意)は必要であるとしています。新聞協会には23の放送機関も加盟しており日本放送協会も入っていますが、実名発表の後に実名報道を行なうかどうかの基準も書かれています。

 発表された被害者の実名をそのまま報道するかどうか、これはまたまったく別の問題である。被害者の安全にかかわる場合はもちろん、プライバシー侵害や何らかの二次被害のおそれがある場合は、当然、匿名で報道する。被害者から要望があれば被害者と誠実に話し合い、警察が被害者の声を仲介する場合は警察と真摯(しんし)に協議する。

まず注意点は、

    発表された被害者の実名をそのまま報道するかどうか、これはまたまったく別の問題である。
ごく素直には実名発表を受けても実名報道を行なうかどうかは「別問題」としています。実名報道を行なわない条件として、
  1. プライバシー侵害
  2. 何らかの二次被害のおそれがある場合
この場合には改めて確認して驚愕したのですが、
    当然、匿名で報道する
ではでは実名報道がプライバシー侵害とか、二次被害になりそうかの判断ですが、
  1. 被害者から要望があれば被害者と誠実に話し合い
  2. 警察が被害者の声を仲介する場合は警察と真摯(しんし)に協議する
ここも一つ注意が必要そうです。警察を介した場合は警察とマスコミは嫌でも「真摯に協議」せざるを得ないでしょうが、介さない場合は、
    被害者から要望があれば
つまり要望が無ければ実名報道を行なうとして良さそうです。これまでマスコミが積み上げた実績からすると、
    警察から実名が公表されて、とくに実名報道について中止要請が無ければそのまま実名報道に移行する
これで宜しいかと思います。なおかつですが、一言でマスコミと括っていますが、実際は多数の報道機関が存在します。被害者家族もしくは被害者当人からの「要望」は当然の事として警察発表を受けた全社に行わなければならないとするのが妥当です。要望が行われなかった報道機関は話し合う機会がないわけですから、要望がなかった物として実名報道を行なうです。わざわざ問い合わせてくれるような報道機関なんて日本にあるかないかでしょう。

だって警察の実名発表から実名報道までの時間差なんて短いもので、そんな短い間に被害者なり、被害者家族がすべての報道機関に要望を行い真摯に話し合うなんて絶対無理です。出来もしない条件を書いてあると解釈するのが宜しいかと存じます。

それと私が触れずに置いといても誰かが突っ込んでくれると思いますが、「プライバシー侵害」や「二次被害」にマスコミの過熱取材による報道被害は「おそらく」含まれていない気がします。もし含んでいれば、実名報道は事実上ありえなくなるからです。これは「おそれ」で「当然、匿名」が新聞協会の見解だからです。

もう一つ実名報道で被害が出たときですが、

報道に起因する諸問題については、報道機関が自主的、自律的に判断し、結果の責任もまた正面から引き受ける。

これも翻訳が必要と存じます。責任は正面から引き受けるかもしれませんが、それこそ損害賠償訴訟とかでもやらないと実質的にはスルーかと存じます。言うまでもありませんが、マスコミ側は敏腕の弁護団をそろえ、争えるものなら最高裁まで争うのは説明の必要もないでしょう。


犯罪被害者以外の場合

犯罪被害者については「まだ」上記のような基準が存在するようですが、この基準は非常に狭く扱われているとして良さそうです。前に天災被害者の実名報道基準を書いたことがありますが、この時は、

  1. 家族が警察と相談の上で匿名にする事にした
  2. 公表された実名を警察要請を無視して実名報道を行なった
  3. 家族が報道機関に匿名要望を行ったが、NHKは最後まで無視した
私の感覚では報道被害者より天災被害者の方が実名報道に慎重であっても良さそうな気がしますが、そうではないようです。犯罪被害者の実名報道にはまだしも基準はありますが、天災被害者となると完全に野放し状態と判断して良さそうです。ちなみにこの時のNHKと家族のやり取りはこうであったとされます。

僕が・・・「田舎の爺さんの名前が全国津々浦々に流れる事にどんな公共性があるのか?」と聞くと。
「公共性があるかないかは、NHKが決める事」と言い。

「町役場から名前を聞いて、警察では名前を伏せてあれば、親族の意向が働いている事位分かるでしょ?」
「おっしゃるとおりですが、公共性を優先しました。」

「では、なぜ許可を取らないんだ?爺さんの名前が分かれば親族の所在を探す事は簡単だろ?」
「ちょっと・・・今、忙しいのでまた後で電話して良いですか?」

NHKの返答がわかりやすいのですが、

    公共性があるかないかは、NHKが決める事
犯罪被害者の場合は家族の要望があれば真摯に話し合うとなっていますが、天災被害者の場合は報道機関が勝手に決めると言う事のようです。これが天災報道の基準と受け取って宜しいようです。


アルジェの場合

まず問題は被害者が犯罪被害かどうかです。テロですから犯罪と思いたいところですが、個人的に新聞協会の犯罪被害者とは日本の警察が犯罪を管轄している場合と解釈するのが妥当の気がします。その基準で言えば天災被害も警察が管轄している気もするのですが、新聞協会の条件は日本の警察が犯罪を管轄している時のみの基準とするのが妥当と考えます。だから天災被害の時のNHKはああいう姿勢を明示できるです。

つまり犯罪被害者等基本計画案(骨子)に対する意見書に書かれている趣旨が適用されるのは、

  1. 犯罪被害者である
  2. 日本の警察が管轄している
この2つの条件が成立している時のみです。ここから考えるとアルジェは国外ですから、日本の警察は基本的に関与しておらず、天災被害者と同様の扱いを受けると考えるのが自然です。今回のアルジェの実名報道の経緯は、
  1. 日揮も政府も実名発表を拒んだ
  2. 朝日が家族を騙して情報を手に入れ、実名報道を行なった
実名報道については上記した通り、アルジェのケースは野放し状態ですから、実名報道を行なうかどうかはすべて報道機関の独断です。朝日の情報入手経路については今日もう置いときますが、実名情報が入手できれば煮て食おうが、焼いて食おうが、すべて「公共性」の名の下に遺族の意向はほんの参考意見程度に留め置いても、報道機関の倫理としては何の差し障りも無いと考えて宜しいかと存じます。


さてなんですが、アルジェのケースは日揮も政府も、私人である被害者の実名報道を回避したいと考えていたのは前提として宜しいでしょう。そういう状況で実名報道の基準が厳然と存在する中で目的を達成する具体的な手法を考える必要が在ります。マスコミ関係者は実名発表が行われなかった事を非常に重く見ていましたが、もし日揮なり、政府が実名発表を行い、実名報道を控えるように要請したらどうなるかです。

マスコミが一旦知った実名情報は、日揮や政府の要請があったとしても単なる参考意見程度になります。上述したようにそれを行うか行わないかはすべて「公共性」の名の下に報道機関の裁量になります。これがマスコミ倫理です。また実名報道回避は数ある報道機関のどこかが行えば崩れます。アルジェのケースで実名発表が行われ実名報道が行なわれないシミュレーションはただ一つ、

    たまたま全報道機関が実名報道を行なわない事にしてくれた
この場合のみになります。そういう実績をマスコミは高々と積み重ねられ、今回もまた一つ重ねられております。そういうマスコミ倫理を少しでも知っていれば、実名報道回避のためには実名発表を控える以外の選択は、私たち被取材者には残されていない事になります。


まとめ

実名発表と実名報道は違う次元の問題であるとの指摘がありました。公権力の監視だけなら実名発表から実名報道に至る段階の問題を考えるべきであるです。誠に正論と思いはしましたが、実態として机上論であり実名発表と実名報道はほぼセットになると考えられます。警察経由であっても「協議」するレベルであり、協議が決裂すれば公共性の名の下に実名報道は可能です。

ましてや警察経由でない場合の被害者となると、これを知った全報道機関に「個々」に匿名要望を伝え、個々の報道機関に御了承を頂かないとなりません。そのために許される時間は下手すると数時間程度です。いやもっと短いかもしれません。実名発表を受けて1時間程度かもっと短くネット記事にする事も十分に考えられるからです。家族や被害者からの意向を聞くという手続きは報道機関の念頭に余りにも乏しいと言う事です。

実名発表が行われた段階で、事実上「どうしようもない」が実態と私は解釈します。実名報道へのこだわりは、アルジェの件で明らかになったように遺族を騙してでも実名情報を手に入れ、「報道しない」の約束を一流と見なされているとされる朝日新聞でさえ弊履の如く捨て去るのは今回もまた明らかです。こういうマスコミの体質は如何ともしがたいと存じます。こういうものは改善を要求してどうなるレベルではないと痛感しております。

それと新聞協会にある「プライバシーの侵害」とか「二次被害」についてもマスコミが報道する分、またマスコミの過熱取材による報道被害については免責もしくは棚上げになっていると解釈するのが妥当です。そういうものはマスコミの倫理観では侵害とか被害とは殆んど考えないと見なして宜しいかと存じます。その程度のものは公共性、報道の自由大義の前では取るに足らないものであり、問題にする人間の頭がおかしいぐらいで宜しいでしょうか。


昔から「小人は養い難し」(このフレーズの前は現在では不適切ですからカットします)と言いますが、本当にそう思います。小人であっても存在感が薄い物、関係が遠いものであれば敬遠でまだ対処できますが、マスコミはそんな小さな存在ではありません。存在は第4の権力様であらせられ、○○被害者の位置にいつ置かれるかは運次第みたいな関係です。

実名発表から実名報道の過程を問題にするならマスコミが君子である必要があると思いますが、マスコミが君子でなく小人である実情は手の施しようがないものとする現実を冷静に認識しなければ仕方がありません。誠に困ったもの、厄介至極な代物ですが、しょうがないので平家物語の一節を思い浮かべています。

    奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。
私では団扇程度ですが、せいぜい煽いで風を送る事にしましょう。