記事のキーワードは「責任」

福山のホテル火災では7人の死亡者が出たと報じられています。謹んで御冥福をお祈りします。その関連ニュースとして、5/15付共同通信(日刊スポーツ版)にこんな記事が出ています。

福山ホテル火災 匿名発表に懸念の声

 7人が死亡した広島県福山市のホテル火災で、広島県警は犠牲者の身元を確認しながら氏名や住所を公表していない。現場がラブホテルとしても利用されていたことを理由に「プライバシーに配慮した」と説明するが、親子で宿泊していた例もあり、県警の判断に専門家からは「情報を操作される危険がある」と懸念の声が出ている。

 「身元が確認されても、名前や住所は言わない」。広島県警の担当者は、13日の火災発生当日から、非公表とする方針を報道陣に伝えていた。報道側は再三にわたり発表を求めたが、県警側は「特殊な現場」を根拠に匿名とする態度を崩さなかった。

 火災が起きたホテル「プリンス」は風営法に基づき営業。主にカップルを対象にしていたが、インターネット上ではビジネスマンや長期滞在客も受け入れると宣伝。犠牲となった親子も69歳の母親と44歳の娘で、一般のホテルと同じ感覚で利用していた可能性がある。

 氏名などの発表については、遺族らを中心に反発がある。1998年の和歌山の毒物カレー事件では、遺族宅を連日、多くの報道陣が取り囲む事態となったことが問題化。各地でも大きな事件や事故が起きると、被害者への集団的過熱取材(メディアスクラム)が発生することもあった。

 犯罪被害者支援団体の幹部は「ただでさえ心が傷ついている時に、追い打ちを掛けるような仕打ちを受けることになる」と指摘。氏名などの公表を被害者が選択できる仕組みを求める声もある。

 各警察の発表基準については、警察庁幹部は「各都道府県警が、それぞれの事件の性質に応じて個別に実名か匿名かを判断している」と話す。

 16人が犠牲になった2008年10月の大阪・難波の個室ビデオ店放火事件では、大阪府警が遺族の匿名希望の要望を伝えた上で、氏名や住所を明らかにした。

 01年9月に東京・新宿で発生した歌舞伎町ビル火災でも、警視庁は犠牲者の氏名を公表。ビルには風俗店が入居していたことから一部の新聞社は匿名報道としたが、多くの報道機関は実名だった。遺族の中には「プライバシーを侵害された」と反発があった一方、公表された情報をもとに取材した記事に「家族の姿を多くの人に知ってもらうことができた」と理解を示す声もあった。

 ジャーナリストの大谷昭宏氏は「プライバシーで最終責任を持つのは報道機関」と指摘。田島泰彦上智大教授(メディア法)も「第三者の立場ではない警察を通して被害者の声が伝わるということが一番の問題」と警鐘を鳴らす。

広い広い意味で言いたい事はなんとか理解出来ます。警察と言う国家権力機構の一部が恣意的に情報の操作を行う事を認めれば、これが先例になって国家による情報統制が強くなってしまうぐらいで宜しいかと思います。「一事が万事」でも良いかと思いますし「蟻の一穴」でも良いかと思います。そういう趣旨の主張は報道に携わる者として懸念する事はアリとは思います。

では記事の主張に全面的に賛成かと言われると違和感がジャリジャリと出てきます。今回の火事の発生場所は非常に特殊な場所です。記事にもあるようにホテルと言ってもラブホテルです。ラブホテルと言っても本来の目的以外に使われる事もあるかもしれませんが、やはり本来の目的に使われる人は多いと考えるのが自然です。

そいでもって本来の目的に使われた時に、使った当人同士の関係が微妙になります。これもあくまでも一般的にと言うか、多くの場合ですがラブホテルを本来の目的で使っている事を言いたくないケースが多数あるであろうです。もう少し言えば、本来の目的以外の使用であっても、利用していたと言うだけで要らざる疑念を巻き起こす可能性もあるです。これは当人もそうですし、当人の家族にとってもそうです。

言ってみれば、たとえ死亡者であっても、本来の目的で使用していたことがわかれば、残された遺族が白眼視に曝される可能性は十分にあるです。もちろん完全に隠し切るのは難しいにしても、新聞を始めとするマスコミに大々的に報道されるのは耐え難い苦痛を与えると予測されます。



私が思うのは、まずマスコミが被害者名を警察から公表された時に

    どうするつもりであったのか?
これに尽きます。無用な社会的被害の拡散を防ぐために名前を伏せるつもりであったのか、公表に飛びついて実名報道をするつもりであったのかです。ましてや複雑な事情でホテルを利用し死亡した遺族に突撃取材を敢行し、
    どういうお気持ちですか?
これをやらかすつもりであったのかです。とりあえずこの見解を聞きたかったところです。それらしいところをあえてピックアップすると、2001年9月にあった歌舞伎町のビル火災の例が挙げられています。
    警視庁は犠牲者の氏名を公表。ビルには風俗店が入居していたことから一部の新聞社は匿名報道としたが、多くの報道機関は実名だった。
ここの解釈ですが、警察の公表を受けて多くのマスコミが実名報道を行ったとしています。この行った事に対する評価ですが、体裁として両論併記にはしています。
  • 遺族の中には「プライバシーを侵害された」と反発があった
  • 公表された情報をもとに取材した記事に「家族の姿を多くの人に知ってもらうことができた」と理解を示す声もあった。

では併記された両論のどちらを支持しているかですが、恒例の有識者の声があります。
    田島泰彦上智大教授(メディア法)も「第三者の立場ではない警察を通して被害者の声が伝わるということが一番の問題」と警鐘を鳴らす。
あくまでも私の解釈ですが、両論のうち
    公表された情報をもとに取材した記事に「家族の姿を多くの人に知ってもらうことができた」と理解を示す声もあった。
こちらを強く支持していると感じてなりません。本当にこういう声があったかどうかも個人的には疑問なんですが、ちなみに歌舞伎町のビル火災の時の被害はwikipediaによると、

居合わせた客と従業員のうち、3階の19名中16名、4階の28名全員の計44名が死亡、3階から脱出した3名が負傷した。

ちなみに火災現場は3階のマージャン店と4階のセクシイ・キャバクラです。死亡者の分類としては3つに分類されるかと思います。

  1. 3階のマージャン店の客
  2. 4階のセクシイ・キャバクラの客
  3. 両店の従業員
福山のホテル火災で言えば、4階のセクシイ・キャバクラの客の遺族から理解の声があってやっと同等に近くなると思います。これも完全には同等とは言えないと思います。プロを相手にするのと、素人(これは推測に過ぎません)を相手にしているのでは違いますし、行為の濃厚さも違うと思うからです。さらに言えば、仮に理解を示す声があったとしても反発する声がある事に対する見解はどうなんだになります。極論すれば理解者が1人でもいれば、残りが反発しても「あきらめろ」になるかです。



ぐだぐだ書きましたが、共同通信記事の内容を読む限り、共同通信は公表されれば実名報道を行なう気が「かなり強そうだ」です。仮に警察発表があっても匿名報道にする姿勢を感じ取る事が難しいと思います。もう一つ、有識者の声がありますが、

    ジャーナリストの大谷昭宏氏は「プライバシーで最終責任を持つのは報道機関」と指摘
マスコミの最終責任か・・・・・・ん、ん、ん。そっか、そっか、記事のが主張したい事がなんとなく判った気がします。つうか引っかかっていた違和感の原因が見えてきた様に感じます。まず最初に考えるべきは警察発表とはそもそも何ぞやです。警察は誰に向かって発表しているかです。直接的にと言うか、発表現場ではマスコミが相手になります。実質として記者クラブ員以外は発表の場にいる事は難しいからです。

ほんじゃ、警察はマスコミのために発表しているかと言えば本来的には違うはずです。主権者たる国民に対する情報公開のはずです。マスコミは国民に広く情報を伝えるための媒介機関の位置付けになるはずです。マスコミ流に表現すれば、国民の知る権利のための代行人ぐらいとすれば宜しいでしょうか。今回のホテル火災の死亡者名にしても、もし警察が発表すれば国民すべてに向けての公開情報であると考えて良いはずです。

責任の構造として、警察が公表したからには、これをマスコミが国民に知らせるのは何の問題もマスコミに生じないわけです。理由は警察が公表しているからであり、媒介者としてそのまま報道しても責任は情報発信者である警察にあると言う事です。だからマスコミに取って警察に発表してもらう事が最終責任を考える上で非常に重要と言うわけです。

言い換えれば、マスコミが独自取材で身許を調査したら最終責任のあり方は変わってきます。死者や遺族をさらに鞭打つ行為に対する批判が出た時に、責任はマスコミが一身に被る必要があります。今回であれば死亡者は7人ですから、その気になればマスコミは自力で死亡者の実名の特定は可能なはずです。真に実名が事件報道に必要にして不可欠であれば、それをやれば良いわけです。

それを警察発表にこだわるのは、現場的にラクしたいもあるかもしれませんが、最終責任はあくまでも警察に請け負ってもらいたいがあるとすれば筋が通ります。警察さえ公表してくれれば、後は報道するもしないも、実名か匿名かについても、すべてマスコミが商売基準において自由裁量になり、そのうえ最終責任はマスコミに回りにくくなります。

そういう文脈で読めば、

    氏名などの発表については、遺族らを中心に反発がある。1998年の和歌山の毒物カレー事件では、遺族宅を連日、多くの報道陣が取り囲む事態となったことが問題化。各地でも大きな事件や事故が起きると、被害者への集団的過熱取材(メディアスクラム)が発生することもあった。
メディア・スクラムについての最終責任はマスコミとて逃げ切れないとは思いますが、これとてメディア・スクラムが発生する大元の情報公開は警察によって為されており、遺族に対する取材は正当化されますし、せいぜい「手法にやや行き過ぎがある」程度で話を片付ける事が出来ます。


最終責任が警察にあるとなれば、警察だって慎重になります。最初の方に書いた通り、国家権力による情報統制・情報コントロールは好ましいものではありません。ただ情報統制・情報コントロールは国家が行ってもも好ましくありませんが、マスコミが行っても好ましいとは言えません。今回は特殊な状況での死亡事件ですから、問題の本質はかなり微妙なところにあると感じます。

つうか、これだけ微妙な問題ですし、実際のところホテル火災の死亡者名を知るのが事件の本質とどれだけ関係しているかは極めて疑問です。国民の知る権利への問題提起とするには不適切な事件の様に感じてなりません。