以徳報怨と以直報怨

以徳報怨は蒋介石が日本軍の中国撤退にあたって話したとして妙に有名なフレーズです。蒋介石の話は今日は完全に置いておきます。ただ言葉としてはなかなか美しいもので、あえて読み下せば、

    徳を以って怨に報ず
怨に対して、あえて徳で報いようですから、なかなか出来る事ではありません。きっと故事成句なり、どこかの古典に準拠していると長年思い込んでいました。そいでもって最近になってこのフレーズを使おうと出典を探してみました。使うのなら根拠を確認しておこうぐらいの気持ちです。探してみるとありました。出典は論語・憲問編ですから孔子の言葉になります。
    或曰 以徳報怨 何如 子曰 何以報徳 以直報怨 以徳報徳
私の漢文読みもエエ加減なのですが、強引に解釈してみます。ここも注釈を入れておくと、こういう中国古典の専門家とも言える人に勇気を奮って質問メイルを送ってみたのですが、お忙しいのか、質問が初歩的過ぎたのか、残念ながら返答をもらえていません。仕方が無いので自力です。

フレーズ. 原典 読み
1. 或曰 或る人尋ねた
2. 以徳報怨 怨みには徳で報いる
3. 何如 これでよろしいでしょうか
4. 子曰 孔子は答えた
5. 何以報徳 徳で報いるのは何であるかが問題
6. 以直報怨 怨みには直をもって報い
7. 以徳報徳 徳には徳を以って報いる


後での説明の便宜のためにフレーズ番号を振っています。文章の前半はある人からの質問となっています。ごく簡単には「以徳報怨」の考え方で良いか悪いかです。これに対しの孔子の回答がフレーズ4から始まるのですが、注目したいのはフレーズ5の「何以報徳」です。ここでの「何」は疑問符みたいに解釈して良さそうで、ごく単純には「以徳報怨」を否定したと受け取って良さそうです。

孔子は「以徳報怨」を否定した上で、フレーズ6と7で「怨」の場合と「徳」の場合の「報」の仕方を分けて提示している文章構成であると見ます。つまり、「以直報怨」と「以徳報徳」は対になっているです。こういう文脈で対になっている時には、しばしば対照的な表現になる事が多いものです。対関係を表にしておくと、

フレーズ 受けたもの 報いるもの
以直報怨
以徳報徳


見てもらえば判るとおり、「怨」と「徳」が対になり、さらに「直」と「徳」が対になっています。実は「怨」の解釈が微妙と言うか、よく分からなかったのですが、徳との対比語と考えれば判り安いような気がします。思いっきりシンプルにしますが、
    徳・・・良い行い
    怨・・・悪い行い
「怨」を日本語の「怨み」としてしまうと難解なんですが、「悪い行い」とすれば全体の意味が通じやすくなります。もう少し言い足すと「怨まれるような事をする人間」でも良いかもしれません。そうなると以徳報怨とは、
    「悪い行い」に対して「良い行い」で報いる
それで良いかと孔子は尋ねられた訳です。これを否定した何以報徳は、かなり意訳を盛り込みますが、
    そんな事をしたら、徳(良い行い)にどうやって報いるんだ
孔子は徳に対する報いは徳で良いとしています(以徳報徳)が、怨(悪い行い)に対しては「直」にせよと言っている訳です。ではでは直とは具体的にはどういう行為を指すかです。一般的にはこれを正直とか誠実と解釈しているものが多いようです。その解釈もきっと定着しているんでしょうが、どうにも違和感があります。なんとなく綺麗に収まってはいますが、悪い行いに「正直」とかましてや「誠実」で報いるじゃ、徳とあんまり差が無いように感じてならないからです。

「直」は現代の日本語でも、孔子の時代の言葉でも基本の意味は「まっすぐ」で良いと考えます。もう少し膨らみを持たせれば、「ストレート」とか、「ダイレクト」、さらには「すぐに」と言う意味も含まれるとしても良いと思います。ここはシンプルに悪い行い(怨)については直言せよとしていると私は思います。


では直言であったはずの解釈が、現在の解釈では誠実とか正直みたいな表現になっているのは何故かになります。これについては孔子の有名な言葉にヒントがあると思います。

    子曰 吾十有五而志于学 三十而立 四十而不惑 五十而知天命 六十而耳順 七十而従心所欲不踰矩
孔子は聖人とも称えられる中国思想史上の巨人(余談ですが背も物凄く高かったそうです)ですが、事績を読む限り必ずしも穏和な人物像とは言えません。気に入らない主張、人物は容赦なくこき下ろしています。その攻撃的な面が仕官の道を閉ざしてしまった面もあると感じます。相手をある程度許容する度量に欠けていたです。

そういう面は思想家として長所になりましたが、政治家としてはイマイチで、各地に仕官運動を行ってはいますが、本当の意味の有識者として厚く待遇されても、積極的に登用する国はついになかったです。孔子は自分の思想を政治として体現する夢を抱いていましたが、これが叶わなかったのは史実です。そのため故郷で塾を開いて教育に専念する事になります。

そんな孔子ですが「六十而耳順」としています。60歳といえば今でさえ晩年ですが、60歳の時には耳順すなわち、相手の主張をしっかりと聞いて受け止められる余裕が出来たとここは解釈します。「七十而従心所欲不踰矩」は70歳になれば何を言っても相手を傷つけるような表現を使わなくなったと読みたいところです。

孔子も壮年期には自分の理想を実現するためにライバル達に対し、相当強烈な直言(反論)をしていたのが、歳を重ねるにつれ相手を逆撫でするような発言を控えるようになったみたいな解釈です。これはライバルだけではなく、孔子の思想と言うか教育内容全体に及んでいたと想像します。

論語孔子の死後、弟子たちによって編纂されたとなっていますが、この弟子たちは主に孔子の晩年期、もしくは弟子の弟子、さらには孫弟子クラスみたいな状態の可能性があります。晩年の孔子の教育を受けたものにとって「以直報怨」の解釈にチト困ったのではないかと思います。いや編纂された頃はまだ良くて、もっと後世になってから「どういう意味か」の時に困ったです。だから正直とか誠実を直から捻り出したです。



さて孔子が直としたのは、怨が君主の行いを指しているような気がします。そして「或曰」とはそういう君主を見た臣下のあり方についての質問です。以徳報怨とは君主の行いが悪くとも、臣下は良い行いを続けるだけで良いのかの問いです。だから孔子は否定し、君主が良い行いをする時には臣下も良い行いをするで良いが、悪い行いをする時にはすぐにこれを諌めるのが臣下の役割であるとしている気がします。

そうなると何以報徳の解釈も変わってきます。これはただの否定ではなく、もっと強烈なもので、

    お前は徳がわかっていない
これぐらいが良いような気がします。君主の徳があって初めて臣下の徳が活きる物であり、臣下だけ徳を行っても意味は無いです。徳を行うためには、君主に徳を行わせるのが臣下の務めであり、徳を行わせるために直を行わなければならないです。それによって君主が徳を行えるようになって初めて、臣下の徳も活きて来るぐらいでしょうか。


ただなんですが、怨を行うのが君主である時と、一般論では解釈が変わってきます。現在で当てはめるならば首相と言うよりは、妙に発言力の大きな人ぐらいを想定したいと思います。そういう人物が怨であればどうするかは考えても良いところです。それこそケース・バイ・ケースでしょうが、以徳報怨と以直報怨の両方ともありそうな気がします。具体的には、

    以徳報怨・・・スルー
    以直報怨・・・正面から議論して論破する
ネットの作法として怨を撒き散らすような人物はスルーが鉄則です。と言うのも以直報怨を行ったところでまず徒労に終るからです。徒労に終るだけではなく、大概が感情的なやり取りの泥沼状態に陥り、精神的にも大きな負担がかかるです。あからさまに言えば、その人と直接関係があるわけでもないので、そこまで関与する必要はサラサラないです。もっともサッサとブロックしてくれる人もいるのが面白いところではあります。

ここを考えると孔子の言葉は厳しくて、それも覚悟して以直報怨を行うべしとも受け取れます。スルーして放置すること自体が害悪であり、害悪を止める事が世のため、人のためであると言うところです。まさしく正論ですが、誰しも実践できるものではないと思わざるを得ません。

まあ、それでも別に私が孔子の言葉に従わなければならない義理はありません。孔子の時代にはネットはありませんでした。君主に物を言える人間は限定されていた時代であったからこそ臣下の直は重要だったと見ます。ネットの特性は間接的に物を言えるです。怨を撒き散らす者を間接的に批判し、同調者を減らすのも今の時代の直に準じるものぐらいは言えるとしたいと思います。

長大な解説でしたが、ネット時代では以直報怨ではなく以徳報怨でも立派に通用するです。ただここまで話を穿ってしまったため、フレーズとして「以徳報怨」がポンと使いにくくなってしまったのは遺憾とさせて頂きます。


専門家の回答

ここまでは昨日の段階の下書きだったのですが、今朝になって専門家の回答が舞い込んでいました。紹介しておきます。

原文 義疏
或曰 以徳報怨 何如 或人問孔子曰 彼與此有怨 而此人欲行徳以報彼怨 其事理何如也
子曰 何以報徳 孔子不許也 言彼有怨 而徳以報彼 設彼有徳於此 則又何以報之也
以直報怨 以徳報徳 既不許以徳報怨 故更答以此也 不許以徳報怨 言與我有怨者 我宜用直道報之 若與我有徳者 我以備徳報之也 所以不以徳報怨者 若行怨而徳報者 則天下皆行怨以要徳報之 如此者是取怨之道也


さすが専門家、これで答えがスッキリしたと言いたいところですが、呆然と立ち尽くす心境で、エライ私の能力を買い被って頂いたものです。正直なところ白文をサラサラと読み下せる能力は私にはありません。メイルが来てから暗号解読のように読みかけたのですが、時間切れです。つうか時間があっても正しく読めるかどうかは全然自信がありません。それでも誰でもわかるのは、
    既不許以徳報怨
これは「以直報怨 以徳報怨」の義疏の冒頭部ですが、以徳報怨を重ねて否定しています。もうひとつあえて拾うと、
    我宜用直道報之
「直」は「直道」としています。これ以上義疎について語るとトンチンカンな解説になりそうなので、読める人がおられれば宜しくお願いします。