私も他人の事をとやかく言えるほどのものではないのですが、少々読みにくかったのが4/2付MRIC
全体の構成は3部構成ぐらいと考えて良さそうで、導入部(仮説提示部)、論証部(解説部)、結論部とでも分ければ良いのでしょうか、もっと単純に序破急の理解でも良いかもしれません。記事構成自体はスタンダードなものなのですが、読んでもらうために重要なのは導入部になります。俗に言う「つかみ」の部分で、ここで「おっ!」と思わせる事で残りを読ませると言えば宜しいでしょうか。とくにこの記事の論証部はかなり長くて、正直なところ非常に読みにくいので導入部の「つかみ」の重要性は増すと感じます。「おっ!」と思わせる「つかみ」も2種類ほど手法がありまして、
- ほぼ明らかな仮説を提示し、それを論証部でさらに補強する
- 「え、ホンマかいな?」と思わせて、ホンマである事を論証部で明らかにする
この記事が1.の手法である理由ですが、導入部のさらに前段で日医批判を狙っている事が提示されています。ここで記事が日医批判を展開しようとしている意図は明瞭にわかります。次の興味は何をネタにしているかです。これが、
ところが日本医師会は「患者の権利を尊重するだけの医療(尊重するが、時にはその他を優先する医療)」を社会に宣言するとともに会員医師に押し付けています。日本医師会が示す「医師の職業倫理」に、つぎの内容から明らかです。
ここで日医批判のテーマ(仮説)が、
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患者の権利を尊重するだけの医療(尊重するが、時にはその他を優先する医療)
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つぎの内容から明らかです
「医師は医療を受ける人びとの人格を尊重し、、、」(「医の倫理綱領」より)。
「前回の倫理綱領を含め、その倫理は、1)患者の自立性(autonomy)の尊重、、、、を基本にし、、、」(「医師の職業倫理指針」改定に当たっての序文より)。
「尊重」という言葉は、「対等ないし目下の者に対する敬意」を示す言葉です。人権尊重の「尊重」は「対等目線のことば」です。お互いに尊重しあうということです。人権はすべての人に同等に付与され、誰も犯してはいけないと考えるからです。一方、「患者の人格の尊重」、「患者の自立性(autonomy)の尊重」の「尊重」は医師から患者への「上から目線のことば」です。「尊重するが、時には他のことを優先する」ことになります。
正直に言いますが、何が明らかなのかサッパリわかりません。「明らか」と言うからには読めばせめて直感的にも「そりゃそうかもしれない」ぐらいの内容が必要と考えます。ここは記事も説明不足を感じたのか、もう一段の説明が加わります。
患者・社会が求めるのは当然ながら、「患者の人権を最優先する医療」です。しかし、日本医師会は「患者の人権を尊重するだけの医療」を社会に向かって宣言しているのです。このような日本医師会を患者・社会が信頼するはずがありません。医療不信の源になっているのです。医療現場の医師は「患者の人権を最優先する医療」を必要かつ当然の医療としています。良好な医師・患者関係を築くためです。しかし、日本医師会は「患者の人権を尊重するだけの医療」を会員に押し付けているのです。これが現場の医師の疎外感の源になっているのです。医療不信と疎外感に耐えきれなくなった医師は現場を去ります。立ち去り型医療崩壊です。もちろん医療崩壊には多要因が働きます。しかし、根本的な原因は日本医師会が、現代の医療にそぐわない「患者の権利は尊重するだけの医療」を固守することにあるのです。
ここは「明らか」の内容の補足と思いましたが、これは補足ではありません。前段の仮説が自明である事を前提にした補強です。もう一度引用しなおしますが、
「医師は医療を受ける人びとの人格を尊重し、、、」(「医の倫理綱領」より)。
「前回の倫理綱領を含め、その倫理は、1)患者の自立性(autonomy)の尊重、、、、を基本にし、、、」(「医師の職業倫理指針」改定に当たっての序文より)。
「尊重」という言葉は、「対等ないし目下の者に対する敬意」を示す言葉です。人権尊重の「尊重」は「対等目線のことば」です。お互いに尊重しあうということです。人権はすべての人に同等に付与され、誰も犯してはいけないと考えるからです。一方、「患者の人格の尊重」、「患者の自立性(autonomy)の尊重」の「尊重」は医師から患者への「上から目線のことば」です。「尊重するが、時には他のことを優先する」ことになります。
これがやはり日医批判の仮説の明らかな内容であり、説明である事になります。そうなると私の感想は「サッパリわからない」になります。補強部分と合わせて仮説を検証してみます。記事の仮説の前提は、
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正・・・患者の人権を最優先する医療
誤・・・患者の人権を尊重するだけの医療
- 「医師は医療を受ける人びとの人格を尊重し、、、」(「医の倫理綱領」より)。
- 「前回の倫理綱領を含め、その倫理は、1)患者の自立性(autonomy)の尊重、、、、を基本にし、、、」(「医師の職業倫理指針」改定に当たっての序文より)。
これだけで何故に尊重が「尊重するだけ」に解釈できるのかこれまた「サッパリ不明」です。記事がまるで自明の事のように強調しているので、なんとなく「そう解釈」するんだと力技で持ち込まれそうですが、この2つの引用で「明らか」にストンと納得できる人間がこの世に何人いるのか私は疑問です。それでも記事はこれで断定できたとして速やかに批判が展開します。
記事は日医が「尊重」の言葉を使っているのを視線問題で批判しています。この視線問題の解説も難解至極なんですが、
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「尊重」という言葉は、「対等ないし目下の者に対する敬意」を示す言葉です。
尊いものとして重んずること。
尊重の「尊」は言うまでもなく「尊ぶ」なんですが、「尊ぶ」も大辞泉から引用しておくと、
- 尊いものとしてあがめる。たっとぶ。「神仏を―・ぶ」
- 価値あるものとして重んじる。尊重する。たっとぶ。「人命を―・ぶ」
「尊いものとしてあがめる」でさらにこれを重んじるの意味もあるのが尊重ですから、「対等ないし目下の者に対する敬意」と言い切れるかです。たとえば用法にある「神仏を尊ぶ」が「対等ないし目下の者に対する敬意」が本義であると言われるとかなり違和感を感じます。神仏を尊ぶ時には「あがめる」からであり、これも大辞林から引用しておくと、
- この上ないものとして扱う。尊敬する。敬う。
- 大切にし、寵愛(ちようあい)する
私の見解として尊重は文脈上で皮肉の意味とかを込めなければ、むしろ下から目線の意味の方が強いと考えます。自分を下において上に奉る感じと言えば良いでしょうか。私はそうだと思うのですが、MRIC記事はさらに論旨が進みます。
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一方、「患者の人格の尊重」、「患者の自立性(autonomy)の尊重」の「尊重」は医師から患者への「上から目線のことば」です。「尊重するが、時には他のことを優先する」ことになります。
「尊重」の語句解釈が記事全体をリードする記事構成なので付け加えておくと、こちらの表現が無条件に良いとしている「優先」も大辞泉から引用しておきます。
他をさしおいて先にすること。他のものより先に扱うこと。「人命救助を―する」「歩行者―道路」「―順位」
辞書には言葉の意味が「上から目線」なのか対等なのか「下から目線」までは書いてありません。そこで具体的な用法から考えたいのですが、「優先順位」を取り上げてみます。優先順位とは、なんらかの順番付けで特定条件の人の順位付けを上位に置く事ぐらいで良いかと存じます。これが視線問題になった時には、対象となるのは、
- 優先される人
- 優先されない人
優遇されていない人は不利な条件を受け入れるのですが、これを「下から目線」で受け入れるとは思いにくいと言うところです。あくまでも「しょうがないから、条件を受け入れてやる」であり、これは視線問題にすれば「上から目線」とする方が妥当かと考えます。記事は「尊重」を酷評し、「優先」を賛美していますが、どうにも記事の定義づけとは異なり、
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尊重・・・下から目線
優先・・・上から目線
「尊重と優先」の視線問題を検証編から引用しておくと、
患者一人ひとりの最善の利益を第一に考える」ためには「respect for patient autonomy(患者の自律性に対する敬意)」が必要です。しかし、日本医師会は「患者の自立性(autonomy)の尊重」と訳しているのです。
日医が無茶苦茶な翻訳をしていると糾弾しているような文脈ですが、ここも醒めてみれば「respect for patient autonomy」の翻訳が、
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正:患者の自律性に対する敬意
誤:患者の自立性の尊重
さてこういう導入部から論証部に進み、結論部は単純化すれば「そういう日医の姿勢が今の医療崩壊を招いた」です。具体的には、
しかし、日本医師会は「患者の人権を尊重するだけの医療」を会員に押し付けているのです。これが現場の医師の疎外感の源になっているのです。医療不信と疎外感に耐えきれなくなった医師は現場を去ります。立ち去り型医療崩壊です。もちろん医療崩壊には多要因が働きます。しかし、根本的な原因は日本医師会が、現代の医療にそぐわない「患者の権利は尊重するだけの医療」を固守することにあるのです。
個人差はあるので断定はしませんが、ここで挙げられている「立ち去り型医療崩壊」は勤務医に起こったものです。勤務医に対する日医の影響力はそんなにデカかったかは素直に疑問です。大昔の日医は勤務医も開業医も含めた医師の代表組織ではありました。これが「勤務医 vs 開業医」の権力闘争が起こり開業医のための日医になったのは遥か昔です。
とりあえず現役の医師で武見時代の前を知っている医師がどれだけ残っているかになります。とくに勤務医になると某聖路加の超高齢医師クラスしかいないんじゃないでしょうか。日医の路線闘争で勤務医が日医から排斥された後、どれほどの影響力が勤務医に残ったかは甚だ疑問です。
現役の勤務医に対する日医の影響力などゼロではない程度だと考えます。さらに開業医といえども元勤務医です。開業医になったからと言って、急に日医思想に染め上がるかと言えば、これも甚だ疑問です。当たり前ですがエエ歳になってから開業しますから、それまでの勤務医時代の倫理に骨の髄まで染め上げられています。でもって勤務医への日医の影響力は「???」です。
断っておきますが、日医を会員だからと言って身びいきする気はありませんし、ましてや日医が無謬の組織なんて思いもしません。間違いもトンデモも偏向も動脈硬化もある組織ではあります。それでも日医批判なんてネタはテンコモリあるのですから、もう少し料理の方法はあるだろうです。
これも白状しておきますが、論証部の部分は本当に読み辛くて精読できていません。つうか、導入部でウンザリして耐え切れなかったのが正直な感想です。個人的には論証部をもう少し綺麗に整理して、そこから導入部に掲げた仮説と言うか結論を導いていくスタイルの方がまだ良かったかもしれません。ただそうなると、実際の記事より余程手際よくやらないと、あの原文のままではそこで読むのを挫折しそうです。
と言う事で、本題のはずの日医がトンデモ主張をこれまで続けていたか、またそれが日本の医療を歪めてしまったかについての私の感想は「不明」とさせて頂きます。もう4〜5回ぐらい書き直し、練り直したら読みやすくなるのかなぁ・・・。