謎が少しだけ解消した地域医療振興協会の不思議な人事

一応前編にあたるのが、

これについてToshikun様が改めて現在の横須賀うわまち病院のホームページ上の小児科スタッフを確認するという作業をされています。魚拓に残っているスタッフ表を見てください。いつ改訂されたかまでは不明ですが、横須賀市民と重複していた小児科医は

横須賀市立市民病院に出向中)

ただToshikun様も指摘されていますが、慌てたのか故意なのか不明ですが、出向中の5人の小児科医は重複して掲載されています。ですのでパッと見として、横須賀うわまちの小児科医が突然5人増えたような体裁にもなっています。それでも、とにもかくにも重複する5人の小児科医は横須賀うわまちから横須賀市民への「出向」であった事が明らかになったわけです。

出向についての正しい理解といわれても怪しいところはあるのですが、原籍を出向元に残しながら本籍を出向先に移すぐらいの理解をしています。原籍が出向元の横須賀うわまちにあるのでそこの所属と名乗るのも可能であり、もちろん出向先の横須賀市民所属であると言っても手続き上は問題はないぐらいのところでしょうか。そう理解するとペーパーの所属名が時と場合によって両方にあると理解できます。


なぜに異動ではなく出向であるかの理由は様々な内部事情があるのでしょうが、正式に出向と言う事になっても相変わらず謎が少々残ります。とくに小児科トップの要職におられる医師がそうです。少なくとも2011.5.19時点では、横須賀うわまちの

臨床研修プログラム責任者/小児医療センター長

こういう肩書きである事が確認されます。この医師を直接知る方からの情報では人望篤い非常に有能な医師であり、こういう肩書きの要職に勤められても何の不思議もないとはされますが、トップが出向で不在と言うのは組織として珍妙です。同じ市内ですから、行き来がある程度容易にあるにせよ、常勤医としての勤務場所は横須賀市民であり、常識的に考えると横須賀うわまちの不在が多くなるはずです。

こういう状態がいつから続いていたかですが、協会が横須賀市民の指定管理を始めたのが平成22年4月であり、この時にそれまでいた5人の小児科常勤医がすべて入れ替わったとなっていますから、1年半以上続いている事になります。横須賀うわまちも5人が出向で抜けても10人の小児科医がいる組織ですから、トップがほぼ不在状態はあんまり好ましいと思えませんし、普通なら後任を就任させるはずです。

これは下司の勘ぐりですが、横須賀うわまちから横須賀市民に出向している小児科医、とくにトップの医師は「非常にしばしば」横須賀うわまちに「出張」しているんじゃなかろうかと妄想したりします。そうすれば常勤医としてのカウントは横須賀市民に積まれ、勤務の実質として横須賀うわまちの「臨床研修プログラム責任者/小児医療センター長」の責任が果たせる事になります。

横須賀市民での小児科常勤医が5人カウントされる絶対の必要性は、小児入院医療管理料3の加算にあり、施設基準の中に、

当該保険医療機関内に小児科の常勤の医師が五名以上配置されていること。

この項目があるので極めて重要です。出向と出張を組み合わせれば横須賀市民の常勤医条件を満たしながら、横須賀うわまちの「臨床研修プログラム責任者/小児医療センター長」の重責を勤める事も可能ですが、一番基本的な疑問はなぜにそんなに複雑な方法を取るのだろうです。これも前にコメントで指摘されていたことですが、表向きはともかく本当の実態は横須賀市民と横須賀うわまちの小児科は一体運用されているとの観測があります。

つまりは名簿上は横須賀市民と横須賀うわまちに分かれてはいますが、あくまでも名簿上の事で内部的には両病院を医師がシームレスに動いているです。説明としては一番説得力があるのですが、それでもトップは横須賀うわまちにいるのが組織的には宜しい様に思います。外形上の話であるなら、横須賀市民にはNo.2の腹心なりを名目上のトップに置けば事足ります。

内部的に横須賀市民の名目上のトップを横須賀うわまちの小児科センター長の命令指揮下に置けば良いだけの話であり、わざわざ小児科センター長を出向させるのは何故なんだろうと言うところです。あえて言えば、小児科センター長が両病院の名目上のトップにいないと小児科内部の統制が取れない可能性も考えられなくはありませんが、そこまでの内部事情は知る由もありません。不思議さが残る人事であるのだけは間違いありません。



もう一つですが、委託管理から1年半しても横須賀市民の小児科医が抜けた穴が埋まっていないのは事実です。それ以外にも委託管理後に常勤医が不在となった診療科もありますが、未だに穴は埋まっていないようにしか見えません。今どきの医師を集める困難さは十分に理解しますし、一概に協会の怠慢と非難するのは慎みたいですが、穴埋めが出来ていないのは事実になります。

もちろん協会も穴埋めに懸命の努力を重ねられているとは思いますが、そういう状態で光が丘病院の小児科医を日大並みに充実させる事が出来るかはごく素直に疑問符が付けられます。そう簡単に集まるものなら横須賀市民だってたちまち補充できているはずだからです。

光が丘病院の小児科医数のハードルは結構高く、現在の小児科のスタッフはホームページで確認するだけでも9名おられます。プラス研修医も合わせて20人規模みたいな話も聞きますが、とにかく常勤だけで9人です。年間小児救急8000人規模ですから、それぐらいは必要でしょうし、4月以降も日大時代と同程度の水準が要求されているはずですから、常勤医だけで9人と同じないし近い数が望ましい事になります。横須賀の現状に不安を抱く住民がいても不思議ないところでしょう。



協会が本格的に光が丘病院継承に動き出したのは、事前の準備活動は置いといても今年の夏からです。正式には9月に正式に継承に承認されてからになります。4月までの準備期間は非常に短いと言うのは理解しないといけません。この日大撤退、協会継承については練馬区民の不安は大きいのですが、練馬区側は「協会は日大時代と同等の医療を提供する」と繰り返し説明しています。

そう説明しないと住民の怒りはさらに爆発するのですが、現在の光が丘病院にどれほどの医師数がとりあえずいるかです。調べてみると現在の光が丘病院の医師数は95人となっています。結構いるものです。病院の医療水準はある程度医師数に比例します。マンパワーに比例すると言っても良いかと思います。たとえば半分になれば、半分のスタッフが死ぬ気で頑張っても95人体制には絶対に及びません。

ほいじゃ協会は日大時代の100人近い医師を集められるかです。これは客観的には非常に難しいとしか言い様がありません。日大側が漸次撤退の協力をしてくれればまだしもですが、喧嘩別れに近いですから、そうそうの協力が仰げるかは未知数です。日大の協力があんまり仰げないとするならば、練馬区と協会が本音のところとしてかき集めようとしている医師数はどれほどであろうかです。

住民説明会も行われているようですが、練馬区の新山地域医療課長の応答を引用させて頂きます。

回答(新山) 協定書を結ぶまでは時間がかかると認識している。覚書は締結したところ。内容については、さらに区民のかたにも分かりやすい基本協定書というものを、来年3月に向けて締結していきたい。説明会については、今回を皮切りにあと3回やる。自治会の方から説明が十分でないというお話があれば、わたくしのほうからまたお話させていただく。

医師の数だとかについては、今本当に熱心に面接だとかを進めているところ。かなり多くの方から実際に申し込みがあるわけです。非常に短い時間のなかで、実質的に10月の後半から始めたということでまだひと月しかたっていないということで、相当数いろいろな方々、医師、看護師、事務系の人も、来ていただいています。大変申し訳ないが、具体的な数字について、これです、とはまだいえないが、もう少し時間がたてばご報告ができると思います。

この住民説明会ではついに具体的な医師数は明らかにされなかったのが一つの特徴です。まあ、本格的に募集にかかってまだ2ヶ月余りですから、具体的な数字を挙げ難いのも嘘では無いと思います。それ以上に感じるのは、4月時点の目標数がかなり低いラインでないかの観測も出来ます。とても今の時点で住民に説明できるような代物ではないの判断です。

協会と練馬区は覚書を締結したとなっていますが、練馬区議の池尻成二氏が区議会医療高齢者等特別委員会での覚書に関する練馬区側の答弁を紹介しています。医師数のところだけ引用しておくと、

■医師数について■

 法的、医療法上の医師数というのは、病床の回転率それから外来数といったものによって数字は若干異なってまいりますけれども、概ね、病床利用率が90%、現実今光が丘病院は82〜3%、80切ることもございますけれども、90%。それから外来の診療者数を一日約800人、現在光が丘病院で約800には至っておりませんけれども、高め高めで設定しますと、41〜2人というところが法定で定められている医師数でございますが、当然のことながら、病院の機能を高度に維持していくということにおきましては、少なくともこの倍程度以上は必要になるということで、それが目標と掲げております。

医療法上の医師定数の講釈の内容は間違っていませんが、その講釈が答弁の大部分である点に注目します。日大水準が念頭であるのなら、医療法上の医師定員数は半分以下のレベルのお話です。にもかかわらずこれだけ講釈に時間を割くと言うのは、現実の目標数が「41〜2人」じゃないかの勘ぐりです。準備期間の短さを考えると「41〜2人」だって容易なものではありません。

現状の見通しは医師不足による病棟閉鎖を回避するのが精一杯ではないかと言う事です。日大水準を唱えながら、始まってみれば医師不足による病床縮小ではさすがに練馬区も協会も弁明が困難になります。そのため病床がなんとか全部動く体制の死守が、現在の目標死守レベルじゃないかと言う事です。だから住民説明会でそんな現状を今の時点で話すわけにはいかないです。

地域医療振興協会専務理事山田隆司氏が答えられた、

過渡的なところであれば、北、うわまち、場合によっては奈良も含めて支援できるところがあれば数十人の医者が数カ月の間、医師確保ができるまでサポートすることは不可能ではない

この言葉もなんとなく、協会が受け継いだ時点で日大水準のレベルを保つための動員と理解されているフシもありますが、考えようによっては、4月時点で全病床を維持するに足りない医師数であれば、それが集まるまでの動員計画と受け取る方が正しいかもしれません。



何回書いても同じところに話が行き着いてしまうのですが、今日は少しだけ捻りを加えて、東京の小金井市(だったかな?)で起こったゴミ処理紛争問題を頭に浮かべています。トップの不用意な言動によりこじれたゴミ問題を解決するために、市長が引責辞任を行い近隣自治体との話し合いの糸口を作ったと言うものです。

もし現在の協会継承路線を日大続投に変更するのならこれぐらいのリアクションは必要そうに思います。でもありえないでしょうね。ゴミ問題はあまりにも目に見える問題で、文字通り切羽詰ってがありましたが、光が丘病院問題はとにもかくにも4月までは問題を余裕で先送りできます。先送りしてしまえば継承は正式のものになり、日大続投の線は完全に消えます。

そうなると区長を力技で更迭する必要がありますが、区議会は市長支持派が多数とも聞きます。たとえ区議会が動いても、区長側が徹底抗戦すれば4月の時間切れはアッと言う間に訪れます。リコール運動も同上です。ほいじゃ、4月から「やっぱり」のリコール運動を行ったところで後の祭りで、日大復帰のハードルは途轍も高くなり、その上で協会まで撤退すれば病院の存続自体も怪しくなってきます。

時間的には詰んでいる様に思います。つうか、8月に突然の日大撤退問題が出た時点でスケジュール的には既に詰んでいたとも言えそうです。住民が希望をつなぐなら、4月の継承時期はともかくとして「将来的」に協会の基幹病院として「いずれ」日大水準に少しづつでも近づいてくれるのを待つだけになりそうです。協会の最低限の姿勢として、東京の拠点病院として力は入れてくれる期待だけはあるからです。

でも、まだまだもめそうですねぇ。