川嶋諭氏の日の丸弁当論

引用元は、

適当にピックアップしながらやります。


マクロビ

川嶋氏が取り上げた健康料理研究家は、

とてつもなく元気なスーパーおばあちゃんに出会った。74歳にして豊かな頭髪に白髪はほとんどなく、新聞や本を読む時に老眼鏡のお世話になることもない。

 スクワットは平気で70回以上こなし、縄跳びは100回以上連続して飛ぶことができるという。お年寄りになると会話のスピードが落ちがちだが、早口が“自慢”の私の2倍以上の速さで言葉が飛んでくる。

 医者に全くかからないのでデータで証明はできないものの、「体にはひとつも悪いところがない」と言い切る。健康料理研究家の若杉友子さん。見るからに逞しいおばあちゃんである。

川嶋氏はこのおばあちゃんが元気だから、おばあちゃんの健康法を学べば全員が同じようになれるとの論を進めています。川嶋氏は

若杉おばあちゃんは言う。「健康になりたかったら、そして痩せたいんだったら、あなたのお母さんが小さい頃に作ってくれたはずの日の丸弁当を見直しなさい」

ここをピックアップされます。さらにピックアップしたのは、

 「完全にアメリカのプロパガンダに洗脳され切ってしまっているわね。戦後66年も経っているのにこれだものねぇ。アメリカ人がカロリー、カロリーと叫んで、日本人のカロリー摂取量を上げようとしたのは、農産物を売り込みたいからじゃない」

 「2000年以上日本に住んできて、日本の食生活に合った形に体の構造がなっている日本人は肉ばっかりの食生活を送ったら、体に良いことはひとつもないわ。口に極楽、腹地獄というやつね」

最近の研究では健康に良い食事をあれこれ研究したら、日本食がそれに近いなんてものがありましたから、アメリカの陰謀は別にして根拠のない話では無いと思います。ただ健康料理研究家の本態は、

 「ただ自分たちは普段からご馳走は食べられないから自分の畑なら畑、野山なら野山から採れる範囲の食材を採って食べていました。実はそれが健康の秘訣だったのです」

 「身土不二という言葉が日本にはあるでしょう。人間が生まれ育った風土で育った食物は体に順応し、適応してくれるということを表しています。つまり、地元で採れた食べ物を食べているのが健康のためということ」

ここまで読まれればお判りになると思いますが、要はマクロビだと言う事です。「身土不二」だけでマクロビと決め付けて良いかどうかですが、ちょっと長くなりますが、ムックしておきます。私の知識整理の意味合いもありますからお付き合い下さい。


この言葉はもともとは仏教用語wikipediaから、

仏教用語。「身」(今までの行為の結果=正報)と、「土」(身がよりどころにしている環境=依報)は切り離せない、という意味。

これが食事に結び付けられた時には、wikipediaから、

食養運動のスローガン。「地元の旬の食品や伝統食が身体に良い。」という意味で、大正時代に「食養会」が創作した。

ただ大正時代に食養会が創作したかどうかはチト疑問です。ネタモト記事の健康料理研究家の言葉に、

「また、明治時代の人で食養の元祖と言われる石塚左玄という人がいます。明治維新で日本の食文化が大きく崩れ、日本人の健康が害されることを懸念して『食物養生法』という食物と人間の体の関係を深く研究した人です」

石塚左玄が何者かと言う事になりますが、wikipediaは便利です。

石塚 左玄(いしづか さげん、嘉永4年2月4日(1851年3月6日) - 明治42年(1909年)10月17日)は日本の軍医・医師・薬剤師。玄米・食養の元祖で、食養会をつくり普及活動を行った。

福井県出身。陸軍で薬剤監となった後、食事の指導によって病気を治した。栄養学がまだ学問として確立されていない時代に食物と心身の関係を理論にし、医食同源としての食養を提唱する。「体育智育才育は即ち食育なり」[1][2]と食育を提唱した。「食育食養」を国民に普及することに努めた。

石塚左玄が食養運動、食養会の元祖のようです。ただしwikipediaにもあるように「栄養学がまだ学問として確立されていない時代」に独自の理論を作ってのものです。その理論の概略はwikipediaより、

  1. 食本主義[4] 「食は本なり、体は末なり、心はまたその末なり」と、心身の病気の原因は食にあるとした。人の心を清浄にするには血液を清浄に、血液を清浄にするには食物を清浄にすることである[5]。
  2. 人類穀食動物論 食養理論の大著である『化学的食養長寿論』は「人類は穀食(粒食)動物なり」[6]とはじまる。臼歯を噛み合わせると、粒が入るような自然の形状でへこんでいるため、粒食動物とも言った。または穀食主義[4]。人間の歯は、穀物を噛む臼歯20本、菜類を噛みきる門歯8本、肉を噛む犬歯4本なので、人類は穀食動物である。穀食動物であるという天性をつくす[7]。
  3. 身土不二 「郷に入れば郷に従え」、その土地の環境にあった食事をとる[8]。居住地の自然環境に適合している主産物を主食に、副産物を副食にすることで心身もまた環境に調和する。
  4. 陰陽調和 当時の西洋栄養学では軽視されていたミネラルのナトリウム(塩分)とカリウムに注目した。陽性のナトリウム、陰性のカリウムのバランスが崩れすぎれば病気になるとした[9]。ナトリウムの多いものは塩のほかには肉・卵・魚と動物性食品、カリウムの多いものは野菜・果物と植物性食品となる[10]。しかし、塩漬けした漬け物や海藻は、塩気が多いためにナトリウムが多いものに近い[11]。精白した米というカリウムの少ない主食と、ナトリウムの多い副食によって陰陽のバランスくずれ、病気になる[12]。
  5. 一物全体 一つの食品を丸ごと食べることで陰陽のバランスが保たれる。「白い米は粕である」と玄米を主食としてすすめた[13

このナトリウムが陽性だとか、カリウムが陰性だとかの話はネタモトの健康料理研究家の言葉に出ていますから、石塚左玄の食養運動の流れを組む事は間違いありません。それと創始者である石塚左玄が「身土不二」を唱えたのも確認できます。ただ考え方自体はそんな極端なものでは必ずしもなかったようで、これもwikipediaからですが、

軟化と発展力のあるカリウム、硬化・収縮力のあるナトリウムのバランスに注目する[16]。またカリウムは静性に属し、ナトリウム動性に属する[17]。幼い頃はカリウムの多い食事をとることで、智と体を養成する。思慮や忍耐力や根気を養う。また道徳心や思慮を必要とする場合もカリウムの多い食事にする。社会人に近づくにつれ、ナトリウムの多い食事にしていくことで、才と力を養成する。ただし、ナトリウムが多すぎれば、命ばかりか身も智恵も短くなってしまう。バランスが崩れすぎれば病気にもなるので中庸を保つように食養する。

東洋医学の陰陽学的な思想をナトリウムとカリウムに持たせはしていますが、基本は「中庸」であり、平たく言えば年齢に合わせたバランスの良い食事を取ろうぐらいと解釈しても良いとは思います。身土不二だってそんな大層なお話ではなく、明治時代初期なら殆んど人間の食事は自然に身土不二にならざるを得なかったと思います。輸送力、保存能力が今とは懸絶している時代ですから、生鮮食品になるほど地元の食材しか食べようがなかったとしても良いかと思います。

石塚左玄が食養運動の流れは明治から大正期に引き継がれ拡大する事になります。マクロビの提唱者・創始者とされるのが桜沢如一ですがwikipediaから、

二十歳の頃、食養家・後藤勝次郎を通して[1]石塚左玄の「食養生」に触れ、健康を回復する。その後貿易商として活動する傍らで、石塚の主宰していた大日本食養会に参加。1924年には同会会長となり、石塚の死後伸び悩んでいた同会の復興・指導に専念する。1939年、大日本食養会本部付属・瑞穂病院の閉鎖を機に同会を脱退、翌1940年、無双原理講究所を滋賀県大津市に開設する。

その傍ら執筆活動を続け、石塚の唱えた「夫婦アルカリ説」「ナトリウム・カリウムのバランス論」を易経の陰陽に当てはめた無双原理を提唱。1929年に単身シベリア鉄道経由でパリに渡り、ソルボンヌ大学に留学。次いで、同年、フランス語にてパリのVrin社より『Le Principe Unique de la Science et de la Philosophie d'Extreme-Orient (東洋哲学及び科学の根本無双原理)』を上梓、東洋思想の紹介者としてヨーロッパで知られる様になり、アンドレ・マルローなどと親交。1937年に帰国すると『食物だけで病気の癒る・新食養療法』を実業之日本社から刊行。たちまち300版余を重ねるベストセラーとなる。

読めばわかるように桜沢如一石塚左玄の系譜をしっかり引き継いでいる事が確認できます。石塚左玄の食養運動は桜沢如一が参加する頃は沈滞気味みたいだったようですが、桜沢如一は中興の祖として大発展させたと見れそうそうです。wikipedia身土不二を「大正時代に「食養会」が創作した」としているのは桜沢如一が人口に膾炙するぐらいに広めた事を意味すると考えます。

この辺は推測になりますが、石塚左玄がナトリウムやカリウムを使ったのは明治期にはきらびらやかな外来用語であったと見ています。外来用語であるだけではなく最新の科学研究の色彩もあったのだと思います。しかし大正期になると正統の栄養学に押されてきたと見ます。ナトリウムやカリウムでは明治期ほどのきらびらやかさも最新科学の神秘性も保てなくなったと言う事です。

桜沢如一の復興運動は、石塚左玄の理論に当時の最新科学のエッセンスを取り入れたのが成功の要因であったように見えます。そのためにフランスまで留学し、洋行帰りの絶大な信頼の下に食養運動を再興させたと言う事です。

話を身土不二に戻しますが石塚左玄の時代はこの言葉はさして重視されなかったと考えます。理由は単純で、上記したように石塚左玄の時代では強調しなくとも勝手にそうなっていたからです。ところが桜沢如一の時代になると、もう少し流通が発達し、身土不二をわざわざ唱える価値が出てきたんじゃないかと考えています。だからマクロビには身土不二が今でもしっかり根付いていると言う事です。

石塚左玄の食養運動から、桜沢如一のマクロビはしっかりと一本の線で結ばれています。この系譜の運動の欠点は、スタートが近代栄養学から外れた点で成立しているところです。明治・大正期の栄養学はまだ進化の途中であり、この系譜の運動はその時代では理論的にもまだ対抗できるものがあったのかもしれません。科学の発展の揺籃期にはしばしば起こることです。ハーネマンの時代のホメパチもそんな感じであったと言えます。

とくに桜沢如一のマクロビは正統の近代栄養学に押されて陳腐化しかけていた食養運動を理論面でも極限まで高めたのかもしれません。ま、当時の栄養状態を考えれば、どんな思想を持とうが「まともな食事」を取るだけで栄養は劇的に改善したでしょうから、目に見える効果も期待できたのは容易に推測できます。

ただし近代栄養学は現代科学の一環として、近代さらに現代医学とも連動して発展します。一方で食養運動もマクロビも始祖の理論がドグマ化して進歩しなくなります。ホメパチと現代医学の関係ほど極端でないにしろ、食養運動もマクロビの理論も陳腐化します。理論は陳腐化してもマクロビが根強く現在も残っているのは、ホメパチ砂糖粒同様に健康人が使う分には害が生じる事が少ないと言うだけです。害が生じるのは絶対の信仰と化した時です。

身土不二だって「なるべく地元の食材を食べましょう」レベルの受け入れならば大した話でないと言う事です。


えらい長い説明になってしまいましたが、健康料理研究家はマクロビですし、健康料理研究家の、

    身土不二という言葉が日本にはあるでしょう
日本にあるのは否定しませんが、食事に関しての一般用語として存在するわけではなく、あくまでも食養運動からマクロビ運動につながる思想家の中にだけある専門用語に過ぎません。それも使われ始めたのは明治期であり、それなりに広がったのは大正期以降のお話で、現在でもかなり特殊と言うか、限られた団体の方々の思想的な用語です。


例外例とデータ

74歳の健康料理研究家は元気なのは事実としてよいかと思います。ただし、1例を取り上げる時には注意が必要です。例外例なのか一般例であるかです。健康を表す一番簡単な物指しに平均寿命があります。今年74歳の健康料理研究家は1937年ぐらいに生まれた事になりますが、当時の平均寿命は50歳ぐらいです。

もっとも平均寿命にはマジックがあって、乳幼児死亡率が大きく影響すると言うのがあります。そこで平均余命の年次推移がありますから1935年と2009年の女性の平均余命で較べておきます。

年齢 1935 2009
0歳 49.63 86.44
20歳 43.22 66.81
40歳 29.65 57.00
47.25
65歳 11.88 23.97
80歳 4.67 11.68
90歳 5.86


1935年が凄いのは0歳と20歳の平均余命が殆んど差がない事です。乳幼児死亡の影響の大きさがよく判るところです。では無事20歳まで生き延びれば後は変わらないかと言えば、そうではないのはデータが示すとおりです。これは女性の平均余命ですから、戦前であっても基本的に戦争は影響しません。また1935年のデータですから戦災も関係ありません。

健康料理研究家の主張では、この時期の方が食事内容は今よりかは良かったわけです。もちろん、その後に公衆衛生の向上も、医学の進歩もありますが、そういう要因は食事の劣化を凌駕したと言うのでしょうか。

それと現実にこの健康料理研究家は元気であるとの主張はあります。ここに例外例問題が出てきます。司馬遼太郎の小説ですから脚色はあると思いますが、日露戦争で日本の騎馬隊を率いた秋山好古の食事はご飯と漬物と酒で殆んどであったとされます。基本的に極端な粗食であったのだけはほぼ間違い無く、それでも晩年まで健康体であったとされます。

研究の対象にするものが例外例であるか、そうでないかを検証するためには、同じ条件での他の例の検証が欠かせません。健康料理研究家と同じ食事、同じ環境でいる者のほとんどが、同じような健康体であるという事実が確認されてこそ意味があるもので、たまたまずば抜けた健康体をもって生まれ持った人間の研究を行ったところでたいした意味はないと言う事です。


もう一つこれも健康料理家の主張ですが、

「日本のお米には栄養素がいっぱい詰まっているのよ。欧米人が食べている麦から作ったパンに比べたらはるかに栄養価が高い。何より昔のお相撲さんはお米を食べて大きくなったじゃないの。それから、お子さんの背を高くしたいなら良い日本の食材があるのよ」

これはごく簡単に否定されます。関取は相撲界に入って横には大きくなったと思いますが、縦には伸びません。体格は生まれつきの要因が大きく、どんなに努力しても小さい人は小さいのが現実です。相撲界は小さい人を大きく育てたのではなく、大きい人が選ばれて入るところです。アメリカ人だってそうで、NBAで活躍できるのは一定以上の身長に恵まれたものだけです。バスケをやれば背が伸びるわけではありません。

平均身長のデータがありますが、1950年の30歳代の平均として男性160.3cm、女性148.9cmと言うのがあります。以後は一定のペースで伸びています。一般的には栄養の向上説が良く使われますが、これも微妙なようでwikipediaから、

日本においては、第二次世界大戦後の国民の栄養状態改善(肉食の普及)によって青少年の身長が大幅に伸びたと言われるが、実際はそのような単純なものではない。東京帝国大学(現在の東京大学)男子学生を対象とした調査によると、1910年代から1940年代の30年間に3.1cmの身長増加が認められ、同じく女子学生では1910年代から1950年代の40年間に3.4cmの増加があり、戦前から男女共にほぼ10年間に1.0cmという急速な身長の伸びが見られた事が分かる。[3]歴史を遡ると、成人男子の場合、縄文時代には156cmから160cmであったが、古墳時代には165cmほどになり、以降は鎌倉時代室町時代と経るにしたがって次第に低くなり、江戸時代には157cmと、歴史時代では最も低くなり、以後増加に転じて、明治以降は急速に高くなった[4]。これらは栄養の良否だけでは説明が付かない。

食事だけの観点で見てしまえば、江戸時代の食事が最悪と言う事になり、明治以前では古墳時代が最高になります。食事だけですべてを解説しようとすれば相当な努力が必要になります。もっとも古墳時代はコチコチの身土不二状態であったとの強弁も可能ですが、貴族ですら当時に具体的にどんなものを食べていたかは不明の時代です。


川嶋社長

川嶋氏はネタモトにあるプロフィールでは、

早稲田大学理工学部卒、同大学院修了。日経マグロウヒル社(現日経BP社)入社。1988年に「日経ビジネス」に異動後20年間在籍した。副編集長、米シリコンバレー支局長、編集部長、日経ビジネスオンライン編集長、発行人を務めた後、2008年に日本ビジネスプレス設立

日本ビジネスプレスとはJBpressのことで、なんの事は無い今回取り上げた記事は今週のJBpressと言うコーナーの一つです。体裁からして社長ブログみたいなものと思えば良いでしょうか。もう少し川嶋氏の紹介をやっておけばGlobal Taskforceのパワーブレックファーストミーティング(朝食勉強会)"アーリーバード"〜TOKYO EARLY BIRD MEETING〜にJBpressの紹介があります。
JBpress(日本ビジネスプレス)とは?http://jbpress.ismedia.jp/]

>国際化、日本再生、地方の復活を3本柱に、日本の採るべき戦略とリーダーシップのあり方を読者とともに考えるニュース解説サイト。単なるニュース配信ではなく、世界で起きていることの歴史的意義を読み取り、日本の進むべき道を提案する。
>対象読者は、学生、ビジネスパーソンからリタイア層まで、日本の未来に関心のある人たちすべて。
■英エコノミスト誌、フィナンシャル・タイムズ紙と提携、政治・経済に関する海外メディアの視点を紹介
■日本の地方にある独自の技術やサービスを掘り起こし、地方経済や地域振興の取り組みをレポート
■中国、韓国、ロシアなどの地域、イノベーションや農業分野などの専門家による、日本再生への多彩な提言コラム

なかなかの志で、

    国際化、日本再生、地方の復活を3本柱に、日本の採るべき戦略とリーダーシップのあり方を読者とともに考えるニュース解説サイト。単なるニュース配信ではなく、世界で起きていることの歴史的意義を読み取り、日本の進むべき道を提案する。
川嶋氏の紹介はこれぐらいで良いと思います。気鋭の言論人であると自負されているようで、活躍分野はこれからの日本の進むべき道を提案するみたいな構想でJBpressを主宰して情報発信を行っているぐらいの解釈でよいかと思います。まあ一種の賢人みたいな位置付けの言論人とでも受け取りましょうか。


余計な心配

川嶋氏がマクロビを取り上げた意図はなんであるかです。考えられるのは、

  1. 前々よりマクロビ思想に傾倒しており、初めて触れたようなフリをして紹介を書いた
  2. たまたま取材したマクロビ思想に引き寄せられた
このどちらかが考えられます。a.であれば心底からマクロビ思想を日本の取るべき道として提案した事になります。それもマクロビの極端な方の思想を積極的に提案したと言っても良いかと思います。別に個人の自由ですが、そういう思想の社長が主導する情報会社と言う事になります。

b.であればどうなるかです。あえて触れませんでしたが、後半部分も含めて手も無く引き込まれる程度の人物という事になります。なんちゅうても日の丸弁当論だからです。こういう情報に接して、感性だけで情報提供を行ったと言えそうです。今日の検証データは非常にお手軽なものですが、それぐらいの情報分析さえ行わなかったと言う事になります。

もちろん私程度、またはそれ以上の情報分析を行った上で、マクロビの健康食事研究家を信用した可能性は残りますが、それならそれで素晴らしい情報分析になります。別にマクロビを信じようが、これを宣伝しようが個人の自由ですが、そういう分析・思考法の情報発信をやっているのがJBpress社であると言う事になります。



もう一つ問題点はあります。ネタモトのサブタイトルに注目したいのですが、

具体的にこれがどう表現されているかですが、

福島第一原子力発電所の事故で、日本の食料の健康と安全性が脅かされたが、それは逆に私たちが日本の良さを再認識する好機を与えてくれたと言えるのかもしれない。

そこそこの分量があるコラムですが、福島原発事故に触れた部分はここだけです。あえて言えば冒頭部に、

最近は「夏痩せ」という言葉が死語になりつつあるようだ。政府と電力会社から過度な節電を強要された今年は例外だったかもしれないが、エアコンの効いた快適な部屋で過ごしていると暑い夏でも食が進み、涼しさを感じるお彼岸の頃、決まってお腹の周りの脂肪が気になり始めダイエットを志す、というのが年中行事のようになってしまっている。

全部あわせてもこれだけで、残りはひたすら日の丸弁当論からマクロビ思想の大宣伝になっています。別に原発事故を持ち出してこじつけなくても良いと思いますが、旬の話題ですから川嶋氏は無理やりにでも出したぐらいには思います。

ただ無理に原発事故を持ち出したお蔭で、どうかと思う部分が出てきています。マクロビの思想の中に身土不二があるのは有名です。こんなに捻って言わなくとも、入口論的に生まれ育った土地で出来た作物を食べるのが体に一番良いというものです。川嶋氏のコラムにもその点は強調されています。

ただ福島原発事故が入ると話が非常にややこしくなります。それこそ福島の人はどうなるかです。原発の避難区域は工業地帯と言うより農業地帯です。農業地帯と言っても、自給自足の牧歌的なものではなく、作った農産物を他地域に販売するのがビジネスモデルの基本になります。しかしマクロビの身土不二は基本的にこれを否定しています。

その点は思想上の理想として置いておくにしても、避難地域の住民は生まれ育った土地の食材を作りたくても作れず、食べたくとも食べられない現実があります。そもそも生まれ育った土地に住むことさえ今は出来ないのです。この事は身土不二の言葉より100万倍広く知れ渡っている事実です。

ま、取り様で身土不二原発事故で出来なくなっている人々を見て、それが出来る幸せを再認識すると言う主張であると見れないこともありませんが、この時期にあえて喩えに出すのが適切かの問題はあると感じます。わざわざ無理に持ち出さなくとも良いんじゃないかの感想です。仮に持ち出すにしても、もう少し丁寧な補足解説をするべきではないでしょうか。

要らぬ誤解を招きそうな点だと思います。