ブログ始め

あけましておめでとうございます。今年もまたブログが始まるわけですが、御目出度いと言う事にさせて頂きます。新年を飾る話題は何にしようかと思ったのですが、平和な話題にさせて頂きます。これは某SNSで出ていた話題なのですが、

平和すぎる話題ですが、某SNSの話題にコメントしようと思っているうちに話が膨らんでしまったので、エントリーに仕立ててみます。この問題はとりあえずおせち料理とは何ぞやから入る必要があります。ここは割りと簡単で、「おせち = 御節」であり「節」とは節日、もうちょっと平たく言えば節句になります。節句とは五節句とも呼ばれ5日あるのですが、

月日 節日 別称
1月7日 人日 七草
3月3日 上巳 桃の節句
5月5日 端午 菖蒲の節句
7月7日 七夕 たなばた
9月9日 重陽 菊の節句


古くはこの5日だけではなく、他にも節日はあったそうですが、江戸幕府が公式にこの5日を祝日して定め、この日を祝うために作られたご馳走の事をおせち料理と呼んだそうです。ちょっと注目しておいて良いのは五節句には正月が入っていません。これは正月が節日になっていないのではなく、正月は言うまでもない節日であったと解釈するべきでしょう。

現在では正月以外の節日を特別の料理で祝う慣習は廃れてしまい、「おせち料理 = 正月料理」になってしまった様です。たぶんなんですが、各節日に独特の料理があったんじゃないかと思っていますが、今なら1月7日の七草粥ぐらいしか私は思い出せません。無理やり他の料理を考えても、う〜ん、端午の節句ちまきはどうなんだろうと思うぐらいです。

さておせち料理の基本なんですが、wikipediaより、

御節料理の基本は、お屠蘇、祝い肴三種(三つ肴)、雑煮、煮しめである。

あえておせち料理の特徴として挙げられるのは、保存性の高い料理が使われています。これは正月に可能な限り竈の火を使わずに済む様にした、女性への配慮とされています。さて今日のムックはおせち料理のルーツを調べる事ではなく、雑煮がおせち料理に含まれるかどうかです。それについての答えはwikipediaでは既に出ているのですが、一方でwikipediaにはこういう記述もあります。

一般的には、御節料理とは、献立すべてを指すのではなく、重箱詰めされた料理のみを指す

ここは考え方と言うか、見方になるのですが、「おせち料理 = 正月料理」としてしまえば、雑煮はおせち料理に入りますが、おせち料理を正月料理の一つのパーツと考えれば、雑煮はおせち料理に入りません。ですから入るという考え方と入らないという考え方の両方が成立可能とも言えます。



これでは愛想が無いので雑煮の方をもう少しムックしてみたいと思います。前から疑問なんですが、雑煮は何故に雑煮と言うのだろうと感じています。雑煮のネーミングが「???」な感じなのです。ごく素直に読めばごった煮みたいな料理を思い浮かべてしまうのが雑煮です。普通に読めば雑多な煮物みたいに読めるからです。

でも料理としては必ずしも雑多な煮物とは言い難いところがあります。これは元もとの雑煮から、なんらかの過程を経て現在の雑煮に変遷していく過程があったと考えるのが自然です。自然なんですが、これがまあ、どこにもはっきりした事は書いてありません。書いていないと言うのは調べる上で答えが無いので難儀なんですが、代わりに話を自由に膨らませる楽しみがあります。

武家社会の正式と言うか公式の饗応の食事に本膳料理と言うのがあります。本膳があって二の膳、三の膳がつく(七の膳まであった記録があるそうです)形式のものです。今は一般的に用いなくなりましたが、御馳走の表現に「二の膳付き」なんてものもあります。その本膳料理の正式コースは、

    式三献 → 雑煮 → 一の膳(本膳)→ 二の膳 →・・・・
本膳が出る前に雑煮が出るとなっています。今に残る本膳料理に雑煮が出るかどうかは食べた事が無いので存じませんが、かつてはそうであったと言う事です。この本膳料理の雑煮が今の雑煮かどうかです。と言ってもこれも調べてもはっきりしません。

ほいじゃ本膳料理はどうやって成立したかを調べてみます。本膳料理のルーツは椀飯であるとされます。椀飯も元は宮中の宴会で椀に高く飯を盛り上げたものがそうであったとなっていますが、武家社会に入り込んで変わって行きます。当初は目下のものが目上の者を接待する料理を椀飯と呼んだようです。鎌倉期なら有力御家人が北条執権家を接待したり、室町期であるなら将軍家を有力大名が接待したりです。

椀飯も初期は質素であったそうですが、時代が下るに連れて豪華になり、さらにいつしか目上の者が目下の者を接待してもてなす時に用いられる用語に変わったとされます。ごく簡単な理解として、饗応料理として儀礼が伴って成立し、本膳料理になっていったとしても間違いでは無さそうです。

ここでの雑煮とのかかわりなんですが、椀飯にしろ本膳料理であるにせよ、ご馳走であると言う事です。雑煮は間違い無くご馳走として取り扱われていたとしても良いと思われます。もう一つなんですが、最初は目下の者が目上の者を接待したものであるのも重要かと考えます。目下の者が出せる料理として雑煮が重視されたと考えても良さそうです。

目下の者が目上の者を接待する時には、豪華さより誠意が重視されるかと思われます。ここでの雑煮ですが、形式として取るものもとりあえず、まず食事を提供するという形式が礼としてあったんじゃないかと考えます。つまり雑煮とは、元もとがありあわせの物で急いで作った料理と言う意味ではなかったかと考えます。つまり速度こそが誠意みたいな感じです。

椀飯と言っても、年がら年中行われるものではなく、特別の日のみに供されます。特別の日の代表的な日が正月です。正月と餅の取り合わせと言うか、特別な関係は書くまでもないと思いますが、正月の雑煮の豪華さアップとボリューム感のアップのために、雑煮に餅が入れられたと考えます。

あくまでも推測ですが、雑煮に餅を入れる発想が革命的なものであったんじゃないかと考えています。ここもごく簡単には日本人の味覚、感性に非常にマッチした取り合わせであったと言う事です。さらにこれは武家が始めたものではなく、もともとは庶民階級の料理法であったとも考えます。それこそ武士を庶民が椀飯した時に出されたご馳走が、餅入りの雑煮であったんじゃないかと推測しています。

食べた武士も美味しかったので、さらに上層階級の武士を接待する時に餅入りの雑煮が出され、これが順番に上に広まった可能性を考えます。想像の翼をどんどん広げますが、上層に行くほど元もとの料理である雑煮はよく知らなかったと思われます。つまり雑煮とは餅が入った汁物ものであると考え、そちら方面の洗練が行われたと推測します。

本膳料理形式が成立する過程において、既に餅の入った雑煮は欠かせない御馳走になっており、さらに「雑煮とは餅の入った汁物である」に変化して定着したと考えても飛躍しすぎではないと思います。本来ありあわせの雑多な煮物料理であった雑煮が、餅の入った汁物に定義が変更され、変更された定義が今度は庶民階級に下りてきた可能性を考えます。

こういう過程を経たために、雑煮は餅が入っている共通点を除いて、全国各地で多彩な種類があります。多彩な種類はあっても、概念として御馳走であり、餅は必ず入っています。名前が雑煮に定着したのは不思議ではありますが、これは本膳料理が定着する以前に既に餅入りの雑煮が普及しており、これを変更するのは無理であり、変更されたのは餅が必ず入るという一点であったと解釈しています。


この仮説は本膳料理の雑煮が餅入りでないと成立が危うくなるのですが、もう一つの考え方としては、餅入りの雑煮が正月の特別料理として定着したのが先立ったかもしれません。餅は特別の食材であり、正月以外にそうそうは食べるものでなかったはずです。正月のみが誰しも餅を用意している時期であったと考える事もできます。

特別の食材である餅を雑煮に浮かべる事は、ただの雑煮が何段も豪華な料理に変身したと見えたのかもしれません。そのために餅を浮かべた雑煮のみを雑煮と呼ぶようになり、餅が入らない雑煮は、雑煮と呼ばなくなった事も考えられます。今でも雑煮を「お雑煮」と呼びますが、これはひょっとして餅が入った雑煮を「お雑煮」と美称を付けて呼んだ可能性も十分あると考えています。



こう言うとりとめも無い事を、ノンビリ考えられるのもお正月の良いところだと思っています。皆様も美味しいお雑煮を召し上がられたでしょうか。理屈はともあれ、現在でもお正月に雑煮は欠かせませんからねぇ。つう事で今年もよろしく御願いします