ツーリング日和3(第20話)幸楽園

 ほう、これが幸楽園か。表にまぁ、恥ずかしげもなく堂々と書いてあるわ。庭は広いけど、なんちゅうか仕上がりが良うない気がするわ。もうちょっと、なんとかならんもんか。あそこの池の太鼓橋も取って付けた感があるもんな。石も庭に馴染んどる気がせえへん。

 玄関の車寄せも唐破風になっとるけど、なんか無理やり感があるな。玄関は広いけど、なんかしまりがあらへんな。活けてある花も浮いとるし、心得があるやつが活けたとは思えへん。

 玄関から仲居が案内に付いたが、着付けからなっとらん。それに着物になれとらへんやんか。仲居やぞ、着物着てナンボの商売やろが。部屋に入ったが、もうちょっと案内の仕方があるやろが。部屋はパッと見は豪華そうやけど、

「聚楽風の壁紙だね」

 和風建築で最高の壁は聚楽や。そやけど本物の聚楽を作るのは今は無理や。聚楽に使う土がまず手に入らん。それなら漆喰でもエエやんか。砂壁でもかまへんし、珪藻土でもエエ。それを石膏ボードに壁紙で聚楽風にしてあるのがケチ臭い。

「掛け軸もプリントね」

 掛け軸だけやのうて、他の調度もパッと見だけで、どうにもパチモン臭い。なんか全部映画のセットみたいや。セットやったらこれでもエエねん。問題になるのはカメラ映りだけやからな。

 そやけどこの店が相手にしとるのは客や。目で見るだけやのうて、手で触るもんや。福井一いうのやったら、こういうのを気にする客も対象やんか。そこで違和感持たれだけで不味くなるのがわからへんのんかな。ちょっとでも目のある客にコケ脅しは通用せんで。


 さて料理やけどまず先付や。先付は漫才で言うたらツカミや。これから出てくる料理の先触れやからかな。この辺は料理人の考え方や、その日の組み立てによって変わるけど、季節性を感じるもんを出したり、珍味を出すパターンも多いんやが・・・おいおい、いきなりウニか。

「清次、このウニは」
「越前ウニは有名でっけど、さすがにこれは・・・」

 次がお凌ぎになるけど。これは先付で乾杯になるから、胃に少し食べ物入れて、メインの料理がくるまで空腹を凌ぐぐらいの位置づけや。そやな、手毬寿司出したり、素麺とかウドンもあるわ。

 フレンチやったら先付がオードブルで、お凌ぎがパンかもしれん。先付とお凌ぎで合わせてオードブルでも、先付がアミューズでお凌ぎがオードブルでも構へんと思う。ほほぅ、蕎麦か。越前蕎麦は名産やけどこの時期に出すか。

 えっ、この蕎麦なんやねん。おろし蕎麦仕立てにしとるが、麺もあれやけど、それより汁が・・・これは、なんのつもりや。清次も苦り切った顔しとるし、コトリさんやユッキーさんも変な顔しとるわ。井筒さんには無理か。

「これは・・・」
「椀物まで待ちまひょ」

 椀物は箸洗い、口すすぎともされるが、フレンチやったらスープになるかもしれんが、この後に向付、八寸、焼き物、炊き合わせと続いて行くんよ。でもフレンチのスープより位置づけは重くて日本料理の華ともされとる。

 椀物はいよいよ本番が始まりますよの先陣みたいなもやけど、それだけやない、その日の料理のエッセンスを具現化したものとしても言い過ぎやない。一流を自負する料亭やったら勝負どころと張り切るところや。

 椀物で重要なものを一つ上げるんやったらダシや。ダシを飲ませるのが椀物の命や。そこに料理人のこだわりがすべて凝縮される。もちろんダシだけを飲ませるわけやないがダシが味の主役と言うより王様なんや。

 具かってダシの味を引き立てる脇役に過ぎん。椀物とは言い切ってしまえば、料理人が出せるダシを満喫してもらうための料理と思えば良い。どんなダシを出せ、どんな風にダシを楽しんでもらうかなんよ。

 そやから椀物で料理人の腕がわかるとされとる。ダシは和食の基盤やからな。料理人かって椀物がそういう風に食べられるのを百も承知やから、渾身の料理を出すんや。清次が椀物まで待ったのはそのためや。

 蕎麦の汁もそうやってんけど、いくらなんでもこのダシはないで。言うとくけどダシを取るのは簡単やない。フレンチやったらコンソメになるし、コンソメを作るのも難しい。あれは素材から取るからな。

 それに比べて和食はダシを取りやすいように素材があらかじめ加工されとる。昆布とカツオや。それを煮立てれば取れると勘違いしとるやつも多いけど、まったくちゃう。昆布ダシ一つでも、昆布の洗い方、茹で方で大きな差が出る。

「利尻でも同じ昆布はありまへん」

 カツオもそうや。カツオ節も一本一本味が違う。言うまでも無いけど削り方一つで変わる。そやから、どうしたって味にバラツキが出る。そうせんようにするのが腕やけど、微妙な出来不出来はある。そやけど、このダシは根本的に違う。こんな味が出るダシとなると・・・こんなもん冗談やろ。

「お嬢はん。もう十分やと思いま」
「うちもや。まさか、ここまで酷いとは思いもせんかったわ」

 仲居を呼び出して、

「板前、呼んでくれるか」
「ここにですか」

 あのなぁ、客が板前呼びつけるって意味をしらんのか。それが起こるのは料理を褒める時か文句言う時や。それも椀物済んだ段階で呼びつけるというのは文句しかあらへんやろ。せめて驚いた顔ぐらいせんかい。

「今は忙しいですから・・・」

 そんなもん、わかっとるわい。それでも呼びつける意味を悟らんかい。しょうがないな。メモ帳にメッセージ書いて・・・これじゃ渡さんかもしれんな。心づけも渡しとくか。手間がかかるわ。

「板前さんに渡してくれるか」

 仲居は不審そうな顔をしとったけどアホか。すぐに板前は飛んで来よった、

「お嬢はんやありまへんか。せ、清次さんまで」
「英二、店の表の能書き見たで。あんなもん読まされるとは思わんかった。そやから、そこまで言うもん食べてみた」

 英二はうちの板場におったやつや。

「清次、教えたってくれ」

 清次は冷ややかやった、

「先付にウニ使うのもどうやと思いますが、瓶詰のウニとは恐れ入りました」

 うちもビックリしたもんな。

「蕎麦もそうだす。井筒さんもおられるので、簡単に説明しておきますが、蕎麦には乾麺、生麺、茹で麺がございます。今日出たのは茹で麺どす。これだけでも信じられまへんが、一流を自負する料亭では、さっき言うたどの麺も使いまへん」

 そうや、そんな麺を使える神経が論外や。

「使うのは打ち立て麺のみどす。蕎麦を打てないのは料理人の恥ではありまへんが、打てないなら出さないものどす」

 清次は優しいで。あの麺はスーパーでも売ってる程度のもんや。こんなもん、ここで出す麺やあらへん。蕎麦は三たて言うて、

『挽きたて、打ちたて、茹でたて』

 これは鉄則や。鉄則守らんでも、それなりに美味しい蕎麦は食べられるけど、やっぱり味は落ちる。うどんと蕎麦は似たような麺類やと思われがちやが、かなり違う。蕎麦はうどんより遥かにデリケートなんよ。

 とにかく蕎麦の風味は失われやすい。本物の蕎麦を食べたいのやったら石臼で挽かなあかん。機械で挽いたら熱もつからそれだけで風味を損ねるからや。それに石臼で挽いても、挽いた瞬間から風味は落ちてくぐらいやねん。

 蕎麦の実を挽いたら、すぐさま蕎麦を打ち、切って麺にしたら引き続いて茹でるのが蕎麦を最高の状態で食べる方法や。これを三たて言うけど、このクラスの料亭で三たて守らん蕎麦を出すなんて暴挙や。

「それだけやおまへん。出すなら四たてどす」

 四たてとは、三たてに「獲れたて」を加えたものや。蕎麦は実の状態でも風味はどんどん抜けていく。そやから新蕎麦は珍重されるんや。越前蕎麦にも夏蕎麦と秋蕎麦はあるが、秋蕎麦の方が美味い。

 その秋蕎麦やが出回るのは十一月ぐらいになる。今は十月や。端境期やから夏蕎麦の古いのしかあらへん。そんな時期の悪い蕎麦をわざわざ選ぶセンスが信じられん。ましてや越前蕎麦の本場やんか。客の中にも蕎麦通が多いに決まっとる。その舌を満足させなあかんのに、こんなもん出してどうするんや。

「和食の命はダシでございます。これは料理人の命でっせ。それにダシの素を使うのは冗談にもなりまへん。少なくとも一流の看板挙げてはる店で出せるような代物ではありゃしません」

 さてどうこの落とし前つけたろか。