ツーリング日和3(第22話)英二

 ビックリしたわ。もっと軽い水戸黄門ごっこで終わるかと思ってたのに、マイは泣き崩れるわ、清次さんが鬼のように怒りまくるわの修羅場になるとは思いもせんかった。とりあえず昼飯は先付から椀物で終わってもたから腹減った。おっ、サイゼリアがあるやん、ここにしょ。

「わてもお嬢はんも福井に来る前は・・・」

 コトリもそんな予想はしとった。幸楽園の店の作りや、仲居の質見て確信したぐらいや。すべて平井が仕組んだ事やろと。投資の早期回収を考えて、店は上辺だけの作りにし、仲居連中もバイトや。ユッキーも、

「次にやる事は材料費の質を落として、単価当たりの収益率を上げることになるけど、それも平井の指示かと思ったもの」

 そうやねん。泣く泣く従わさせられた板前って構図や。マイも清次さんもそうだろうと目星を付けて福井に乗り込んだ来たぐらいや。

「わてもお嬢はんも英二を救い出そうと考えておりました。いくらお手当をもらえても、あんな板場に居たら英二の腕が腐ってしまいます」

 英二は関白園では脇板まで進み、立板も時間の問題だと言われていたぐらい優秀やったそうや。

「わての二つ下でっけど、腕は本物どした」

 清次さんも目を懸けていたで良さそうで、

「お嬢はんもそうで、関白園の将来を担えるぐらいに期待しとりました」

 それが突然辞めると言い出し、清次さんもマイも随分引き留めたそうやけど、辞めてもたそうやねん。それから消息もなかったそうやけど、

「ちょっと化粧直して来るわ。泣いてもたからボロボロになってもた。こんなんやったら清次に愛想つかされてまうわ」

 マイは化粧室に行ってんけど清次さんは深刻な顔になり、

「料理の世界も広いようで狭うて、英二が福井の幸楽園におる噂は聞いてましたんどす」

 清次さんは苦しそうに、

「清次さんはもしかして、全部知っとったんか」
「お嬢はんは頭から信じておりまへんでした。むしろ英二が立派にやっていると喜んどられたぐらいどす。お嬢はんが英二を信じるなら、わても信じたかったんどす」

 コトリが連絡した後のマイはかなり動揺しとったみたいで、

「先々代が見に行くいうのを強引に捻じ伏せられとります」

 その前にコトリが捻じ伏せられてもたが、それって、

「お嬢はんもどこかで感じておられたはずどす。先々代が出向いてしまえば英二のすべてが終わってしまうと心配されたんやと思います」

 平井が法春荘の買収に失敗した後に幸楽園を立ち上げとる。新日本海グループにしても高級和食は初めての事業やんか。これを新規に始めるとなるとノウハウから困るとこや。そこに現れたのが英二やったみたいや。

「そんな噂をお嬢はんは信じなかったんどすが・・・」

 結果としてみると英二は自分が大阪の関白園の板長にまでなり、龍泉院の名も許されるほどの凄腕やと平井に売り込んだようや。実際に料理を作らせてもそうやから、平井は頭から信じ込んだんやろ。

「英二を信じて新日本海グループも幸楽園の投資を決断したんか」
「そう見るしかおまへん。平井も騙されたんどす」

 新規で料亭を立ち上げる時の最大のネックは優秀な板前を確保する事やから、これが手に入ったら動くわな。最初は英二も真面目に仕事をしていたみたいでエエやろ、その結果が法春荘の衰退と幸楽園の躍進や。そりゃ、ますます信用するやろ。

「雇われのタチの悪い料理人の常套手段みたいなものですが・・・」

 幸楽園やなくとも板場で板前の地位は絶対や。脇板やなんや言うても板場では全部見習い同然の地位になるねん。関白園と龍泉院の看板まで背負うた英二の幸楽園の地位は絶対者みたいなもんやったで良さそうや。そういう時にやらかすのが、

「出入りの業者と手を組んで、仕入れ値を誤魔化すことどす」

 ここも話をシンプルにしとくけど、料理の代金と材料費の差が粗利益ぐらいと見てくれ。そこからさらに人件費、光熱費、減価償却費、建物の負債の返還モロモロが引かれるのやけど、粗利益を確保するために材料費は決まる。

 経営者が注意するのは材料費の帳尻だけになってまう。平井は経営者であって料理人やない。英二が帳尻さえ合わせば口出しをせんというか、出来へんわ。下手に英二の機嫌を損ねて出て行かれたら、後釜なんかおらへんからな。

「あの場ではウニと蕎麦とダシしか指摘しまへんでしたが・・・」

 椀物の具材も、蕎麦の大根おろしも、

「やってまんな」

 以降に向付、八寸、焼き物、炊き合わせ、ご飯、水菓子と続くんやが、

「昼懐石で二万円となってましたが、あの調子なら材料費は二千円も怪しゅうございます」

 和食の原価率も店や料理によって様々やが、だいたい三割ぐらいやろ。料金が二万円なら六千円ぐらいや。そうなると昼懐石が一人前出るごとに四千円が英二の懐に転がり込むことになる。

「夜は三万円からですから、一か月となると・・・計算はお任せします」

 そりゃ濡れ手に粟みたいなもんや。

「英二は天才どした。あの見事な包丁さばき、盛り付けのセンスの良さ。今でも瞼に残っとります」

 ん、ん、ん。たしかマイは顔に惚れずに腕に惚れるはずやったが、

「コトリはんの思うての通りどす。お嬢はんは関白園の将来は英二が担うと期待してはりました」
「それって、マイが結婚相手に選ぶって意味か」
「そうどす」

 マイと英二は同い年か・・・

「そやけど英二は天才過ぎたんかもしれまへん」

 天才とは凡人が努力の果てに手に入れられるものを、いともたやすく手に入れてしまう。だから天才やが、時に手に入れる過程で得られるものを、

「その通りかもしれまへん。英二の技術は卓越しとりましたが、提島はんは認めておられへんところがありました」

 当時の一番立板の提島さんは英二を評して、

『上手いだけや。あいつの料理には心が足りん。あれでは関白園の味の神髄は出せん』

 マイは口癖のように料理は心としとる。これには色んな意味があるんやろけど、人の心がわからんで、人の心を喜ばす料理なんか出来るはずが無いって意味もあるはずや。

「そうでおます。お嬢はんは腕に惚れはりますが、お嬢はんが惚れる腕は技術だけやおまへん。腕に伴う料理人の心でおます。英二の心は・・・」

 それでもマイはこう言うたそうや、

『心が足らんかったら増やせばしまいや』

 清次さんも口を濁しとるが、英二には天才にありがちな驕りがあったんやろ。二十歳やそこらの若者にそこまでの才能があれば、そうならへん方が不思議かもしれん。

「コトリはんは何でもお見通しでんな。その通りどす。それでもお嬢はんは・・・」

 英二の心を直そうと努力したみたいや、

「お嬢はんの前では見せまへんでしたが・・・」

 それって英二が関白園を去った理由じゃ、

「最後は完全に浮いとりました」

 マイには見えへんかったんか、

「お嬢はんの目は節穴ではございまへん。お嬢はんにも見えとりました。わてらとお嬢はんの違いは、最後まであきらめへんことどす。英二は素晴らしい料理人になると固く信じておられました」

 マイにそんな面があるとはな。結局、今日の騒ぎになってもたんやが英二はどうなるんやろ。

「お嬢はんを敵に回すと言うのは関白園を敵に回した事になり、これは関白園の板場におった料理人すべてを敵に回した事になります」

 関白園の板場出身の料理屋には勤められんってことか、

「それだけやおまへん。英二を雇った店は関白園を敵に回す事になります」

 関白園の規模は大きいのはわかるけど、敵に回したって関係ない店が多そうやけど、

「関白園いうより、お嬢はんを敵に回したい料理屋が日本に何軒あるかと思とります」

 マイを?

「そうどす。コトリはんはお嬢はんのお友達どすが・・・」

 清次さんがそこまで言いかけ時にマイが戻ってきて、

「えらいとこ見せてもてゴメンやで。清次の言う通りや。幸楽園も英二も一件落着や。ご飯冷めてまうで、食べよ、食べよ」

 マイは英二の才能に惚れとったんやろな。爺さんに福井に来させんかったんも、コトリが連絡してすぐに来たのも、なんとかして英二を救いたかったんかもな。人を信じるのは大事なこっちゃ、そやけど信じた人に裏切られるのはさぞ辛いやろ。