ツーリング日和3(第27話)マイの信条

 食事が終わって部屋に戻ったらマイと清次さんが遊びに来よった。

「コトリはんらはビールやろ。アテはもうてきた」

 気が利くな。こういう面もあるのがマイの不思議なとこや。あんだけ人の話を聞かんのに、どっかで見て覚えとるもんな。そやから結婚も出来たんやと思うわ。ただのじゃじゃ馬やったら難しいやろ。

 清次さんもいかにも職人って感じがするエエ男や。なんちゅうかな、一本背中に筋がビシッと入っとる感じや。さすがはこの若さで関白園の板長になるぐらいやとようわかるわ。ここでは腰を低うしとるけど、板場に立ったら貫禄あるんやろな。

「そりゃ、そうや。板場は遊び場やあらへん。真剣勝負の場や。その動作の一つ一つに命かけるぐらいやのうたら話にもならん」

 マイも厳しいが、清次さんも、

「料理が好きで関白園の料理を身に着けとうて来てるのどす。そのために身を削るのは当たり前でっしゃろ」

 前の板長の提島さんも鬼軍曹やったけど清次さんは、

「わてはまだ甘すぎるとこが多くて、もっと精進せんと足元にも及びません」
「そんなことあらへんで、清次の怖さ、厳しさは提島さん仕込みや。清次が板場に姿を現しただけで、空気がピリピリ引き締まるからな」

 なんとなくわかる気がするわ。そもそも、板場って刃物扱うとこやし、火や熱い油も使うとこやんか。エエ加減な気持ちがあったら怪我するわ。そうそう、これもいっぺん聞いときたかってんけど料理学校と板場の最大の違いは、

「そうどんな。どっちも料理を学ぶとこでっけど、月謝払うて学ぶんと、給料もうて習うとこやと思てます」

 なるほどって言いたいが、これだけではチイとわかりにくいな。

「難しい話やおまへん。商売物になる料理を作れるかどうかの差どすわ」

 清次さんに言わせると料理学校の料理は合格点の料理としてた。学校やから料理に合格基準を設定して、それをクリアしたら単位を取れるぐらいの意味でエエと思う。

「板場いうてもピンキリでっけど、関白園やったら、関白園に出せる料理が合格基準どす。それが出来ると見込んで給料払うとります」

 料理を学ぶのに板場と料理学校のどっちがエエかは一概には言えん。料理学校出身の名料理人もおるからな。人によっては板場は徒弟制で無駄に辛いだけで意味が無いとまで言うのもおる。

「人には向き不向きもありますし、精進は本人の努力に尽きまっからな」

 そやけど板場のメリットとして、本物と一緒に仕事をするのはある。それに生徒やのうて従業員になるから、常に真剣勝負を強いられる。板場に練習用の料理はあらへんし、

「後がない緊張感があるさかい、早く身に着くんどす」

 どこでも一緒かもな。普通の会社でも新卒採用したら研修期間は置く。学生のままやったら使い物にならんからな。ホンマ、挨拶一つ満足に出来へんのも珍しない。そこから実戦配備になるんやけど、研修期間と実戦もまた違う。実戦の仕事のスキルを身に着けていって、だんだんに仕事の幅を広げていくぐらいや。

 そやから新入りはどこでも辛い。先輩かって仕事を教えてくれるけど、ピンポイントしか教えてくれん。それだけ身に着けても、少しでも例外的な問題が発生すると対処法がわからずお手上げになる。幅広く対処できる能力を身に着けるには、実際にその問題の解決に取り組まんと無理や。

「社会に出て給料もらうとはどこもそんなものやと思っとりま。わても追い回しの頃はホンマに辛かったどす」

 追い回しは板場のスタートやけど、ガチガチの徒弟制の世界やもんな。追い回しなんか人に見られてへんディスポみたいな扱いになりそうなのはわかるわ。関白園の追い回しなんか想像を絶するわ。十人に一人も生き残るんやろか。すると清次さんは含み笑いしながら、

「そんな板場もありますし、関白園もそうだ思うとる人も多いみたいでっけど、逃げるのは十人に一人もおりまへん」

 そんなに少ないんや。ブラック企業でも新卒百人採用したら一年後には十人も生き残らんと言うのに、

「なんでやと思います」

 う~ん、わからへんな。どう聞いたって関白園の板場は甘くなそうやし、

「厳しさだけやったっら、どこにも負けへんとは思うとります」

 こりゃ、謎々やなぁ。厳しいイコール辛いやろ。そやのに逃げへんのはなんでやろ、

「お嬢はんのせいどす」

 えっ、マイが。冗談やろ、

「そうに決まってるやんか、うちの美貌にメロメロで辞める気が起こらんようになってもてるんや」

 冗談はさておきとしてや。

「冗談やおまへん」

 なんだって!

「お嬢はんは追い回しが入ってきたら、必ず毎日声をかけられます。困ってることがあれば相談に乗り、落ち込んどったら親身になって励まして下さいます。どんなに他の事が忙しゅうても最優先でやってくれはります」
「そこまでは言い過ぎや」

 ここで急に清次さんが居住まいを正して、

「言い過ぎどころか、全然言い足りまへん。わてら板場のもんがお嬢はんに受けた恩は、空よりも高く、海よりも深いもんどす」

 板場の指導は先輩がするのは他の世界と同じやけど、これまた他の世界と同じで後輩に酷くあたるもんはおるそうや。

「とにかくお嬢はんは曲がった事が大嫌いどして」

 マイの鉄のような信条として、

『曲がったり歪んだりしている性格のやつは、料理かって曲がったり、歪んだりするのは当たり前や。料理は心や、真っすぐな性格やのうたら、まともなもん作れるかい』

 これを1ミリたりとも譲らんそうで、そういうやつはマイがクビをはね飛ばしてまうと言うから驚いた。

「これはわても聞いた話になりまっけど」

 追い回しをイジメ倒して楽しむようなやつがおったそうや。それを見咎めたマイがクビ宣告をやったそうやねん。ところが当時の板長であったマイの親父さんのお気に入りやったみたいで、親っさんはマイを頭から怒鳴りつけたそうやねん。ところがマイは一歩たりとも譲らず、こう言い放ったそうやねん。

『親父の目は節穴か飾りかそれとも入れ眼か。上にオベッカ使いまくって、下に威張り散らすどころか、イジメばっかりやりさらすコイツの腐りきった本性見えんのか。これが見えへんのやったっら板長なんかやめてまえ。こんなんがおったら関白園が芯から腐り落ちるわ』

 これが小六の時や言うからビックリや。その後も親っさんと猛烈に怒鳴り合った末に、

「先々代が仲裁に入り、双方の言い分を聞き取られて、お嬢はんの意見を取られました」

 この事件の後になってから親っさんは板場にあまり顔を出さなくったみたいで、

「大きな声では言えませんが、親っさんは腕もイマイチ、板場の人望はさらにイマイチどして、実質的な板長は一番立板の提島はんになりました。そやから、わても提島さんに育ててもうてます」

 マイは憤然とした感じで、

「あの話か。だから親父はアカンかってん。板長なってから胡坐かいてまいよって、精進せんから腕は落ちる一方やった。それにやで、オベッカばっかり使う能無しばっかり可愛がるもんやから、板場の空気も悪なるばっかりやってんよ」

 そういう空気はわかるけど、小六でそこまでやらかすか、

「歳なんか関係あらへん。なにが正しいかや。コトリはん、他に気にすることがありまっか」

 それが出来たのは龍泉院の娘やったからと言えばそれまでやけど、そういう立場やからって出来るようなものやあらへんわ。ちょっと見直したわ。