ツーリング日和3(第28話)板場の天使

 清次さんは、

「幸楽園の騒ぎの時に味の龍泉院を名乗れるのは三人だけって聞きましたやろ」

 苗字のこっちゃろ・・・待て、待て、今のところ龍泉院の苗字を持っとるのは、マイと清次さん、爺さん、婆さん、それと離縁されて勘当されたとは言えマイのお袋さん。そやけどマイのお袋さんも婆さんも苗字は龍泉院やけど、味の龍泉院の中に入ってへんのか。

「先々代の血を一番濃く受け継いでおられるのがお嬢はんどす」

 だからあんだけバイクが好きなんか。

「関係ないわ。ほっとけ」

 清次さんはまるで崇めるかのように、

「歴代でも女性が味の龍泉院を名乗れたことは一度たりともありまへん。そやけど、お嬢はんは小学生の時に名乗りを一族会で認められております」

 味の龍泉院の名乗りは料理人に与えられたものじゃ、

「そう思われがちどすが、少し違います。味の龍泉院と認められるのは、龍泉院の味がわかる人間どす。名乗るにあたり料理人でしたら当然でっけど、それよりわかるかどうかが本当の基準どす」

 その点で言えばマイの親っさんは本当は不適格者やとまでしよった。

「うちも聞いた話やけど、親父は取得見込みでもうてるわ。爺さんも眼鏡違いやったって嘆いとった」

 なんかわかってきたで。マイの親っさんは板長やったけど、龍泉院の味の神髄を結局会得出来へんかってんや。それに比べてマイの味への才能は卓越しとって、

「そんなところどす。先ほど料理人に与えられる名乗りとしましたけど、普通は料理修行の果てにわかるもんどす。わてもそうどした。そやけどお嬢はんは生まれつき持ってはったんどす」

 これこそギフテッドやな。

「言うまでもありまへんが、出上がった料理の良し悪しの判定の厳しさは、わてでも及ばないとこがあります」
「清次、言い過ぎやで」
「全然、足りまへん。あれこそ神の舌どす」

 マイの味への評価は料理人の世界では轟き渡ってるぐらいで良さそうや。

「お嬢はんの一言は料理界では絶対の権威と思うてもうたら良いどす」
「清次、大げさやて」
「大げさやありまへん。ほんじょそこらのグルメ評論家なんてゴミみたいなもんどす。お嬢はんの一言の方が料理の世界では一万倍は重うおます」

 なるほど! だからマイを敵に回したい料理屋なんかあらへんのか。マイの不興を買おうものなら酷評されて潰されてまいそうやもんな。料理界の女帝みたいなもんか。

「女帝には遠すぎるで。たかが関白園の女将や」
「お嬢はんは滅多なことでは名前を出しての批判どころか批評もされまへん。それぞれの料理屋にはそれぞれの生き方があり、それで客を満足させとったら、それでヨシでんねん」

 そういうたら幸楽園の手抜き料理でも、それで経営出来とったら文句は言わへんとしとったな。

「そんなお嬢はんが口にまで出しはったら、千金の重みになります」

 そういうことか。英二にあそこまで言えば英二は料理界から追放になってまうんや。少なくとも名の通った店では二度と働かれへん。だから言いたくなかったんや。でもあそこまでやらかしたからには、知らん顔で見逃すわけには行かへんかってんやろ。

 マイが腕に惚れるとは掛け値なしのもんや。性格に少々難があった英二を本気でなんとかしたかったんやろな。それがマイの優しさで、その優しさを板場の人間はよう知ってるんやろ。

「お嬢はんの一言は関白園の料理人のクビを一瞬で飛ばします。そやけど飛ばす前に問題点を懸命に直そうとされるんどす。わてが見ても、そこまでするかってぐらいどす」

 それで良くなるのも多いそうや。

「関白園でお嬢はんを慕わんのはおりまへん。どれほどお世話してもうたかの話しになったら止まらんようになります。そこまでしてもうてもアカンのはおりまっさかい、クビを飛ばすんどすが、その後に隠れて泣いとるのも皆知っとります」

 だから英二の処分を言い渡した時にマイはあれほど。清次さんは涙を浮かべながら、

「お嬢はんには、いつも笑顔でいて欲しいんどす。お嬢はんの顔を曇らせ、ましてや泣かせるのは関白園の最大の罪どす」

 なんか聞けば聞くほどマイは常人とは思えんようになってきた。板場でもそんな調子やが、仲居にも同じやそうやねん。そやから、関白園ではマイに逆らうどころか、マイのためなら、なんだってするってのばっかりおるでエエみたいや。

 そやそや、ついでやから聞いとこ。マイの異能はわかったけど、女として、恋愛対象としてはどうやったんやろ。

「そりゃ、もう、わても含めて誰もが夢中どした」

 まあ美人は美人やからな。

「そやけどお嬢はんは顔には惚れまへん。容姿にも無関心、料理人の中には実家が金持ちというのもおりましたが、どんな高価なプレゼントをもうても興味も示しまへんどした」

 男嫌いやったとか。

「お嬢はんが惚れるのは腕のみだす。そやから、いかにお嬢はんを満足させる料理を作れるかで切磋琢磨しておりました」

 マイを満足させるったって、神のような味覚やで、

「だからどす。お嬢はんの舌を満足させてこそ龍泉院の味やおまへんか」

 そういう意味か。マイは関白園の味は守らんといかんと必死やったが、その味とは龍泉院の舌、今ならマイの舌を満足させる味のことやったんか。そりゃ、関白園のレベルは高うなるわ。

 それでいて究極の世話好きみたいなもんやんか。新入りの時から手塩にかけて育てた料理人と、仲居の人望を一身に集めてるんやもんな。だったらあの時には、

「あん時は提島はんがクビになった話は聞きましたか?」

 清次さんも辞表を叩きつけたとも聞いたけど、

「板場に残ったんは、先代のお気に入りの二番立板の久島はんと三人だけどす。仲居も八割以上は辞めとります」

 それって関白園の従業員のほとんどやんか、

「皆が雪崩のように辞表を叩きつけたんは、提島さんのクビもありましたが、これに抗議したお嬢はんを先代が監禁してしてもたからどす」

 まさに関白園は崖っぷち状態やってんな、

「そうどす。それでもお嬢はんは挫けまへんでした。監禁から逃げ出し、四方八方手を尽くしてくれはって、白羽根の脅威を追い払ってくれたんどす。そやからわてらは板場の天使やと思うてます」
「だからそれは違うって言ってるやろが。逃げたんは逃げたけど、逃げとっただけや」

 まあ、それはそうやねんけど。

「違いま。お嬢はんが動いてくれはったから、あのどうしようも状態から抜け出せたんどす。あれはお嬢はん以外の誰にもできまへん。お嬢はんが動いてくれたこそ、あんだけの助けが来てくれたんやありまへんか。これこそ板場の天使やのうて、なんやと言うんどす」

 まあそうとも取れるか。マイが逃げ出したからこそコトリたちとの出会いがあり、コトリたちと出会おうたからこそ、白羽根は引き下がらざるを得んようになったとは言える。ところでやが、あんたら夫婦なんやろ。

「清次にはマイと呼べって言ってるんやけど、どうしても直しくさらん」
「それだけは堪忍しておくれやす」

 御馳走さん。冷やかそうと思てこっちが冷やかさたわ。マイもある種の変人にはなるんやろけど、それこそ筋金入りの変人や。これでも言い足らんな、単なる変人突き抜けた究極の変人や。

 そんなマイを清次さんも命懸けで惚れとるわ。そんなもん目見たらわかる。マイももちろんそうや。二人がおる限り関白園は安泰やろ。末永くお幸せにな。山陰ツーリングの時にマイを助けてやってホンマに良かったわ。