クリスマス雑談

今日は肩の力を思いっきり抜いて、趣味のムックです。クリスマスは12/24をイブとし、12/25をクリスマスとしますが、これにも由来があるそうです。大元はユダヤ暦の考え方にあるそうで、ユダヤ暦の1日の区切りは日没にあるそうで、12/24の夜はユダヤ暦の見方としては既に12/25になります。つまりユダヤ暦では12/24の日没にクリスマスが始まり、12/25の日没にクリスマスが終る事になります。

ユダヤ教徒キリスト教徒の仲が、必ずしも宜しくないのは有名ですが、ユダヤ暦の考え方がキリスト教最大の祝日であるクリスマスに反映されているのは興味深いところです。ただ直輸入ではなく、キリスト教的なアレンジとして12/24の夜をイブとし、12/25をクリスマスに分けたとは考えます。それでもユダヤ暦の影響は残っているとも考えられ、12/24夜は盛大に祝われますが、12/25の夜は完全に後片付けになっているような気がしています。

ユダヤ暦の感覚は日本の祭りとの共通点がそこはかとなくあります。日本の殆んどの祭りは、宵宮、昼宮(本宮)方式と思われます。つまり祭りは夜から始まり、翌日の昼には終了するみたいなスケジュールです。現在では2日とも祭りみたいな感じになっているところも多いですが、元は夜に始まって、昼に終るみたいであったとしても良いと考えられます。

ただ日本人はユダヤ人のように日没を1日の終わりと捉えていないような気はしています。日本人の感覚では日の出こそが1日の始まりであり、夜から次の昼まで祭りを行なうことにより、コンパクトに2日分の祭りを神に捧げたとしているような気もしています。


古代人もカレンダーが必要でしたが、カレンダーの基礎の基礎は1日の数え方になります。どこでもって1日を区切るかを決めないとカレンダーは作り様がありません。1日が昼と夜のワンセットにすると言うのは、一番自然な受け取り方になると考えます。セットと考えると区切りは2つで、日没か日の出です。人間の感覚として日が沈めば1日が終るの考え方は多そうな気がしますし、日の出が始まりとする派も多いかもしれません。

ほいじゃ現在の1日が真夜中になったのは何故かになります。これは時刻を測ろうとした産物と言われています。カレンダーだけなら日没であろうと、日の出であろうと作成に支障はありませんが、時刻となると別の発想が必要です。時刻を測るとなるとどこかに基準が必要です。そこでまず開発されたのが日時計と言われています。

太陽が昇って沈むまでに影の方向や長さが周期的に変わる現象は誰でも目に付きますから、柱を1本垂直に立てて影の動きを追う事で時刻を測定する事が可能になります。その日中の変動が正午として測定可能です。日時計も緯度や太陽高度により、南中になる時間が1年で16分ほど変動するそうですが、今と違いますから誤差とも言えないものだと思われます。

ここも誤解を招きそうですから補足しておくと、古代の天文観測技術も凄いものでした。たとえばユリウス暦での1年の長さは、現在のグレゴリオ暦と較べて44分程度しか差がありません。年単位では44分しか誤差が無くとも、1日のうちで16分を正確に観測するのが技術的に難しかったと言う意味です。

そういう時刻計測法で、で日没なり日の出を基準にしていると、1日を時刻で分けるには不都合であるとの考え方が出てきたとされます。時刻の基準の正午は昼間の長短に関らず一定ですから、夜の正午とも言うべき時刻も存在するとすぐに判ったはずです。夜の定点時間の測定は難しくとも、理論上は夜にも定点があり、二つの定点時間で1日を定義した方が、時刻を考える上で合理的ではないかの判断です。

時刻が正確に計測されるには時計技術の進歩が必要でしたが、理論上は昼夜二つの定点で一日を定義できるとした関係で、真夜中に日が変わるとしたと考えられます。ここで面白いのは測定が容易な昼の正午ではなく、実際は測定が容易ではなかった真夜中に日付の変更点を持ってきたことです。これも理由はなんとなくわかり、真昼間に日が変わると言うのは感覚的に許せなかったと思われます。

それと現実に今のように時間刻みで仕事に追われる訳ではありませんから、カレンダー上の区切りが真夜中であろうが、日没であろうが、日の出であろうが、人々の生活には影響は少なかったのかもしれません。古代であるほど夜はとっとと寝ます。


雑談ですから話がドンドン飛びますが、日付関連の話でこんなのはよくあります。

    医師:「いつから熱が出ましたか?」
    患者:「昨日の夜からです」
どこにでもある平凡な会話なんですが、これが時にトンチンカンな展開を見せる事があります。今日は25日ですからこれを軸にして考えてもらえば良いのですが、まず「昨日の夜」と言われれば24日の日没から25日の日の出までを想定します。大概はそれで話が済むのですが、場合によっては24日の0時から24日の日の出までの時間を指している事があるのです。

24日の0時から24日の日の出までも確かに「昨日」ですし、日が昇っていませんから概念的には「夜」です。ですから昨日の夜が24日の0時から日の出までであっても表現として不正確とは言い切れません。素直に「一昨日の夜」としてくれれば良さそうなものですが、どうしても一昨日となると23日の日没から深夜までを指すと気を使われると「昨日の夜」みたいな表現になる事があるのです。

時間経過で症状の変化が早いときに、深夜0時をまたいで時期に時刻帯を表現をする時にこういう混乱が生じる事がしばしばあります。具体的には24日の0時以降に症状が出現し、24日の日没後にも症状の経過を訴えようと思えば、1日のうちに2つの夜が存在する事になります。これに25日の0時以降のエピソードも付け加える必要があれば「昨日の夜」は3つになるとも言えますし、これにもっともポピュラーな24日の日没から25日の夜明けまでを加えると4つになるとも考えられます。

つまり「昨日の夜」が指す可能性がある範囲として、

  1. 24日の日没後から25日の日の出までの時間帯
  2. 24日の0時から日の出までの時間帯
  3. 24日の日没から深夜0時までの時間帯
  4. 25日の0時から日の出までの時間帯
昼間はこれに較べるとはっきりしています。正午を中心として午前、午後は間違い様がありませんし、午前でも朝か昼(正午近く)も指し示しやすいですし、午後も早いうち(昼ごろとか)と夕方も明瞭にわかります。これに対し夜は漠然と夜であり、せいぜい深夜とか、夜明け頃ぐらいしか日常的には用いません。指し示す日常語が少ない上に、夜の真ん中で日付が変わるのでさらに混乱しやすくなる寸法です。

混乱するのなら日付と時刻で表現すれば良さそうなものですが、これは慣習としか言い様がありませんが、時刻を用いる時には妙に正確性に拘りたくなり、そのためより広い時間帯で表現したくなるのが会話です。たぶん昼間はそういう時間帯を指し示す言葉が豊富にあり、夜にも使いたくなると考えています。

ところが夜になると用語が少ない上に、日付の変更がからみ、より正確に伝えようと思うほど時に混乱を招く性質があると考えています。実務上は時系列に症状をまとめようとすると矛盾が生じますから、日付と時刻を正確に聞きなおして殆んど事なきを得ますが、それでも聞くほうも勘違いして、「昨日の夜」の時間帯を取り違える事はありえます。

なんかもっと違う話を書こうとしていたはずなんですが、雑談ですからこんなもので許してください。クリスマスですし。