やっぱり技術でしょう

なんとかホメパチから逃避したいので9/5付読売新聞より、

大事なのは技術より根性…「はやぶさ」教授熱弁

 6月に小惑星イトカワ」から帰還した探査機「はやぶさ」の開発者、宇宙航空研究開発機構川口淳一郎教授が4日、しいのき迎賓館(金沢市広坂)で、大学生や高校生を対象に講演した。

 金沢高専など3か所にもサテライト会場が設けられ、約200人が聴講した。

 川口教授は全体を指揮する立場で、計画立案から帰還するまでの経緯や苦労話を披露。地球着陸まであと少しに迫った2009年11月、長期航行用のエンジン4基中3基が故障。絶望的な事態になったが、故障した2基をつなぎ合わせ、1基分の推進力を確保し、帰還したという。

 この経験を踏まえ、川口教授は「大事なのは技術より根性。地球に帰還するには、あきらめない気持ちが大切だった」と訴えた。金沢泉丘高1年、那須千晃さん(15)は「地球に戻って来られない危機を乗り越えて、やり遂げたことに感動した」と話していた。

まともな技術論で気分転換したいと思います。タマタマだけなんですが、取り上げた対象があの「はやぶさ」なのは少々遺憾で、全般的に辛口に聞こえる部分もあるかもしれませんが、ホメパチ問題から日常に戻るリハビリと思ってお付き合い下さい。


一般向きの講演ですから、聴衆の層に合わせてある程度話の重点を置き換えているのは理解しないといけませんが、記事の見出しはいただけません。「はやぶさ」が幾多の致命的と思われる危機を乗り越えたのは事実ですし、危機を乗り越えるために知力を絞りつくしたのも理解できます。

しかし危機を乗り越えられたのは技術の基盤がしっかりしていたからです。そこまで計算していたのか、偶然そうであったのかは外野からは断言は出来ませんが、とにかく危機を乗り越えられるだけの技術が「はやぶさ」に盛り込まれていたから、その技術を見つけ出し、応用して危機を乗り越えたとするのが妥当です。技術が盛り込まれていなかったら、いくら地球で根性を出しても無駄な努力です。

はやぶさ」にはこれまでの日本の宇宙開発の蓄積された技術がこれでもかと言うぐらい盛り込まれていたと考えています。宇宙開発技術はまだまだ不完全な技術です。打ち上げ一つを取っても、未だにのるかそるかの部分が多分に残っています。また過酷な宇宙空間で機器がどれぐらい活動してくれるかも不確実な部分がテンコモリ残っています。

はやぶさ」成功の影には、これまで打ち上げたものの、一部の故障ですぐに役に立たなくなった失敗の歴史があると考えています。ですから「はやぶさ」には、蓄積されてきたダメージコントロール技術の粋が盛り込まれたのが成功の一因と考えています。宇宙空間の長期の航行中には、すべての機器がすべて順調に動かない可能性の方が高いと考え、考えうる限りのバックアップ機構が、それこそ三重・四重に巡らされていたとするのが妥当です。

そういうメカニズムを考え出す基盤が技術であり、思いついて盛り込ませるのが努力であり根性です。予算の制約、盛り込める容量の制約を乗り越えて盛り込ませるためには、技術を伴った根性がないとブレークスルーできません。危機への対応もまた同様です。


はやぶさ」の経験は次に活かされないといけないのですが、次のテーマはこれも当たり前ですが、あれだけのトラブルを発生させないようにする技術の向上が求められます。いくらトラブルを予想するにしても、トラブルは起こらないに越した事はありません。技術的にトラブルが発生したときの対応を備えて置くのは重要ですが、問題の本質はトラブル自体の発生を可能な限り未然に防ぐところにあります。

はやぶさ」のトラブルへの準備と対応は見事でした。あれだけのトラブルに耐えうる対応技術が日本にある事を証明したのも称賛されると思います。ただしトラブル対応技術の向上は、次の段階としてトラブル自体を発生させない技術につながっていかないといけません。技術としては裏表ですが、「はやぶさ」は裏の技術が過度に称賛されすぎている嫌いは若干あると思います。

技術者としては、頻発した「はやぶさ」のトラブルへの対応技術を誇るのではなく、そういうトラブルの次での解消に目を向けるべきです。現場では当然そうなっているはずですが、講演で精神論を強調しすぎるのはあまり好ましくないように思います。記事だけでは本来の講演内容はもちろん不明ですが本来は、

    危機を乗り越える技術を開発するには根性が必要
根性を語っても構わないのですが、あくまでも技術を伴った根性であるべきです。スポーツに喩えるのもなんですが、あるレベルまでは技術の差が勝敗を決定的に分けます。そこいらの少年サッカーチームが幾ら根性を振り絞ろうとFCバルセロナには勝てません。

サッカーは肉体スポーツなので、技術以前に体格差の問題もありますが、知的スポーツである囲碁や将棋ならもっとわかりやすいと思います。例えば将棋なら対戦者の体格はハンデにはなりません。差が出るのは技術です。私も下手な将棋を指せますが、どれだけ根性を出しても羽生名人には勝てません。6枚落ちどころか、王将と歩だけのハンデでも絶対に勝てません。

将棋でも根性と言う言葉は用いられますが、これは前提として対戦者の技術レベルがほぼ同等であるというのがあり、その上で勝負を分けるのが勝ちを握るための執着心として語られ、その差が対等の技術の上でさらに勝負を分けるポイントとされる事はあります。

根性や精神論は時に持てる技術力以上のものを発揮させる事はあるとは思います。これも技術力があっての話で、あくまでも技術力を瞬間的に向上させる触媒みたいなものです。根性と言う触媒によって技術力の向上は可能でも、そもそも持っている技術がないと、いくら根性の触媒があったところで無から有は生じません。

はやぶさ」のトラブルに対応したスタッフは、当然の事ですが誰もが非常に高い技術力を有していたと考えます。そういうスタッフが起こったトラブルに対し根性を出したのは実感だと思いますし、絶体絶命の状態を抜け出せたのは、根性と言う触媒で持てる技術を高めたのも十分ありえます。それでも根性だけが「はやぶさ」を救ったのではなく、根性と言う触媒で持てる技術から危機からの脱出手段を編み出したと言うほうが相応しいと考えます。

持てる技術と言うのは、本人の意識には無い事が多いと考えています。ましてや同等の技術能力者に囲まれると、自分がそれほどの技術を持っていないような錯覚に陥る事もしばしばあります。その程度の技術は、周囲を見回しても誰もが当たり前に持っており、その狭い世界では大した技術と感じられなくなるからです。

そこまで高度の技術水準の世界では、かえって思いつきみたいなものが重視されます。思いつきとは言葉が悪いですが、技術の常識で縛られて飛躍した発想が出にくくなっているので、非常に斬新な発想として珍重される寸法です。ただし思いつきも非常に高度な技術的な裏付けで出ている事が重要です。なんの技術的裏付けもない思いつきは、たんなる与太話であり誰も聞いてくれません。

まず重要なのは技術の習得です。技術習得が頂点にまで達して、初めて根性が必要になります。ここではその技術の習得に根性が必要かどうかは置いておきます。技術の習得は既成技術ですから、ある程度の才能と努力さえ続ければ、そこに達する事は不可能ではありません。根性が本当に必要なのは、頂点グループに達して、そこからさらに未知の領域に手を伸ばそうとする時です。あくまでも、

  • 必要な水準の技術を習得する
  • その水準の技術では対応できないときに根性という触媒でブレークスルーを試みる
この水準も低ければさらに上の水準の技術が存在すれば、根性は必要ではなく、上の水準の技術を習得すればクリアできます。本当に根性が必要なのは、トップ水準からの飛躍が必要なときです。

しばしば一流の技術者や、プロスポーツ選手が、「あれは運だ」とか「幸運に恵まれただけ」の感想を残しますが、これも最初から幸運頼みですべてを委ねたわけではなく、無言の前提として既にトップ領域の技術を取得しているのです。トップ集団からさらなる飛躍は、実のところ運次第の面は否定できません。成功するかしないかは、紙一重の世界ですから、成功者はしばしば幸運を口にします。

    この経験を踏まえ、川口教授は「大事なのは技術より根性。地球に帰還するには、あきらめない気持ちが大切だった」と訴えた。金沢泉丘高1年、那須千晃さん(15)は「地球に戻って来られない危機を乗り越えて、やり遂げたことに感動した」と話していた。
教授が「根性」とか「あきらめない気持ち」と表現した部分の意味を誤って受け取られる方が少ない様に願っておきます。教授が感じたものは、非常に高度なレベルで次に必要なものとしての「根性」と考えるのが妥当だからです。

まあ余計な心配をせずとも、今どきの高校生の方がよく現実を見ているとも考えられますから、記者と違ってちゃんと教授の真意を理解していると思います。つう事でリハビリのための老婆心の発露ぐらいでよろしく。