アシネトバクター・バウマニ

触れようか触れまいか悩んでいる事件です。「触れまいか」の最大の理由はアシネトバクター・バウマニなる細菌を実感をもって知らないと言うことです。恥ずかしながら初めて聞いた様な気がします。いや名前ぐらいは記憶の隅ぐらいにはありますが、どんな感じの感染症状を起すのか、実際に感染すればどういう対応を取るべきものなのか全然わからないのです。

これぐらい知識不足の細菌の話を中途半端な内容で提供すれば、私が袋叩きにされます。自分のブログでは有るのですが、それぐらい怖いのがこのブログです。とは言え触れれるものなら触れておかないとの義務感だけはあります。そう悩んでいたら、

帝京大学病院におけるアウトブレイクの報道に思うこと
自治医科大学附属病院・感染制御部長、感染症科科長
森澤雄司
2010年9月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行

こういうものが舞い込んできました。この情報は信用が置けるものと判断しても良さそうですから、引用しながら考えてみます。

 今回の問題となっている多剤耐性アシネトバクター・バウマニは医療関連感染防止にとって重大な脅威です。高度耐性菌としては MRSA多剤耐性緑膿菌が有名ですが、これらの細菌と比較しても多剤耐性アシネトバクター・バウマニへの対策は極めて困難であることが知られています。一般的に MRSA 対策は医療従事者の手指衛生と適切な個人防護具(手袋・ガウン・マスクなど)使用の徹底により対応することが出来ます。一方、緑膿菌アシネトバクター・バウマニは栄養要求性が低く、さまざまな環境で生き延びることが可能であるために環境対策も必要となります。緑膿菌は乾燥に弱く、いわゆる水周りを押さえれば対策できるのに対して、アシネトバクター・バウマニは乾燥に強く、カーテンや診療端末のキーボードやマウスのような通常の環境表面でも数週間以上にわたり生存します。多剤耐性アシネトバクター・バウマニ対策には膨大な環境調査が必要であり、しかも細菌はスタッフや患者の手指などを介して環境を移動しますから、一度の環境調査だけですべてが明らかになるとは限りません。海外からは医療従事者が使用する PHS を介してアウトブレイクが認められたという報告もあり、多剤耐性アシネトバクター・バウマニへの対策は困難を極めます。そしてアシネトバクター・バウマニは抗菌薬耐性を獲得する能力にも優れており、耐性化したアシネトバクター・バウマニの中には多剤耐性緑膿菌と同じく現時点でわが国に使用可能なすべての抗菌薬へ耐性を示す場合があることが知られています。すなわち、高度耐性アシネトバクター・バウマニが感染症の起因菌となった場合、わが国では治療できないのです。幸いなことに緑膿菌アシネトバクター・バウマニは必ず感染症を起こすわけではなく、単に保菌状態で過ぎる場合が多いのですが、侵襲的な医療処置が行われている患者では先述したような医療関連感染症を生じることがあり、病院内では重大なリスクとして対応する必要があります。

もう少し段落を分けてくれると読みやすいのですが、仕方ありません。分解しながら理解していく事にします。

MRSA緑膿菌なら実感はあります。あれも厄介な代物でしたが、それ以上に厄介であるとなっています。どんな点が厄介かと言うとMRSA対策をまず比較として出されています。
    一般的に MRSA 対策は医療従事者の手指衛生と適切な個人防護具(手袋・ガウン・マスクなど)使用の徹底により対応することが出来ます。
私はMRSAが大問題化した時は知っていますが、あの時も大変でした。職員全員の菌培養が行なわれ、見つかろうものならまさに「バイキン扱い」されたものです。ここに書いてある手洗いの励行やガウンテクニックはもちろんですが、バクトロバンで鼻腔内を消毒したり、患者のMRSA除去のためにオスバン風呂に入れたり、ハベカシン吸入をやったりと大騒ぎでした。(今となっては笑われるのも含まれています)
    一方、緑膿菌アシネトバクター・バウマニは栄養要求性が低く、さまざまな環境で生き延びることが可能であるために環境対策も必要となります。
多剤耐性緑膿菌問題は私が最前線から後退する頃に出てきた問題ですが、確か常在菌化するので厄介とは聞いたことがあります。アシネトバクターも同様なら確かに手強い相手です。
    緑膿菌は乾燥に弱く、いわゆる水周りを押さえれば対策できるのに対して、アシネトバクター・バウマニは乾燥に強く、カーテンや診療端末のキーボードやマウスのような通常の環境表面でも数週間以上にわたり生存します。
うへぇ、アシネトバクターは乾燥に強いのですか・・・これは確かに手強い存在です。咳から飛沫になって飛んだりすると、付着したところで数週間も生存するようです。乾燥に強いとなると、それこそ埃にまみれて舞い上がるも十分ありえますし、排気ダクトに住み着くのもごく普通にありえることになります。
    多剤耐性アシネトバクター・バウマニ対策には膨大な環境調査が必要であり、しかも細菌はスタッフや患者の手指などを介して環境を移動しますから、一度の環境調査だけですべてが明らかになるとは限りません。海外からは医療従事者が使用する PHS を介してアウトブレイクが認められたという報告もあり、多剤耐性アシネトバクター・バウマニへの対策は困難を極めます。
書いてある通りなんですが、アシネトバクター感染患者が通ったところには菌が付着している可能性が出てくることになります。病院なら待合室の椅子や診察室、処置を行えば処置ベッド、もちろん壁やカーテン、手すりをもてば手すりもそうですし、御手洗、エレベーターのボタン、ドアノブ、病室のベッドから床・壁・天井まで細菌は、ばら撒かれる可能性が出てきます。これも深刻な問題で、すべてと言うからにはMRSAの時に最後の砦となったバンコマイシンも耐性を示すと考えたら良さそうです。
    幸いなことに緑膿菌アシネトバクター・バウマニは必ず感染症を起こすわけではなく、単に保菌状態で過ぎる場合が多いのですが、侵襲的な医療処置が行われている患者では先述したような医療関連感染症を生じることがあり、病院内では重大なリスクとして対応する必要があります。
基本的にMRSAと似たところはあるようで、弱毒性で感染力自体は弱いようです。簡単に言えば健康な者は発症せず、単に保菌者として問題は少ないと言う事です。ただなんですが、上述した様に一度院内に広がると、いつ医療従事者が保菌者になるかわからないわけであり、幾らチェックしても、チェック後すぐに保菌者になる事もありえる事になります。

重症患者は抵抗力は落ちており、そういう患者であれば、アシネトバクターが広がっている病院では、いつ感染し、さらに発症するかを予見するのが困難で、対策が非常に困難である事が判ります。出来るだけポイントをまとめると、

  1. アシネトバクターは乾燥にも強く、数週間と言う単位で感染力を付着した場所で保ち続ける
  2. 患者や医療従事者を介して院内の広範囲に、ばら撒かれる危険性がある
  3. 抵抗力の弱っている患者に感染し発症すれば、我が国には有効な治療薬は存在しない

聞くのも怖ろしすぎる細菌であるのが確認できます。


もう少しMRICを引用します。

 厚生労働省でも多剤耐性アシネトバクター・バウマニの重大性を考慮して、昨年 2009 年 1 月には都道府県に対して病院内における発生を報告するように求めた通知が出されています。しかし、これは法的義務ではなく、少なくとも医療の現場に対して明確な通達であったとは言い難いと判断しています。一部の報道では今回の帝京大学病院における事例について、保健所へ報告されていなかったことが最大の問題点であるかのように取り上げられていますが、厚生労働省からの通知は都道府県への “「お願い」ベース” であり、法的な義務ではなかったはずです。また、一般的に考えると、公衆衛生行政の介入で今回のような医療関連感染アウトブレイクが制圧できるとは考えにくく、もしも行政側の担当者が保身に走って一方的な “病棟閉鎖命令” などの過剰な対策を安易に乱発するようなことにでもなれば、医療現場の混乱は必至です。病棟を閉鎖してしまうと、その期間、患者は受け皿を失って、適切な医療が提供されないこととなります。高い見識と専門性を有する専門家によるリスク・アセスメントに基いた方針決定こそが必要です。わが国では日本看護協会が認定する感染管理認定看護師が 1,000 名以上に及んでおり、豊富な臨床経験と高い専門性に裏打ちされた現場での活躍が期待されますが、残念ながら多くの施設では十分な権限を与えられていません。”素人” による場当たり的かつ責任回避的な対策ではなく、現場に根付いたプロの判断が優先されることを願って止みません。

報告が義務でなかった事は事実でしょうが、保健所への報告はしておいた方が良かったと私は思います。理由はこれだけ怖い細菌であるからです。ただし、

    一般的に考えると、公衆衛生行政の介入で今回のような医療関連感染アウトブレイクが制圧できるとは考えにくく
保健所に報告したから院内のアシネトバクター感染がどうなるものではありません。保健所はその報告を厚労省なりに報告して事務作業が終了するだけだと思います。言ったら悪いですが、保健所自身にアシネトバクター除去能力が存在するわけではないからです。それとも、
    一方的な “病棟閉鎖命令”
ここまで本当に踏み込むのでしょうか。もっとも個人的にはアシネトバクターの特徴からして、病棟ではなく「病院」閉鎖命令ぐらいが必要な気がします。患者は入院時からアシネトバクター感染者かどうかは不明であり、起炎菌が判明するまで数日は要します。その間に患者の動いた範囲、接触した医療関係者を介して院内の広範囲にアシネトバクターが、ばら撒かれる危険性は十分あると考えます。

一挙に根絶を狙うのなら、アシネトバクターが生存しなくなる「数週間」の間、病棟ではなく病院を閉鎖してしまう必要があると考えます。ただ問題はあり、入院患者をどうするかがあります。アシネトバクター感染の危険性は病院中にありますから、すべての入院患者をそういう対応で転院させなければなりません。転院時の対策を誤ると、転院先の病院がアシネトバクターに汚染されてしまいます。

病院閉鎖は

    病棟を閉鎖してしまうと、その期間、患者は受け皿を失って、適切な医療が提供されないこととなります。高い見識と専門性を有する専門家によるリスク・アセスメントに基いた方針決定こそが必要です。
仰られる事は現場論として医師である私は十分に理解します。しかし現在の動きは病棟なり病院を運用して、さらに感染者が拡大すれば、その責任は

 さて、これも一部の報道による情報でしかありませんが、今回の事例について警視庁が業務上過失致死の疑いで動くのではないかとされています。
 私たち医療従事者はつねに医療関連感染症の予防と制圧を心掛けており、理念として “ゼロ・トレランス” 、1 例の医療関連感染症も容認しない態度で理想を目指すべきであると考えています。
 しかし、実際には医療関連感染症を完全に根絶することは現時点で不可能です。故意による事例であればともかく、医療の結果が望ましくなかったという理由で警察が介入するような事態になれば、医療現場は必要以上に防護的となり、積極的な侵襲的医療処置行為を妨げる結果ともなりかねません。
 リスクの高い重症例や耐性菌の保菌患者は受け入れ先を失うかもしれません。
 処罰的な態度で “医療事故” に臨むことが国民の利益になるとは考えられず、むしろ結果的に“医療崩壊” を一層に進めてしまう可能性すらあります。私たちは第 2 の「大野病院事件」を許してはならないのです。

私もその後の動きは少しは注目していますが、司法の動きは明らかに、


業務上過失致死


そこまでのリスクを背負ってまで病院を運用しなければならないのでしょうか。これは医師としての良心をかなり越える責任と考えざるを得ません。患者のために尽くす事自体は医師の使命ですが、一度院内に蔓延してしまったアシネトバクターをコントロールしながら病院を運用するのは、実務上の困難さはMRICに書かれている通りで、一度でもコントロール・ミスを犯せば、


業務上過失致死



これでは医師といえども、そういう状況下で業務の遂行は困難かと感じます。ここは潔く白旗を掲げ、保健所にアシネトバクター除去のための一時的な閉院を命令してもらい、あわせて万全の感染拡大防止措置を講じた上での入院患者の転院手配を依頼するのが良いと思います。転院も上述した様に、一つ間違えば感染拡大の危険性があり、さらにコントロールを誤れば、


業務上過失致死



とても病院が責任をもって行なえるものではありませんから、保健所なり、市町村なり、都道府県なり、国が責任を持って行うべきものであると考えます。それでこそ国民も「安心」して見守れるのではないかと思います。アシネトバクター問題は司法がゼロ・トレランスを要求している以上、その意向に医療は「積極的」に協力するのが、今回の対応としてベターな様な気がしています。

MRSAの時も大きな社会問題にはなりましたが、あの時には司法はゼロ・トレランスまで求めませんでした。そのため現場の医療従事者は、あらゆる情報を集め、懸命になってMRSAのコントロールに努めました。なんのかんのと言っても、MRSAにはVCMなどわずかでしたが、有効とされる抗菌剤が存在したのも僥倖でした。今でもMRSAは大きな問題ではありますが、なんとか現場レベルのコントロールが出来ていると言えます。

しかしアシネトバクターは有効な抗菌薬が日本に存在しないと言うせいでしょうか、司法はゼロ・トレランスを求めている事が明瞭に判ります。その判断の是非は別レベルで論じなければならないでしょうが、刑事で業務上過失致死を求められるレベルとなれば、福島大野病院事件と同様に重大な対応が医療者には迫られます。

福島大野病院事件の時は癒着胎盤が少しでも疑われれば、帝王切開の上、問答無用で子宮全摘と言う方法が選択しとして辛うじてありましたから、司法判断が出るまで状況判断を待つ事が可能でした(それでも厳しかった)。しかしアシネトバクターの場合は感染は待った無しですし、感染をコントロールする手法も非常に厄介です。院内の蔓延が発覚してからなら、まだしも方法はあるかもしれませんが、初発例やそれに引き続く感染となるとお手上げです。

発覚してからなら、まだしも方法はあるとは書きましたが、求められるのがゼロ・トレランスであるなら、医師の良心を発揮しても、一時的な閉院決定から転院までの期間が精一杯でしょう。それ以上は医師とは言え責任の範疇を越えるものと私は考えます。

アシネトバクターに感染し亡くなられた方々には深い哀悼の意を示しますが、これが不幸な病死ではなく業務上過失致死の扱いになるのなら、今後の扱いは医学的見地より司法的見地が重くなります。ゼロ・トレランスは医学的にはまず不可能ですから、司法的にどういう対応を行っていれば業務上過失致死に問われないかの法的枠組みの早期の確立です。それが出来ない限り医学的見地の現実的な対応は取りにくくなります。

法的枠組みを示さず、ただゼロ・トレランスのみを業務上過失致死として問うことを「対策だ!」と強調されるのなら、その次に当然起こりうる反応を私は憂慮します。


なにぶんアシネトバクターと言われても知識も経験も極めて不十分なものですから、この程度しか論じる事が出来ないのが非常に残念です。より詳しい情報が入手できる事がありましたら、また角度を変えて論を立てる事もあるかもしれません。現時点で触れられるのはこの程度と言う事で御容赦下さい。