記者クラブの存在根拠

7/21付産経新聞より、

仙谷氏「記者クラブの提供も無駄」と反論 豪華議員会館の無駄指摘に

 仙谷由人官房長官は21日の記者会見で、「豪華すぎる」と指摘されている衆参両院の新議員会館の“無駄”について問われた際、「そもそもそういうことを言い出したら、(官公庁が)無料で記者クラブを提供していることも世の中から見たら無駄かもわかりませんよ」と反論した。

 「民主党が掲げる『議員の定数削減』が実現した場合、新議員会館ががらがらになり、壮大な無駄になる」との質問に、「(空き部屋を)民間に貸し出すなど、いくらでも無駄を少なくする」と強調した上で、こう取り上げた。

 仙谷氏は、記者からの相次ぐ「無駄」指摘に閉口し、「お前たちだって…」と言いたかったようだが、日本新聞協会編集委員会は「ワーキングルームとして公的機関が記者室を設置することは、行政上の責務」とした上で、「記者室が公有財産の目的外使用に該当しないことは、裁判所の判決や旧大蔵省通達でも認められている」との見解を発表している。

マスコミ的には豪華といわれる議員会館を批判するのは習性みたいなものですから今日はそれ自体に触れませんが、相当執拗に食い下がった様子です。あんまり執拗だったので仙谷官房長官も切れかけたようで、

    (官公庁が)無料で記者クラブを提供していることも世の中から見たら無駄かもわかりませんよ
改めて感心しますが、官公庁の記者クラブは無料だそうです。さすがにこれは前から知っていましたが、無料で使う根拠と言うのもあるそうです。
    日本新聞協会編集委員会は「ワーキングルームとして公的機関が記者室を設置することは、行政上の責務」
ここは理解できます。報道は国民の知る権利を具現化するために存在していますから、国政に関する情報の発信源としてスペースを設置する事は間違ってはいないとは思います。
    「記者室が公有財産の目的外使用に該当しないことは、裁判所の判決や旧大蔵省通達でも認められている」との見解を発表している。
ほぉ、判例や通達もあるそうです。誤解しないで欲しいのですが、報道のために官公庁が便宜を図ることは否定していませんし、それが判例や通達で裏付けられている事にも異論はありません。私が違和感を抱くのは、なぜに記者クラブ会員だけしか利用できないかです。ここは私も詳しく無いので、スペースとしての記者クラブは報道に携わるものであれば誰でも利用できるのでしょうか。ここのソースが見つかり難いのですが、wikipediaにこういう記述があります。

1996年、鎌倉市記者クラブに属さない報道機関にも記者室と記者会見を開放した

これは「特権廃止と開放の動き」のところに書かれているので、これを踏まえて考えると、

こう考えるのが妥当になります。記者室を官公庁が無料で提供するのは、記者クラブが主張する通り、
  1. 行政上の責務
  2. 裁判所の判決や旧大蔵省通達でも認められている
こうであるの良いとして、これを限られた一部のクラブ員のみが独占使用する根拠は「なんだ!」になります。歴史的経緯からすると、もともとそんなものが無かったところに、報道の先人達が権利として獲得した歴史はあります。それは報道の使命を実現するために成し遂げられた偉大な成果かもしれませんが、一部の者たちに、税金で独占使用させるには明瞭な根拠が必要かと思います。



ここに記者クラブ一覧情報館なるサイトがあります。メディアブリッジコンサルティング株式会社と言う、記者クラブへの報道発表のコンサルタントと言うか、代行業務をやっている会社のようです。会社の業務の性質からし記者クラブとの友好関係は必要不可欠なものであるのは自明の事です。

ここに記者クラブとはどんなものかをかなり詳しく書いてあります。書いてある内容は記者クラブの主張を鵜呑み、丸呑みして代弁していると判断して良いと判断できます。これは会社を批判している訳ではなく、会社の立脚基盤がそうであるからです。そういう意味で信用が置けるソースと考えます。そこに記者クラブへの加盟について書かれています。まずなんですが、

記者クラブの質の維持

各官庁での重要発表における取材を行うことの多い記者クラブにおいては、その記者クラブの開催する取材自体を質の高いものに維持する必要が生じてきます。場合によっては、記者クラブの行う取材や記者会見は資料の配布のみによって済む場合もありますが、時には質疑応答を含む本格的な取材をそれぞれの報道関係者と共同で行う場合が生じます。限られた時間内に重要な情報を引き出す取材を行うためには、取材方法に関する優れた技術が求められます。発言や質問を行う記者が、的確で要点をついた取材を行うようにしなければ、各記者が相互に益を得るような記者クラブとしての取材の利点が欠如してしまうことになりかねません。だからこそ、記者クラブの質の維持は大変重要になってくるわけです。同時に黒板協定など暗黙のルールを守れるような品格も求められてきます。

ここは記者クラブに加盟するには優れた取材技術が必要としています。まあ、それはとりあえず認めるとして、

記者クラブと加盟制

そのような理由もあり、記者クラブはそのほとんどが加盟制となっております。当然ながら記者クラブに加盟するためには会費を支払う必要が生じますが、たいていはその記者クラブが存在している機関がさまざまな経費を支払っているため、その会費はそれほど高額ではありません。また、記者各自が所属している報道機関が支払うことがほとんどですので、記者クラブという名前で記者個人が加盟するかたちになってはいても、記者個人がなんらかの負担を負うことはまずありません。

会費はさほど高くないとしてますが、一つ注目しておきたいのは、

形骸化しまくっているのは容易に推測は付きますが、原則で言えば優れた取材技術が無ければ大手報道機関の社員であるだけの理由では加盟できない事になっているとも言えます。どんなに大手の報道機関の社員であるだけでは取材技術の保証にならないからです。逆に言えば、優秀な取材技術があるならば、これを正当に拒否する理由も本来は存在しないはずです。

記者クラブへの加盟方法

多くの場合、記者クラブへの加入は簡単ではありません。記者の技術よりも記者の所属する報道機関の規模や傾向によって、記者クラブに加盟できるか否かが左右されることが多いようです。そのため、中小規模の雑誌記者やフリーライター記者クラブに加盟するチャンスはきわめて少ないのが実情です。とはいえ、最近はそのような非会員にも記者室を開放する場合も最近は観察されており、少しづつ開放的な傾向が見られているのも事実です。

今さら笑うほどの事はありませんが、散々書かれてきた記者の取材技術など、どうでも良いと明言しています。散々とはこのクラブ加盟の個所だけでなく、記者クラブの役割とか、働きみたいなところにも繰り返しかかれています。でもって現実の審査基準は、

    記者の技術よりも記者の所属する報道機関の規模や傾向
至極簡単には現在の記者クラブ員が「気に入らん」と思えばいくらでも加盟を拒否できると言う事です。その辺は今さら驚くほどのものでないのですが、ここまで書いても記者クラブとしては「何の問題も無い」と自認している一つの証拠になります。



さて記者クラブとはそもそも何ぞやの問題があります。何ぞやとは私的な団体なのか公的な機関であるかです。これはwikipediaからですが、「性格規定の変遷」と言うのがあります。

1978年見解とはまた古いですが、wikipediaで見る限り「親睦団体」となっており、素直に考えて私的な団体です。ところが記者クラブ一覧情報館には違う見解が書かれています。

日本の報道と記者クラブ

記者クラブは日本の報道機関において重要な位置を占める取材組織のことであり、さまざまな記者クラブが存在しています。記者クラブでなければ取材ができない状況というのが実際に設けられているものであり、公的なものである場合がほとんどです。

ほほぉ、私的なものではなく公的なものとしています。公的の語彙を正確に定義しておかないといけませんが、大辞林には、

おおやけにかかわりのあるさま。おおやけの性質をもっているさま。

公的の反対語が私的ですから、そういう意味での「公的」と解釈して良さそうです。


ここで問題が最初に戻るのですが、記者室も記者会見場もそのスペースを官公庁は無料すなわち税金で提供しています。税金で提供するスペースですから誰がどう考えても公的なスペースです。公的と言うのでわかりにくいので公共のスペースと言い換えた方が良いかもしれません。公共のスペースであれば原則として誰でも利用できるはずです。

もちろん公共のスペースとは言え利用制限は場所の性格としてあって然るべしです。しかし制限はあっても、あくまでも公平な条件、公平な資格によって開放される必要があります。国会も一種の公共のスペースですが、その利用権は誰でも参加できる選挙によって審査されます。決して、現在いる議員の承認で新たな議員が認定されるわけではありません。

記者クラブが私的な親睦団体であると言うのなら、記者クラブとしての取材ルールや、記者会見場の席順、記者室の利用ルールぐらいは私的な取り決めをしても差し支えないとは思いますが、私的団体が公共スペースの利用者の制限を独占的に行なっていると言うのは誰が考えてもおかしな状態です。たとえれば、市民体育館の利用を一部の私的団体が談合して決めているようなものです。

では公的団体であればどうかになります。公的であるならとりあえず法的根拠が必要です。記者室や記者会見参加者を制限する権限を委任されていなければなりません。もちろん公共スペースの利用ですから、新たな参加希望者に公平に門戸を開いておく必要があるのは言うまでもありません。公共スペースを公的団体が管理しながら、なおかつ利用者は既クラブ員の恣意的な思惑によって決められる形態は許されるものではありません。


現在の記者クラブのスペースとしての利用根拠は記者クラブが主張する通り、

  1. 行政上の責務
  2. 裁判所の判決や旧大蔵省通達でも認められている
これで認められているとしても、税金で提供される公共スペースの利用権が記者クラブにあるという根拠はどこにもないかと思います。あえてあるとすれば、歴史的経緯により慣行により「なんとなく」認められている程度のものに過ぎないとしか思えません。その「なんとなく」認められている運用権ですが、とんでもないぐらい排他的なものであるのは議論の必要さえありません。

これぐらい排他的な団体は、他で較べると名門ゴルフ会員みたいなものしか思い浮かびません。ああいう団体は会員の入会に厳密かつ恣意的な運用を行ないますが、それが問題にならないのはあくまでも私的な団体であり、私的なスペースの利用権の制限であるからです。公共スペースを既得権だからと言って、排他的に利用するのは誰が見ても特権の悪用です。

さらにこの特権にはあからさまな利権が付いています。

記者クラブの責任

記者クラブにはさまざまな種類がありますが、どのような記者クラブであっても報道機関としての確かなプライドと責任を担ってその業務を実行しています。実際のところ、記者クラブでなければ入手することのできない情報が現在の多くのマスメディアを含むニュース源の多くを占めているのは事実です。そのため、日本の報道機関においては、記者クラブの占める位置はとても大きなものがあり、そこでの情報の公開の仕方、ニュース性、与える印象が各報道機関でどのように扱われるかに大きく影響していくことになります。

    記者クラブでなければ入手することのできない情報が現在の多くのマスメディアを含むニュース源の多くを占めているのは事実
極めて排他的な記者クラブに入会する事により、報道機関の飯の種であるニュース源を独占しているわけです。こういうのは独禁法に該当しないのでしょうか。独禁法を持ち出すとまた細かい注釈が出てきそうなので、先に言っておきますが、私は独禁法に詳しくありません。ただ形態として報道機関が本来公平に受けられるはずの公共の場所でのニュース源を記者クラブが排他的に独占している形態への比喩ぐらいに思ってください。



せっかく仙谷官房長官が問題提起してくれたので反応しても良いと思っています。記者クラブ側のスペースの法的根拠は主張を認めるとしても、利用権を私的な団体で制限するだけではなく排他的に独占使用している法的根拠を是非明らかにすべきだと考えます。ましてや記者クラブが公的機関と主張するならば、その法的根拠と、公的であればなおさらの排他的独占使用の根拠を明確にせよです。

そう言えば記者クラブの筆頭幹事とかなんとか言う肩書きの記者がNY紙のインタビューに応えて記者クラブの存在意味を力説していたのを思い出します。

“What if someone tried to commit suicide or burn themselves to death at a press conference? Who would take responsibility for that?” Mr. Furuta asked.

「もし誰かが記者会見で、自殺や焼身自殺を行なったらどうすると言うんですか。誰がこの事態に責任を取れると言うのですか。」こういう風に古田記者は質問して来ました。

記者クラブの存在意義は記者会見で記者が自殺や焼身自殺を行なった時に責任取ることに存在意義があるとしています。な〜るほどですが、その時にはきっと責任を負って、筆頭幹事は遺憾の記者会見を開き、筆頭幹事から身を引かれるのでしょう。それ以上は「???」です。あまりの存在意義の明快さに夏バテしそうです。

最後の決めセリフですが・・・卵の名無し様に譲ります。