1.17・・・あれから15年

今日は当ブログの恒例で、阪神大震災の事を書かせて頂いています。謹んで震災で亡くなられた方々の御冥福をお祈りします。

それにしても15年とは早いものです。個人的には「昨日のこと」とまで言いませんが「数年前」の感覚がどうしてもあります。それでも、もう15年です。それだけ歳を取ったと言う証拠でしょう。今日は取りとめも無い雑談風で話を進めます。

震災の話自体は普段は余り出ません。幸いにして致命的な被害は受けませんでしたから、15年も経てば日常の話題に上る事は少なくなっています。でもさすがに1.17になると話題にはなります。1.17は火曜の朝に起こっています。当時は成人の日が1月15日に固定されていた頃で、あの年は日曜が1月15日であったために翌日の月曜日が代休となっていました。

ここも既に記憶が曖昧なのですが、たしか週休2日が導入されていたはずです。そうなると土日月の3連休になっていたはずですが、よく覚えていないところです。よく覚えていないと言うのは、当時は勤務医でしたからオンコールがあったはずのなのですが、この3連休がどうであったかを全く覚えていないのです。

間違いないのは1月16日がオフであった事です。では前日がどうであったかは夫婦とも記憶がはっきりしません。このあたりがどうであったかの話題が昨日出たのですが、非常にあいまいです。1月16日は夫婦でお出かけをしています。訪れたのは嵐山であったのも間違いありませんし、非常に寒かったのも記憶に鮮明です。

嵐山に行ったのは夫婦とも覚えているのですが、何故嵐山に行ったのは愚か、嵐山のどこに行ったのかも全く覚えていません。もうちょっと言えば、わざわざ3連休の最後に嵐山に行った理由も覚えていません。3連休がすべてオフならば、最後の休日ではなく前日か前々日に行きそうなものですが、記憶は沈黙したままです。

この連休の出来事と、震災につながる夫婦の話として「おでん」があります。おでんと震災が関連するというのも妙な話ですが、夫婦とも妙に覚えているのがおでんです。私は覚えていないのですが、奥様は少し覚えていて、このおでんの材料を買いに神戸そごうに買い物に行ったとの事です。その時にスイカの形のヤカンを買ったまで奥様は覚えています。

私もスイカのヤカンは覚えているのですが、震災前の連休で買った記憶はまったく残っていません。つうかデパートに出かけた記憶が言われてもまったく思い出せません。ではいつデパートに行ったかになると夫婦とも曖昧です。

おでんは1月16日には出来上がっていました。では1月16日におでん材料を買い、作ったかと言われると嵐山と話が合いません。そうなると1月15日に材料を買って、1月16日の朝に作って嵐山に出かけたのかもしれませんが、夫婦ともその辺の経緯を覚えていないのです。とにかく1月16日には嵐山に出かけ、その日に出来ていたおでんは1月17日に食べる予定であったと言う事しか覚えていないという事です。

もうちょっと言えば、嵐山に出かけた日の夕食はどうしたかを全く覚えていない事です。当時新婚3ヶ月だった私たち夫婦は、お出かけの後によく行く寿司屋があったのですが、奥様の記憶ではその時には行っていないと証言しています。「なんで行かなかったのだろう?」と昨日も不思議がっていましたが、とにかく行っていません。じゃ、どこに行ったかになるとまったく覚えていないという事です。外食だったのかどうかも記憶に残っていません。

ところで運命のおでんですが、震災にも健在でした。健在なのは良かったのですが、震災当日の朝は停電していた上に、とりあえずガスの元栓を締めたので食べようがありませんでした。あの日の神戸を覚えている人間ならわかると思うのですが、大変な事が起こっているのはわかっても、どれだけ大変なのかの全体像を知っている人間は皆無に近かったと思います。情報は極度に不足してましたからね。

当時住んでいたマンションはわりと早いうちに電気は回復していました。電気が回復したので、運命のおでんは電磁調理器で温められましたが、夫婦共に緊張感と不安でどうにも食欲がわかないのです。結局食べたのはもっと後だったと思います。少なくとも1月17日には食べていません。

その時の味なんですが、私は完全に忘れました。奥様は少し覚えていて、煮詰まりすぎて不味かったとしています。それでも今から思えば心配しすぎと笑われそうですが、当時の実感として、食糧すら今後どうなるか不透明な状態でしたから、とにかく食べたのだけは覚えています。

夫婦にとって震災のこのおでんは妙に象徴的に覚えているのですが、ではそれ以外に当時何を食べていたのかは、2人で首を傾げています。とくに震災直後の数日間の大混乱期に何を食べていたのかはスッポリ記憶から抜け落ちています。記憶に残っているのは、おでんが頑張っていた事だけです。おでんしか食べていないなんて無いはずなんですが、2人の記憶はおでんしか無いという事です。

どうも夫婦で震災の話になると話題の中心が運命のおでんになります。15年の歳月がそこにあるのかもしれません。でも、まあ、おでんじゃドラマにも何にもならないのが、いやはやなんともです。