新聞にもメリー・クリスマスを

かつて新聞は家庭や個人の情報収集手段として必要にして不可欠なものでした。テレビ台頭後も、テレビの画像音声による強力な情報発信力に対して、文字による情報源として必要不可欠な地位を築いていたといえます。テレビと新聞と言う二つの情報収集装置を、たとえ片方でも欠いている家庭は非常に珍しかったとしても良いと思いますし、ましてや両方となると探すのも大変だったと思います。

この新聞とテレビの情報源の維持料はどれぐらいかと言えば、契約形態にもよりますが大雑把に月に4000〜5000円程度は必要です。この金額が重いか、軽いかですが、かなり重いと見れます。傍証として商業用の有料チャンネルがなかなか軌道に乗らない事でもわかるかと思います。どうも感覚として情報収集に月間に払う金額はその程度の認識があるように感じます。

そういう中で家庭に新たな情報料の負担が発生します。ネット(PCによる)と携帯です。どちらも今や生活に必須のアイテムに成長し、携帯は固定電話を駆逐し、さらに若者の購買傾向まで変えています。携帯とネットが必須アイテムとなった時代の情報収集装置の優先順位はどうなっているでしょうか。個人的な価値観で変わる部分もあるでしょうが、

    携帯 >>>> テレビ > ネット >> 新聞
まず携帯の必要性は無茶苦茶重いのは間違いありません。必要とか不用レベルの話ではなく、各家庭ではなく子どもまで含めて個人に1台の時代になっています。これについての異論はないかと思いますが、むしろ携帯は情報収集装置とは別の次元の必要アイテムの地位を既に確保していると見ることもできます。

テレビとネットの順は異論もあるでしょうが、落ちつつあるテレビと、必要性が急進中のネット言う関係と見ています。ネットを重く考えたい人間でも、現実には両方を備える努力をするでしょうし、究極の選択としてどっちかぐらいの位置付けが現在かと思っています。これもPCのディスプレイで違和感無くテレビが見れるようになれば、関係は劇的に変わる可能性を秘めています。

でもって新聞です。携帯と言う負担が無条件に増え、その上でテレビとネットを確保して新聞まで購読するのはかなりの負担です。携帯は別次元の感覚とはしましたが、感覚が別次元であるだけで、家計の財布として出所は同じです。テレビとネットの維持料も契約形態によって変わりますが、これも5000〜6000円程度になるかと考えます。

携帯と言う新たな出費が無条件に増えた上で、テレビとネットで5000〜6000円程度必要となれば、「後は締めよう」になるのが家計感覚ではないかと考えます。テレビと新聞の関係は「音声画像 vs 文字」で棲み分け可能でしたが、ネットと新聞の関係は基本的に「文字 vs 文字」です。土俵が同じである上に、必要度がネットの方が高いとなれば、必然的に新聞は除外されると言う事です。

家計に余裕があれば必要序列の低い新聞も維持されるでしょうが、そうでなければ下から切られるのは一種の経済原則です。見た目上、新聞の販売部数がそれほど急激に落ち込まないのは、押し紙制度の恩恵もあるでしょうが、従来の「新聞は必要」の長年の意識への刷り込みが大きいと考えています。もちろんネットに馴染まない高齢者の需要も理由としてあげられます。

ただ刷り込み意識の高いとされる中年層にも新聞離れは確実に広がっています。ネットに馴染まないとされる高齢者層もバカにしてはいけません、ネットぐらいまでなら取り組む人は少なくありません。若年層は遠の昔に新聞から離れていっています。


新聞はネットとの競争を情報の質と捉えているフシが感じられますが、本態はそうでないと考えます。家庭内に必要な物品の必要序列の低下が本当の原因と考えます。情報の質はどうであれ、家庭にネットと言う必需品の需要が誕生し、その必要度は既に新聞を遥かに追い抜いてしまったためとするのが妥当と考えています。

必需品の地位を得たネットが無理をしてもそろえられる一方で、新聞が必需品の地位から落ちたため、不用品として切り捨てる事を検討される地位と言うか、絶対的ではなく相対的に必要ぐらいの地位になってしまったのが、新聞の苦戦の実相とするのが正しいと考えます。新聞が懸命になってネットの情報の質を攻撃しても何の成果も得られないのはそのためだと思われます。

少しわかりにくいのなら、ネットに対する新聞の地位を、新聞に対する週刊誌や月刊誌の地位に置き換えると良いかと思います。月刊誌や週刊誌を定期購読する家庭もありますが、あくまでも優先は新聞であり、新聞をやめてまで月刊誌や週刊誌を定期購読する選択が殆んど考えられないのと同様とすればわかりやすいかと思います。

これからの時代を考えてもネットの必要度は高まりこそすれ、低くなる事は考えにくいところがあります。テレビの必要度の低下もあるでしょうが、新聞がテレビより上位に返り咲く可能性もまた低いと考えます。テレビはまだネットとの親和性があり、そういう部分で必需品として生き残る可能性はありますが、新聞がせめてテレビであっても凌駕する可能性は極めて低いとしか言い様がありません。

新聞が生き残るにはこれ以上必要順位の低下を防ぐ事、各家庭が新聞を買うぐらいの余力を蓄える事ぐらいしか思い浮かびません。


ところがなんですが、そんな新聞にもクリスマス・プレゼントがありそうです。新聞補助金500億円の話はどうなっているかは存じませんが、話題の子ども手当です。子ども手当てについては鈴木寛・文部科学副大臣が、小児医療機関が寄付を募れみたいな御提案もありましたが、もし新聞の必要性が今でもかなり上位に存在するなら、小児医療機関に寄付をするより新聞を購読するはずです。

詳しい分析はしていませんが、子ども手当の給付層は新聞購読率が極めて低い層とかなりシンクロするかと思われます。今まで「出来たら購読したい」と強く必要性を感じていたのなら、来年度の1万3000円からの支出も十分可能ですし、再来年度に本当に2万6000円になればさらにハードルが低くなります。まさに起死回生のチャンス到来です。

ただし必要性の位置付けが低ければ他の支出の前に消え去ります。子ども手当てによって新聞購読者が増えるか増えないかで、新聞の最後の運命が決まるとすれば大げさすぎるでしょうか。もし新聞購読者が、とくに若年層、もっと言えば子育て層に増えない、ましてや減るとなれば新聞の未来は無い様な気がします。

クリスマス・プレゼントを活かすも殺すも新聞自体の努力次第です。今日はイブですから、せめて1年間の感謝を込めて、

    新聞にもメリー・クリスマスを♪
こうさせて頂きます。