手が回らないので雑談

なんとか綱渡りながら続けているエントリーですが、昨日と言うか今日は完全にガス欠状態です。先送りし続けていた年賀状を頑張ったら、なんにもする気がなくなってしまう体たらくです。気力が落ちるとネタを拾う眼力が落ち込み、落ちた眼力で拾おうとするとロクでもないもしか目に付かず、そんな質の悪いものをエントリーに仕上げようとすると、話がちっともまとまらない悪循環です。

つう事で明日はお休みにします。明日休めばあさっても休日なので連休になりますから、エントリーを続けなければならないの呪縛から少しだけ解放されます。ブログはあくまでも趣味ですから、書くテンションがあまりに下がりすぎたら、やはり休むべきだと思っています。プロならこんな状態でも何か書いてしまうんでしょうが、幸いそうではないので休みます。



これで終わりじゃ愛想がないので、ほんの雑談を書いておきます。付き合いが小学校前からと言う旧友がいます。今でも年に何回か会って、話をする事があるのですが、その時に故郷の衰退ぶりが話題に出ました。なぜにあそこまで侘しくなったのだろうかとの疑問です。たいした取りえがあるわけではない地方の小都市ですが、子供の頃には確かに活気がありました。

今ではゴーストタウンみたいになっている商店街も、文字通り人が溢れ、店には客が詰め掛けていました。それが今では店こそ、そこそこ残っていますが、商店街を通り抜ける間に誰も人影を見ないなんて事が珍しくもなくなっています。その他にも中高生ぐらいの時に屯した店がどうなったかを聞いてみると、わずかに生き残っているところもありましたが、殆んどは消滅していました。

消滅と言うのは、他の店が開いたというわけではなく、店自体が消滅してなくなっていると言う事です。「あそこも」「ここも」と聞かされると、自分と故郷とのつながりが一つずつ切り離されるようで、言い様の無い寂しさが胸に広がるものです。

故郷を出てからの歳月を考えるとそれぐらいになっても不思議無いと言えばそれまでですが、実家の周辺の店を思い起こしても、八百屋2軒(八百屋消滅)、電器屋2軒(電器屋消滅)、豆腐屋1軒(豆腐屋消滅)、スポーツ用品店1軒(スポーツ用品店消滅)、荒物屋風よろづ屋1軒(これも消滅)、喫茶店1軒(これも消滅)、酒屋1軒、米屋1軒、造り酒屋1軒、駄菓子屋3軒(消滅)、着物屋1軒(消滅)、洋服屋1軒(消滅)・・・

寂れた原因を挙げるのは割りと簡単なんですが、それより昔はなぜ栄えていたかに感心が湧きました。かつての繁栄は故郷だけではなく、近隣の町からも人を惹き付ける魅力があったとされます。なぜそんなに魅力があったかと考えてみると、他に行くところがなかったのが大きな理由ではないかの仮説が思い浮かんできました。


人には日常的に動ける範囲と言うのがあります。徒歩で動ける範囲、自転車で動ける範囲、バスで動ける範囲、電車で動ける範囲、クルマで動ける範囲などです。栄えていた頃の動ける範囲は、徒歩または自転車程度が当たり前の時代であったからではないかと考えます。なにぶん田舎のことで、バスの便も少なく、電車の便も少ないところですから、とても日常の足には使いにくいものでした。

徒歩や自転車の動ける範囲で日常生活を営めば、行けるところは限られます。自動車も普及しかけてはいましたが、まだまだ贅沢品であった上に、道路も駐車場の整備も悪く、持っていてもそうは日常に足に使いにくい時代でもありました。そういう時代であれば日常生活は地元で営まれ、営まれるが故に栄えていたんじゃないかと考えます。

街が栄えれば、そこでの求人と言うか、仕事が生まれますから、勤労世代も街に住むものが確保され、狭いながらも一種の独立した商圏を維持していたかと考えます。

そういう循環がある時期から急速に衰退したのは、自動車の普及と道路の整備かと見ます。自動車の普及と道路の整備は時代の要請でしたし、必要なものであったのは間違いありません。一つの進歩なのですが、進歩とは必ずしもすべてにメリットを与えるわけではありません。

私の子供の頃でも地方小都市の衰退が問題になりかけていましたが、原因とされたものの一つに、大資本による郊外型店舗の進出がよく挙げられていました。でっかい駐車場付のスーパーが進出して、地元の商店街に活気が無くなる現象です。この時に地元の商店街が衰えた原因として、価格競争に負けたからというのがよく使われていました。

価格競争は大きな原因であるのは間違いありませんが、それだけが原因かと言われると必ずしもそうでないような気がします。わかりやすい例を挙げるとコンビニの繁栄です。でっかいスーパーがあってもコンビニは成立しています。価格はコンビニの方が高いのにです。

地方都市ではある時期から日常の移動手段にクルマが大きく台頭したためと考えます。クルマと言うのは便利なもので、徒歩や自転車の10倍以上の範囲をラクラクと移動できます。移動できるだけでなく大量の荷物を積み込めますし、運ぶ手間も格段にラクです。一度クルマの便利さに目覚めると、クルマの利便性を出来るだけ活かした生活を考えるようになります。

ネックであった道路の整備が進むと、クルマで出かけられるところが重視されるようになります。逆に言えばクルマで行きにくいところは敬遠される事になります。その上で価格差があればなおさらになります。郊外型のスーパーになぜ行くかと聞かれれば、「安いから」と答えるでしょうが、実はクルマが使えるメリットが裏で大きかったのではないかいと思います。

このクルマ依存は地方ほど濃厚であり、逆に都市部では電車やバスなどの公共交通機関が発達し、クルマに依存しない人口が少なくないと考えます。都市部のほうが徒歩や自転車に加え、電車やバスの移動範囲に拘束される傾向が強くなり、大規模店舗と小規模店舗が案外共存できるんじゃないかと見ています。

もう一つ、クルマと道路の整備は、徒歩や自転車では移動が到底無理である地域を結び付けます。クルマと道路がなければ行くだけで1日仕事であったり、下手したら泊まりこみの必要があったのが、ごく簡単に行ける様になります。結び付けられた2つの地域に大きな差がある場合、クルマの特性でより大きなところに人が集まります。片方に集まれば、片方は確実に衰退します。衰退するというより、より大きな魅力的な商圏の周辺地域になり下がると言えば相応しいかもしれません。



あくまでも地元に残っている旧友のボヤキを聞きながら思い浮かんだだけの仮説ですし、今日書いた程度の事は社会学か何かで既に分析されつくされているとは思います。雑談ですからその辺は大目に見てもらって、「昔は良かった」式の話をするのが、この歳になると結構楽しいものです。地方小都市の商店街の賑わいなんて記憶は、体験者にとっては本当に懐かしいものです。

しかし本当にあの時代のほうが今より良かったかは疑問です。人の記憶はエエ加減なもので、良いことはよく覚えていますが、悪い事は忘れやすくなっています。私の子供の時代と今となら間違い無く今のほうがトータルでは良い時代と考えています。ただこれからの時代はどうでしょうか、10年先、20年先が今より良くなっているでしょうか。そんな事を思いながら今日の雑談はオシマイにさせて頂きます。