愛育病院の続報

今日は休載の予定でしたが、事が予想以上に大きくなりそうなので、取り急ぎですが頑張ってあげます。3/26付朝日新聞より、

愛育病院が総合周産期センター返上申し出 当直維持困難

 危険の大きい出産に24時間態勢で対応する総合周産期母子医療センターに東京都から指定されている愛育病院(港区)が、都に指定の返上を申し出たことがわかった。今月中旬、三田労働基準監督署から受けた医師の勤務条件についての是正勧告に応じるためには、医師の勤務時間を減らす必要があり、総合センターに求められる態勢が確保できないと判断した。

 総合センターでなくなると、救急の妊婦の受け入れが制約されたり、近隣の医療機関の負担が増したりするおそれがある。都は愛育病院に再検討を求めている。厚生労働省によると、総合センターの指定辞退を申し出るケースは初めてという。医師の過重労働で支えられている周産期医療の実情が露呈した形だ。

 病院関係者によると、三田労基署から、医師の勤務実態が労働基準法違反に当たるとする是正勧告書を受け取った。勧告書は、時間外労働に関する労使協定を結ばずに医師に時間外労働をさせ、必要な休息時間や休日、割増賃金を与えていないと指摘。4月20日までに改善するよう求めている。

 愛育病院は、同法などに沿って時間外勤務の上限を守るには、現在の人員では総合センターに求められる産科医2人と新生児科医1人の当直を維持できないため、指定を返上することにした。

 同病院は周産期医療が中心。99年4月に総合センターに指定された。常勤の産科医は昨年10月現在で研修医も含め14人、新生児科医7人。年間千数百件の出産を扱う。「自然出産」がモットーで、皇室との関係が深く、皇族や有名人の出産も多い。

 病院関係者は「勧告に沿うには医師を増やすしかないが、月末までに新たに医師を探すのは不可能。外来だけしかできなくなる恐れもある」と話す。

 都は25日、「労基署の勧告について誤解があるのではないか。当直中の睡眠時間などは時間外勤務に入れる必要はないはず。勧告の解釈を再検討すれば産科当直2人は可能」と病院に再考を求めた。

 東京都では昨年10月、脳出血の妊婦が8病院に受け入れを断られ、死亡した問題があった。都は「ぎりぎりの態勢で保っている周産期医療のネットワークが揺らぎかねない」と衝撃を受けている。

 一方、同様に総合センターに指定されている日赤医療センター(渋谷区)も渋谷労基署の是正勧告を受け、労使協定などの準備を急いでいる。(大岩ゆり、大隈崇)

愛育病院の続報です。労基署による是正勧告部分は、記事を信じれば、

三田労基署から、医師の勤務実態が労働基準法違反に当たるとする是正勧告書を受け取った。勧告書は、時間外労働に関する労使協定を結ばずに医師に時間外労働をさせ、必要な休息時間や休日、割増賃金を与えていないと指摘。4月20日までに改善するよう求めている。

ここに関してはおさらいですが、是正勧告部分は二つに分かれていると考えます。

  1. 時間外労働に関する労使協定を結ばずに医師に時間外労働をさせた、割増賃金を与えていない
  2. 必要な休息時間や休日を与えていない
本当は二つは連動していまして、愛育病院の医師がそもそも時間外労働を行なっている事が労基法違反です。労基法の勤務時間の規定は32条に定められ、

32条

 使用者は、労働者に、休憩時間を除き1週間について40時間を超えて、労働させてはならない。
 2 使用者は、1週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き1日について8時間を超えて、労働させてはならない。

この32条違反を防いで労働者に時間外労働を行なわせるためには、36条に基づく労使協定を結ぶ必要があります。俗に36協定とも呼ばれますが、これは労働者の合意がなければ結べないもので、使用者側が届れば済むものではありません。36条違反には罰則はありませんが、36条による協定を結ばないと自動的に32条違反になるものです。

だから36協定が無ければそもそも時間外労働による割増賃金自体が発生せず、休日も自動的に確保されるはずです。ただ休憩や休日に関する項目は、仮に36協定を結んでいたとしても労基法違反であるから「是正せよ」になっているんじゃないかと考えます。つまり二重の違反を指摘され、それの是正を求められている状態と考えます。


ここで「休日」については推測が難しいので、休憩時間のほうを少し考えてみます。休憩時間は34条に関りますが、

第34条

 使用者は、労働時間が6時間を超える場合においては少くとも45分、8時間を超える場合においては少くとも1時間の休憩時間を労働時間の途中に与えなければならない。

通常は日勤帯の昼休みに関しての事になることが多いのですが、愛育病院の場合は異なる可能性があると考えます。当直勤務時間の休憩に言及した可能性もあるんじゃないかと推測しています。当直勤務中の勤務についてはかの有名な平成14年3月19日付基発第0319007号「医療機関における休日及び夜間勤務の適正化について」および平成14年3月19日付基発第0319007号の2「医療機関における休日及び夜間勤務の適正化について(要請)」によって決められています。そこの「勤務の態様」に、

常態としてほとんど労働する必要がない勤務のみを認めるものであり、病室の定時巡回、少数の要注意患者の検脈、検温等の特殊な措置を要しない軽度の、又は短時間の業務を行うことを目的とするものに限ること。したがって、原則として、通常の労働の継続は認められないが、救急医療等を行うことが稀にあっても、一般的にみて睡眠が充分とりうるものであれば差し支えないこと。 なお、救急医療等の通常の労働を行った場合、下記3.のとおり、法第37条に基づく割増賃金を支払う必要があること。

さらに「睡眠時間の確保」についても、

宿直勤務については、相当の睡眠設備を設置しなければならないこと。また、夜間に充分な睡眠時間が確保されなければならないこと。

つまり仮に36協定が存在したとしても、この通達にある、

    睡眠時間の確保
これを満たしていないから、当直業務についても是正せよの勧告を受けた可能性を考えます。是正する方法も通達に明記してあり、

宿日直勤務中に通常の労働が頻繁に行われる場合労働実態が労働法に抵触することから、宿日直勤務で対応することはできません。 宿日直勤務の許可を取り消されることになりますので、交代制を導入するなど業務執行体制を見直す必要があります。

ここまで迫られたので愛育病院側としては大いに動揺したのではないかと考えます。愛育病院の医師数はHPの職員紹介 によると産婦人科12名、新生児科7名が確認できます。このうち前期研修医が混じっていたり、4月の異動でどうなるかは不確定な部分があるにせよ、この人数で

同法などに沿って時間外勤務の上限を守るには、現在の人員では総合センターに求められる産科医2人と新生児科医1人の当直を維持できない

どうやら愛育病院は時間外勤務時間の延長で是正勧告に対応しようと考えていると思われます。交代制を取ると日勤戦力が必然的に減少しますから、日勤戦力は従来のままを出来るだけ保持したいの考えと推測します。36協定による1ヶ月の時間外勤務の上限は目安として45時間ですから、産婦人科を例に取ると12名分で540時間になります。

4月をモデルとすれば、時間外勤務が必要になる時間は1人制で、

    平日夜勤:15時間 × 21日 = 315時間
    休日夜勤:15時間 × 9日 = 135時間
    休日日勤:7時間 × 9日 = 63時間
全部足すと513時間です。この計算では8時間以上の労働には休憩時間が1時間必要とされ、休憩時間は労働時間から除外しています。時間外勤務でカバーしようとすれば確かに1人分の当直しか置けません。新生児科は7名ですから315時間の上限となり、そもそも維持できなくなります。


ここで東京都の発言が出ます。

「労基署の勧告について誤解があるのではないか。当直中の睡眠時間などは時間外勤務に入れる必要はないはず。勧告の解釈を再検討すれば産科当直2人は可能」

東京都の解釈は労基法に定める当直業務では、労働時間が発生したときのみにカウントされるから、それ以外の時間は労働ではなく当直業務になり、働いている時間だけカウントすれば、時間外勤務の上限基準はクリアするはずだとしていると考えられます。

この是正勧告が通達まで踏み込んだ内容なのかそうでないのかの確認をする術が無いのですが、愛育病院側の発言を考えると、相当厳しく勤務内容について是正勧告を受けた可能性を推測します。それとも院内の医師世論として、夜間休日の勤務を当直の片手間でやっている解釈では、とても合意が得られない状態になっているのかもしれません。36協定の締結のためには、医師の同意が必要ですから、東京都の解釈ではとても協定を結べない状態もありえるかもしれません。

実際のところ総合周産期センターの勤務実態が、

    常態としてほとんど労働する必要がない勤務のみを認めるものであり
こんな状態であるとは医師であるなら誰一人考えません。労基署が通達に基づいた是正勧告を出したのか、病院側が労基法を急に勉強してそれに合わせようとしているのか、はたまた医師側が通達に基づいた労働条件の確保を打ち出しているかは藪の中ですが、医師の勤務条件の向上のためには愛育病院の方向性を指示します。

一方で帳簿上の辻褄合わせで実態を隠蔽しようとしている東京都の姿勢は評価できません。もっとも東京都にしても愛育病院の方針を安易に受け入れたら、同じように是正勧告を受けている日赤医療センターや他の周産期センターに、将棋倒しのように波及する可能性を危惧して必死なのかも知れません。

東京都の解釈法は、おそらく他の是正勧告を受けた病院の対応例を参考にしているかと思われます。帳簿上で時間外勤務のカウントを制限し、働いていようがいまいが、時間外勤務の上限までしか勤務時間をカウントせず、他の時間は報告上は「寝ている」にして誤魔化して対応せよであると考えます。そういう対応でその場しのぎをするのが是か非かの見解は分かれるところです。

分かれるとは言え、東京都の方式に従った場合にも波及する問題は生じます。そんな違法をゴリ押しする病院からの逃散です。是正勧告を受け、病院側が労基法に準じた労働環境の成立に努力しようとしているのに、それを強引に封じ込めた東京都の実績です。人の口に戸は立てられません。こんなものは秘密でも何でもありませんから、幾らでも情報は流れるだけでなく日本中に広まります。言ったら悪いですが、ほんの数日で日本中のほとんどの勤務医に広まると言ってもよいと思います。

しかしそれにしても是正のための期限が早いですね

4月20日までに改善するよう求めている

これも記者がどの項目の期限であるかを十分確認したかどうかに疑問が残るのですが、本当なら待った無しの対応を病院は迫られている事になります。案外注目される展開になりそうです。



と、ここまで昨日の段階で書いていたのですが、重要な追加情報が出ています。3/26付m3医療維新より、

「法令違反」と言われては現場のモチベーションは維持できず/愛育病院院長と事務部長が労基署による是正勧告で取材に応じる

 3月26日、愛育病院(東京都港区)院長の中林正雄氏と、事務部長の大西三善氏は、今回の労働基準監督署による是正勧告の件でm3.comの取材に応じた。また、16時から報道各社へ向けた合同説明会が開かれた。ポイントは以下の通り。

労働基準監督署勧告の経緯と問題点

 大西氏によると、労基署による最初の調査があったのは今年1月20日。労基署は、医師の勤務体制(特に当直とその翌日の勤務)、看護職員の勤務体制について、一部の医師の勤務予定表と実施表、給与台帳、時間外・休日労働に関する協定(36協定)などの資料を持ち帰った。2月19日に再調査が行われ、全医師の2008年12月分給与と11月分の勤務実態、手当ての支払い状況などを確認し、それらの内容を踏まえて3月17日に愛育病院への是正勧告・指導がなされた。

労基署より指摘があったのは、主に以下の点。

 ○医師の時間外労働について、36協定が締結されていなかった

 愛育病院でも、36協定そのものは締結されていた。しかし、時間外労働の規定があったのは医師を除く他の職種のみだった。この理由について、大西氏は「事務手続きのミス」と説明している。

 ○時間外労働、休日労働が法定基準を超えていた

 総合周産期母子医療センターは、常時複数の医師がいることが要件となっている。愛育病院では、常勤医1人、非常勤医1人、オンコール1人という夜間体制を取っている。

現在愛育病院の産科常勤医は15人。しかし、このうち女性医師5人は、現在、妊娠・出産・育児のため、時間外勤務を免除されている。さらに1人は厚生労働省の要請を受けて福島県の病院に出向しており、もう1人は専門医取得のため現在他院で研修中だった。院長、部長、医長、後期研修医などを除くと、事実上5人の常勤医が当直を担っており、それらの医師の時間外勤務が法定の時間を超過していた。ただし、中林氏は、「一時的にオーバーワークが出てしまったものであり、常態的なものではない」と説明している。

 また、検査技師1人についても、36協定で合意された時間外勤務時間を超過した月が1カ月あった。

 ○時間外勤務についての割増賃金が支払われていなかった

 労基署の見解では、当直とは夜間の見回り程度の宿直業務であり、原則として睡眠時間が確保される状態のもの。しかし、周産期医療現場では夜を徹して分娩などの医療行為に当たることが常態であると言える。この点について労基署は、当該業務は事実上、宿直ではなく夜間勤務であるとし、それに伴う時間外勤務への賃金を支払うよう求めた。

 なお、愛育病院では、「当直手当」は支払っていた。金額は、対応した母体搬送数、分娩数などにより3万-6万円。一方、法定の時間外割増賃金(基準賃金の25%増)では、中堅-上級クラスの医師では8万-9万円になる見込みだという。

 “看板”が外れても、病院には特段の問題なし

 労基署の是正勧告を受け、3月25日、愛育病院は東京都に総合周産期母子医療センター(以下「総合周産期センター」)の指定返上を打診した。理由は2つ。(1)総合周産期センターの要件では、常時複数の医師を置くことが必要である。しかし、労基署の是正勧告に従うと、常勤医がすべての当直に加わることはできず、非常勤医2人での当直体制(その場合オンコールを2人とすることを検討)となる日も生じる、 (2)東京都には総合周産期センターは9施設あるが、愛育病院以外はすべて大学病院などの総合病院で、救命救急センターなども併設されている。そのような機能のない愛育病院は、総合周産期センターとして適切か否か、という点。

 中林氏は「地域の周産期医療を担う病院のduty(義務)として一生懸命やっている状況を『法令に反している』と言われては、現場のモチベーションが維持できない」と語る。「法定基準は将来的には適正に守れるようにすべき。しかし、現在のように赤字の病院が多い、産科医療に携わる医師も不足している、という状況で、すべてを一度に解決するのは不可能。実態に合うよう法の弾力的解釈を行いつつ、中長期的な解決が図られるよう全国的な問題として行政にきちんと取り組んでもらいたい」と要望した。

 総合周産期センターという“看板”については「どちらでも良いと考えている」という。「総合周産期センターを返上し、地域周産期センターとなった場合も、現在行っている医療の質を落とすわけではなく、実質的な変化はない。しかし、規制が外れる分、より柔軟な対応が可能になるとは思う。当院から『こうしたい』と言うことはできない。このような状況でも“総合”としてやっていった方が良いと東京都が判断するのであれば、続けないわけにはいかない」と述べた。なお、地域周産期センターとなった場合でも、NICUの病床数などは減らさない考えを示している。経営的な面でも、総合周産期センターには年間約2000万円の補助金が支給されているが、診療報酬による加算などを含めて試算しても全体で1000万円程度の減収であり、分娩費用が60万-70万円と他施設よりも高い愛育病院は、「分娩費用を1万円上げれば十分賄える」という。

 今日(26日)の午後、東京都からは「(総合周産期センターを)続けてもらいたい」との意向が伝えられたとのこと。中林氏は、「“担当部長の意向”だけでは、今後人事移動などにより判断が変わる可能性もある。周産期医療協議会で検討を行った上、文書で回答をいただきたい」としている。

詳細に分析していけば長くなりますし、上記の分析と重複しますので、現在マスコミ各社で微妙にニュアンスが異なる総合周産期センターの返上の部分だけ注目してみます。注目される院長コメントは2つで、まず、

「法定基準は将来的には適正に守れるようにすべき。しかし、現在のように赤字の病院が多い、産科医療に携わる医師も不足している、という状況で、すべてを一度に解決するのは不可能。実態に合うよう法の弾力的解釈を行いつつ、中長期的な解決が図られるよう全国的な問題として行政にきちんと取り組んでもらいたい」と要望した。

原則として労基法に基づく労働環境の遵守を尊重しながら、遵守していては医療が成立しない現状を説明していると見ます。そのギャップに対して病院側の辻褄合わせではなく、行政の対策としての裏付けを行なってくれなければ対応できないとの意向を示しているものと考えます。この意向の延長線上で、

「“担当部長の意向”だけでは、今後人事移動などにより判断が変わる可能性もある。周産期医療協議会で検討を行った上、文書で回答をいただきたい」としている。

なかなかしっかりした発言で、いろいろ伝えられる東京都の意向は「担当部長」からのもののようです。やはり担当部長の意向は口頭で「病院側の責任でクリアせよ」であり、そのための「知恵だけは貸してやる」状態であると推測されます。口頭で知恵だけ貸してもらっても、責任はそれを行なった病院側であるとの認識を愛育病院側は持っていると感じられます。

そのため口頭指示ではなく、東京都からの公式の文書で知恵の裏付けを行なってくれとの意向を示していると思われます。これは結構な大問題で、労働行政で労働時間の管理については実態は別として、下手に行政が緩和方針を示すと、医療だけではなく他の職種にも波及します。波及するので東京都も阿吽の呼吸での口頭指示に終始しているとも考えられ、公式の文書で違法を行なえは出しにくいというより、出せないかと考えます。

36協定の時間外勤務の上限も厳密には労使の自由な協定で結ばれます。ただ幾ら自由と言っても実質青天井みたいな協定では労働者保護になりませんし、問題になっている過労死問題につながります。上記した1ヶ月の上限45時間も出典を確認できませんが、記憶では厚生労働省なりからの通達なり告示であったはずです。あくまでも目安としていますが、実際は上限を超えると労基署も簡単には協定を認めません。

医師だけ例外としての36協定を「特別」に認める行政文書は、角を立てれば訴訟問題になり、訴訟となれば「法の下の平等」が争点になるのは明らかです。厚生「労働」省も裁判所もそんな危ないものに手を出すのは歓迎しないと考えます。


もう長くなるので日赤医療センターの記事はここでは引用しませんが、従来型の対応に驀進する日赤に対して、愛育病院の姿勢は注目に値すると考えます。この愛育病院の姿勢が、この際、総合周産期センターからの脱退を意図した病院側だけの意向なのか、それとも裏から医師の労働問題を表沙汰にするべしの意向が働いてのものなのかが関心を呼びそうです。