14回目の1.17

毎年この日は阪神大震災の事を書かせて頂いています。たださすがにこのブログでも4回目になりますから、取り上げ方に工夫が必要なんですが、今年は変化球で、

    九州大学大学院医学研究院医療システム学分野教授 信友浩一氏
この方の阪神大震災の見かたを評価したいと思います。引用元は前に批評させて頂いた【緊急提言】第8回「医師は被害者意識を捨てよ」 からです。

2つ目のキーワードは、被害者意識。こんなものがあったら絶対新しいものは生まれないし、元気になれない。阪神大震災があったときに、東部地区の灘や西灘ではすぐに自警団を組んで、ゴミを勝手に捨てるな、変なやつが来たら追い出せ――そんな自発的なコントロールがすぐにできたという。おそらく彼らに、被害者だとの意識がなかったからだ。たとえ、被災者ではあったとしても。

ところが、被害者意識を持っていた地域では、「いつゴミを取りに来るんだ」、「俺たちは被害者だ」――と訴えるばかりで、何も進まなかった。被災者ではなく、被害者だと言う。行政は何もしてくれないと言い、いまだもって自立できていない。被害者意識だけしかないから立ち直れないのだ。

ここは「医療政策課題にまつわる5つのキーワードを教えてください。」の設問に対しての信友教授の回答部分で「医師は被害者意識を捨てよ」をキーワードとしてあげたところの説明部分です。信友教授は阪神大震災において、

  1. 東部地区の灘や西灘では被災者意識はあっても被害者意識が無かったから自立できた
  2. その他の地域で被害者意識を持っていたところは自立できていない
こういう主張を行われているのが確認できます。まずこの主張を行うに当って信友教授が伝聞ないし資料に基づいて書かれた事は間違いないと考えます。それもかなり表層的な読み方をされているかと思われます。非常に細かい事をあげれば、

東部地区の灘や西灘

ここの東部地区とは神戸市の東部地区を指し示すかと思うのですが、非常に不正確な表現です。阪神大震災の被害範囲は広く、被害範囲は神戸市の東部地区までに留まることなく、さらに東部の芦屋や西宮、尼崎まで広がっています。それゆえ「神戸大震災」ではなく「阪神淡路大震災」と名づけられています。阪神とは大阪から神戸の一帯を指す言葉であり、帯状に広範囲に被害が広がっており、漠然と「東部地区」とし、さらにそこを灘、西灘と表現するのは不適切でしょう。

さらに神戸市の東部を指すにしても灘はたしかに灘区と言う行政区がありますが、西灘と言う行政区はありません。灘区の東隣に東灘区と言う大きな行政区があり、西灘と言う表現を使うときには、灘区の中でも西灘地区(阪神電車西灘駅があります)を指します。つまり「灘や西灘」と言う表現は行政区である灘区とその中の地域名である西灘を示すという珍妙な表現になります。ですから神戸市東部を表現する時は「灘や東灘」という表現をします。

とくに東灘は震災時にマスコミが比較的容易に侵入しやすく、連日盛んに東灘区からの震災レポートを送っていましたから、当時の事を覚えている者や、震災の資料を真剣に読んだものなら間違っては困るところです。確かに地元のローカルな地名表現ですが、阪神大震災の被害の大きさ、被災者の多さ、さらに今なお続く震災の影響を少しでも思うところがあるのなら、比喩に出すにしても資料で十分に確認する事が望ましくなります。とくに立場のある者、たとえば教授なら必要かと存じます。この一事だけでも信友教授の震災知識の薄さが窺えます。


ここも気になる記述です。

すぐに自警団を組んで、ゴミを勝手に捨てるな、変なやつが来たら追い出せ――そんな自発的なコントロールがすぐにできたという。

たしかに自警団を組んだところはありました。ただ自警団を組めたところは比較的被害の少ない地域になります。当然ですが自警団を組むには住んでいる住民が必要であり、守るべき資産が無いといけません。震災の被害の大きなところは、地震による家屋の倒壊と続いて起こった大火により、殆んど住民がいなくなったところも珍しくありません。住民がほとんどいなくなった、瓦礫の山の地域に自警団などそう簡単にはできません。

それと「ゴミを勝手に捨てるな」も笑います。信友教授の文章では「すぐに」と表現されていますから、「ゴミを勝手に捨てるな」なと自警団が震災の非常に早期から活動しているとしています。現場を少しでも知っている人間なら失笑しか出ません。とりあえず市内の広範囲に瓦礫の山がテンコモリ状態ですし、言ったら悪いですが、ゴミが少々増えても誰も気がつかない状態です。

さらにですが、地震発生から1ヶ月ぐらいまでは非常に秩序が整っていました。被災者意識による連帯感と言えばよいのでしょうか。すべてを失って避難所に逃げこんだ人間でもゴミは秩序だって捨てていました。もっともゴミ収集が全く間に合わない状態だったので、山積状態になったのはやむをえない事です。

「変なやつが来たら追い出せ」は震災も日数が経てからはあったかもしれませんが、震災直後からしばらくは出来るだけ協力して助け合おうの意識が非常に強かったと証言しておきます。震災直後から「変なやつが来たら追い出せ」の方針で自警団活動を行なったところもあるかもしれませんが、そういうところは当然ですが自警団活動が出来るだけの余力と、守るべき資産があるところになります。

つまりですが、

    自警団活動があるところ:被害が比較的軽微で、住民が残り、資産に余裕のあるところ
    自警団活動の無いところ:被害が甚大で、住民が離散し、資産に余裕の無いところ
これほど単純でないにしろ、全体の傾向としては信友教授が指摘した「被害者意識」云々とかけ離れたところの方が真相に近いと考えられます。これは被災者の実感でもあり、後に様々な調査も行われていますが、震災は残酷なもので、与えた被害は持つ者も待たざる者もある程度公平に及びましたが、生活再建では決定的な差が生じました。

それこそコツコツ住宅ローンを返済して家を手に入れ、年金で生活しているような高齢者には絶望的な被害を及ぼし、たとえ家が全壊焼失しようとも資産があれば、早期に生活再建が可能になります。仕事もそうで、勤め先が健在な被災者は給与と言う収入を確保できましたが、勤め先が倒産されたら収入の確保はあの状況で容易なものではありません。自営業も周囲に住民(客)がいなくなれば再建は困難を極めます。震災は地域によっては生活コミュニティを根こそぎ破壊しています。

被害者意識が無かったから自警団を作り自立できたというより、そういう余裕があった者、あった地域のものが自警団を作り自立できたと言うほうが実情です。住居も家財道具も失い、経済的余裕もなく、地域のコミュニティが破壊された地域では、被害者意識があろうがなかろうが、自警団など組みようもなく、生活を行政の援助に頼り、自立が容易でないのは少しでも想像力がある人間なら分かることです。

持てる物のすべてを失い、生活再建の目途も立たない被災者と、生活再建が可能な被災者では当然スタートラインが違います。自立が可能な条件は被害の程度と残されていた資産などの差の方が大きいするのが妥当かと考えます。ここで状況が悪く自立の目途も立たないものは信友教授の主張する、

行政は何もしてくれないと言い、いまだもって自立できていない。被害者意識だけしかないから立ち直れないのだ。

年齢、資産の有無、さらには肉親の喪失により絶望的な状況になり、生活再建が自力では難しい被災者が、何故にここまで酷評されなければならないのでしょうか。絶望的な状況の中で必死になって生活再建に取り組み、挫折したものも数多くいます。そういう者達にも信友教授はサラサラとこんな批評で片付けるというのでしょうか。研究室の中で「教授、教授」ともてはやされ、震災の資料を斜め読みして比喩に使う浅薄さは、被災者の端くれとして非常に不快です。

震災からの生活再建は、被害者意識の有無だけみたいな底の浅い批評は現場を知らないものの戯言と言えます。もちろん被災者の数は桁外れに膨大ですから、信友教授の指摘するようなケースも無いとは言いません。しかし大多数の自立できなかった被災者は、震災で受けた被害の大きさに自立する術を失った状態であったと証言します。震災被害の大きさはそれほど深刻で、一様の説明など許さないものであるからです。

持てる物のすべてが瓦礫の山と化し、肉親を失い、仕事を失い、資産も無いものが

    被災者ではなく、被害者だと言う。
こういう悲痛な訴えを行い、行政の生活支援を求める事を信友教授は嘲笑されているわけです。信友教授は震災で被害を受けた者を「被災者」と「被害者」に二分されていますが、地震は天災であり、天災にあったものを通常の表現として、
    天災の被害者
古来からすぐれた為政者は、大規模な天災の被害者に対して様々な対策を行なっています。時代によって支援内容は変わりますが、規模によっては国家財政を傾けてこれを行ないます。天災による大規模被害は個人の努力を越えたところにあり、とくに弱者に陥った立場の人間の救済に尽力するのは行政の務めかと考えます。さらに救済を行なっても立ち直れないぐらいの状態になっている人間も当然出て来ます。そんな事は常識以前かと思いますが、信友教授は、
    行政は何もしてくれないと言い、いまだもって自立できていない。
震災時に過剰な支援を要求した者がいないとは言いませんが、行政サイドの支援対策も随所に不備はありました。被災者として歯がゆい部分は多々ありますが、あの混乱の中ですから、今となれば致しかたない部分もあったとは思っています。また阪神大震災の経験はその後の大規模震災の教訓として活用されています。それでも不備は不備としてあった事は事実として認めておく必要があります。信友教授はそれでも行政の不備には一言も言及せず、ただ被災者の「被害者意識」のみを焦点にしています。


それにしても信友教授の理論は実に一貫しています。元の【緊急提言】第8回「医師は被害者意識を捨てよ」は当然医療問題についての提言ですが、ここで展開されている理論は国の責任を医師供給数のみに何故か限定し、限定した上で「不足していない」としてしまいます。つまり国の責任はまず無いと定義し、責任を地方と現場の医師にすべて転嫁します。さらに地方の責任は具体的には何も触れず、医師の根性がたるんでいるから、これを矯正すれば問題は解決すると主張されます。

阪神大震災への言及もまったく同様の理論で組み立てられ、行政に助けを求めるものを「被害者意識を持つ者」とし、そんな根性だから自立できないと結論付けておられます。信友教授の理論では、どんな震災被害を蒙ろうが、被害者意識さえ持たなかったら、行政の助けなど借りずに誰でも自立できると主張されている事になります。

阪神大震災では本当に多数の被災者が苦しんでいますが、信友教授の理論では被災者の精神が「被害者意識」を持った事が復旧、復興の諸悪の根源とし、「被害者意識」さえ持たなかったら、もっと素早く復旧・復興が出来たはずだの精神論を展開しているように感じます。信友浩一氏は「医療システム学」なる分野の教授だそうですが、医療システム学とは行政など為政者の免責の理屈を捏ね上げ、責任を現場の精神論に転嫁する理論を研究する学問である事がよく理解できます。

高木俊郎著「抗命 インパール作戦―烈師団長発狂す」(文芸春秋、1966)P248からパロディを作ってみます。

 しばらく待たされていると、信友教授が出て来た。そして、あるいは激しく、あるいは悲痛な声をあげ、時には涙声さえまじえて、山上の垂訓ならぬ訓示を始めたのである。

 「被災者諸君、被災者の中に私のプランに背き被災地での自立を放棄した者がいる。食う物がないから自立は出来んと言って勝手に行政に頼りよった。これが被災者か。被災者は食う物がなくても自立をしなけれぱならないのだ。家がない、やれカネがない、食う物がないなどは自立を放棄する理由にはならぬ。カネがなかったらサラ金から借金できるじゃないか。サラ金から借金ができなくなれば、腕で行くんじゃ。腕もなくなったら足で行け。足もやられたら口先一つで自立する方法を考えるんだ。被災者には被害者意識が無いことをを忘れちゃいかん。日本には医療システム学がある。精神論が守って下さる。たかがこの程度の震災に被災者が負けるものか。絶対に負けやせん。行政に頼らない自立の信念をもってやれ。食物がなくても命のある限りやり抜くんじゃ。精神論は不滅であることを忘れちゃいかん」

 この声涙共にくだる一時間余りの長広舌のため、あちらでも、こちらでも脳貧血を起して卒倒する者が続出した。兵庫県知事も、神戸市長も倒れた。それでも彼はいっこうに山上の迷言狂訓をやめようとはしなかった。精神論も時により結構だが、空腹の私達被災者には立って居ること自体が懸命の努力なのである。すべてを失った高齢の被災者には、心の支えにするものが何一つ見当らないのだ。ようやくにして訓示も終り、彼はマスコミを従えて大阪の高級ホテルにヘリで帰って行った。私達は救われた思いで、それぞれの仮設テントへ帰ったのである。

御用学者である事のアピールのダシに、阪神大震災の被災者を持ち出すことに怒りを覚えています。