日曜閑話21

今日のお題は「料理」です。料理も独身時代は相当凝りましたが、結婚してからは御無沙汰になり、食べる方専門になっています。それと今日は閑話ですから、根拠の検索はかなりいい加減で、個人的な感想で展開しますが御了承ください。

俗に世界三大料理と言いまして、「フランス料理、中華料理、日本料理」と言ったりします。もっとも三大料理に日本料理を入れるのは日本人ぐらいで、フランス料理、中華料理は変わらないとしても、3つ目はオラが国の料理を入れるのが三大料理の定番です。ちょうど世界三大美女クレオパトラ楊貴妃は定番でも、三人目は色々変わるのと同じでしょうか。

ただ独自の料理法が発達した国は特定の条件があるようにも思っています。料理が発達するためには、贅沢な料理を食べる階級の存在が欠かせません。簡単に言えば華麗な王朝文化が花開く必要があるということです。王朝文化には宴会は欠かせませんし、そこには当然のように豪華な食事が提供され、さらにその質の向上を金に糸目をかけずに行なう長期間の努力が必要だという事です。

王朝で華麗な食文化が花開くだけではまだ十分ではなく、その王朝が崩壊し、宮廷という職場を失った料理人たちを受け入れる経済的余裕が国にあることも重要です。宮廷と言う限られた場所で発達した料理が国中に広まる必要があるということです。典型的なのはフランス料理といわれています。

フランス料理が発達したのはルイ王朝の時代と考えてよいでしょう。ルイ王朝がヨーロッパの中でも随一の王朝文化、宮廷文化を花開かせたのは説明の必要も無いかと思います。ルイ王朝とそれを支えた貴族はフランス革命の中で滅びますが、料理人たちは国中にばら撒かれます。鴨料理で世界的に有名なトゥール・ダルジャンも革命前は単なる宿屋であったとされ、革命により宮廷から追い出された料理人が住み着いて今日に至るとされています。中華料理も似たようなところがあります。

それに較べると我が日本料理はちょっと変形です。日本で本当の意味での宮廷文化、王朝文化が花開いたのは平安時代と考えています。ただ当時の料理は基本的に滅んでいると考えています。当時の宮廷料理は平安貴族の力の衰えとともに衰微し、武家政治の鎌倉幕府には伝わらなかったかと考えています。言ったら悪いですが超がつく田舎者の鎌倉武士に、平安貴族の料理など合わなかった、わからなかったと考えられるからです。

先ほど平安貴族の宮廷料理は基本的には滅んだとしましたが、当時の料理人がいかに卓越した技術があろうとも、フランス革命後のように、それを食べる料理屋が成立しなかったからです。技術のいくつかは現在に続く京料理に受け継がれているとは思いますが、宮廷料理の華やかさは滅んだと考えて良いかと思っています。

実は鎌倉武士が何を食べていたかもよく知らないのですが、京都とは別の文化圏と言っても良い土地ですし、鎌倉武士は基本的に自作農であったため、自給自足の慎ましいものであったのではないかと考えています。鎌倉時代で贅沢をしたような記述は記憶に少なく、辛うじて有名なのは最後の執権である高時ぐらいです。ただ高時も「遊びほうけた」の記録は残っていますが、「贅沢した」との表現は乏しく、豪華な食事についてはさしたる記録はないと考えています。

では室町はどうかになりますが、室町から戦国時代にかけても良く分からない時代です。料理史を研究されている方ならいろいろ資料もあるでしょうが、そこまで踏み込まないと「???」の時代です。室町時代は京都に政権がありましたし、室町幕府も基本的に何もやっていない政権ですから、宴会文化は花開いたはずです。義満の北山文化、義政の東山文化があり、そこで出された料理は贅を尽くしているはずですがよくわかりません。

何のかんのと言って、日本料理の原型は江戸時代に作られたと考えるのが妥当です。とはいえ江戸幕府、将軍家の料理が豪華であったかどうかになるとこれも疑問符がつきます。五代綱吉ぐらいなら豪華なものを食べていたんじゃないかと思うのですが、さしたる記録が思い浮かびません。どうもなんですが、将軍家にしろ、大名家にしろ、京都の朝廷にしろ、かなり早い時期に貧乏になり、財政再建のための質素倹約の模範をトップが示すために質素であったと考えられます。

またかなり早い時期に料理が形式化し、その発達が停滞しているような印象があります。料理が発達するためには、新奇なもの、珍奇なものを食べるのを喜ぶ客層があり、常にそれを求められる関係が必要です。形式化して新奇なもの、珍奇なものを排除してしまうと発達は止まってしまいます。江戸時代の将軍家、大名家、京都の朝廷ともそんな感じでなかったかと思っています。

一方で富を蓄えた町人階級は豪華な食事を求めます。また幕府は大名家の勢力を削ぐために「お手伝い」と称する公共事業を命じます。「お手伝い」は大名家のすべて持ち出しですから、当ったら藩の財政が無茶苦茶になるため、江戸藩邸留守居役による接待文化が花開きます。豪華な接待で「お手伝い」情報を入手し、さらにそれを防ごうとする外交です。

そのため江戸では豪華な接待料理が発達する事になります。それこそカネに糸目をつけない豪華料理の競演です。なにしろ金がかかっている事が接待の条件の一つですから、非常に豪華な物になります。ではではそんな接待料理が現在の日本料理の原型かといえば、実はこれもそうではなさそうなのです。江戸で発達した接待料理は、カネをかけると言う命題の下に異常に凝った料理になったと言われています。素材の味を素直に活かすような料理では「貧相」とされ、下味をしっかりつけるかなり濃厚な味の料理であったとされます。

この接待料理は江戸幕府の滅亡とともに衰微したと言われています。高すぎたのと、過剰な味付けのために、明治以降の新たな客層は受付けなかったとされます。江戸文化が花咲かせた徒花になったと言えばよいのでしょうか。結局江戸の料理として生き残ったのは、元もとは庶民の料理であった寿司ぐらいで、これが異常に高級化したと思っています。ですから、寿司には現在も二面性が在り、高級寿司屋がもてはやされる一方で、回転寿司にも地位がしっかり与えられる関係が成立していると考えます。

次から次へ日本料理の源流を否定してしまいましたが、現在の主流と言うか根本は京料理でしょう。それだけの料理がどうやって成立したかです。これもどうやらなんですが、源流は茶懐石にあると考えられます。懐石料理の大元は、茶事のときに空腹状態でお茶を供する事を避けるの意味合いで提供されたとなっています。茶事は現在は茶道として難しい約束事が沢山できてしまいましたが、根本は亭主と客となる事で身分階級を離れ、自由な会話形式を楽しむものです。

ここでちょっと茶道についてですが、現在では礼儀作法の総本山の趣がありますが、出来た頃はそんなものではなかったと考えています。封建時代の身分制は厳密に定められ、身分の上下によって行なわれる礼も細かく定められていました。非常に煩雑で形式的なもので、身分が違えば会話一つするにも大変な作業が必要でした。ところが茶事となれば、身分は亭主と客の二つになり、さらに茶事の礼を一つ覚えれば自由に会話する事ができます。礼が軽く、身分を越えて対等に会話できる開放空間の魅力が茶道が発達した原動力だと考えています。

そういう茶道の心得に亭主は心を込めて招待客を接待するというのがあります。接待の目的も明快で、茶事の基本であるお茶をいかに美味しく飲んでもらうかと考えれば良いかと思います。そのために寒い時期ならお風呂を用意して温まってもらうというのもありますし、空腹であれば軽食を出すというのも接待です。その一つの方向性として、お茶を飲む容器である茶道具に凝るというのもあるわけです。

接待と言うより「もてなし」と言うほうがしっくり来るのですが、このうち料理を出すというのが異常発達したのが懐石料理と言える様な気がしています。もともと「もてなし」ですから、形式はありますが、茶道の基本精神である自由の心構えがあります。将軍家などの料理が形式に縛り付けられたのとは対照的に、かなり自由に創作が出来る余地が広がったと考えています。茶道では新奇なものも受け入れますからね。

茶道は江戸でも、上方でも広がっていたはずですが、やはり本場は千家を中心とする京都が中心とするのが妥当かと思います。茶道の流れも複雑なんですが、料理から見れば京都で発達したと考えて良いかと思います。ここで取り入れられたのが、平安時代から京都に土着していた京料理、さらにそれに付け加えて禅宗普茶料理がミックスしたと考えます。

また茶道の美の鑑賞では、手を加えた美より、そのままの美を称えるところがあります。工夫が重ねられていても、それが表に出ない美を尊ぶといえばよいのでしょうか。さらに茶事と懐石料理は分離します。分離しても料理に対する自由の精神は受け継がれ、またあざとい小細工は歓迎されないというのが基本になったのが日本料理の原型の様な気がします。

自由な精神が受け継がれているから、明治になり肉食文化が広まれば懐石料理にも取り入れられます。料理の素材としても、日本料理と言う限定はせずに、フランス料理の素材でも、中華料理の素材でも取り入れます。技法さえ取り入れているときもあります。ただもう一つの伝統である過剰の装飾を控えるもあり、懐石料理として取り入れても、素材の味を活かす工夫と言う点で、どれを食べても日本料理になっているかと思っています。


料理史を研究している方にとっては、噴飯物のお話ですが、今日は閑話ですしお目こぼしください。それと前段を書いているうちに長くなってしまい、他に書きたくて集めたエピソードもあるのですが、それはまた後日機会があれば書かせていただきます。ではでは、本日はこの辺で休題にさせて頂きます。