亡くなられた患者の御冥福をお祈りします。それと現時点では当時の状況についての情報が簡略な報道に限られており、事件性があるような事柄なのか否かの判断材料に乏しいところがあります。もちろん情報から推測される医学的見解を論じる事は問題ありませんが、御遺族の心情を慮って言葉や表現の選択に注意して頂きたいのと、また根拠が余りにも乏しい憶測を展開する事は十分な御配慮頂きたいと思います。現時点では真相は藪の中だからです。
昨日産経、朝日、タブロイド、神戸の4紙の記事を紹介しましたが、このうち産経と神戸のタイムスタンプが確認できます。
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産経:2009.1.8 01:50
神戸:2009.1.8 12:28
産経新聞 | 7日、分かった |
朝日新聞 | 8日発表した |
タブロイド紙 | 8日、明らかになった |
神戸新聞 | 八日、分かった |
産経新聞は1/8の01:50に報道しているぐらいですから、「7日、分かった」になっています。問題は病院側の記者会見がいつ行なわれたかで、ここは朝日の記事に注目してみたいのですが、
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8日発表した
女性の母親(62)は病院側の謝罪にも「家に戻ってきた娘の背中は赤紫色だった。どんなに苦しかったのだろう。もっと生きたかったはず。あの病院にさえ行かなければ」と怒りを抑えきれない様子で話している。
当然ですが産経が遺族に取材を行なったのは1/7以前であり、産経記事にある、
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7日、分かった
島田真院長は「主治医も立ち会っており、態勢に問題はなかったが、肝臓が悪いため出血しやすい状態だったなど危険性をしっかりと説明するべきだった。このようなことが2度とないよう取り組みたい」としている。
このコメントはどこから取材したかになります。他紙の情報ソースは1/8に行なわれた病院側記者会見であるとほぼ断定できますが、産経の院長コメントは推測する限り記者会見以外の情報ソースからこれを得ていた事になります。可能性としては、
- 産経が院長への単独取材に成功した
- 遺族からの情報
■「病院はミスを認めていた」遺族の悲痛な訴え
「一度はミスと認めたはず」遺族が病院の対応に不信感を募らせています。兵庫県尼崎市の病院で、女性が腹部に溜まった水を針で抜く治療を受けた後死亡した問題で、遺族が思いを語りました。「血の海の中で寝てました、血の海。だから止血もちゃんとしないで帰されて、かわいそうに…」(亡くなった女性の母親)
事故は先月4日、尼崎医療生協病院で起きました。
患者は重度の肝硬変で入院していた35歳の女性で、腹部に大量に溜まった水を針を刺して抜く治療を受けました。
治療したのは20代の研修医。
1度目は失敗し、2度目でおよそ1.5リットルの水を抜きましたが、その後女性が腹痛を訴え、皮下出血を起こしていたことがわかりました。
しかし病院はすぐに血を止める治療を行なわず、数日後、輸血をしましたが、女性は先月16日、出血性ショックで死亡しました。
「娘が『失敗された、痛かった』と言ったから。『失敗したんでしょ』と言ったら『はい』って」(亡くなった女性の母親)
不審に思った家族は病院に説明を求めます。
そのとき病院側は結果的に病状を悪化させたと謝罪しました。
「出血に対して十分な対応を結果的にしていなかった。甘く見ていたんだと思う」(女性の主治医〜病院の説明の記録)
「腹水を抜くのに失敗したのが原因?」(女性の母親〜病院の説明の記録)
「それが大きなきっかけ」(女性の主治医〜病院の説明の記録)しかし8日開かれた会見では…。
「(Q.ミスといえるのか?)ミスという言葉を使っていいかについては、今のところこちらで判断しかねている」(尼崎医療生協病院・島田真院長)
「私らの前で言っていることと娘にも謝罪しているのにあの会見は何?とすごく腹立つ」(女性の母親)
病院側は会見で「針を刺したとき偶発的に血管を傷つけたが、治療法に問題はなかった」と主張しています。
一度は謝罪しながら、なぜミスを認めないのか、遺族は病院の対応に不信感を募らせています。
病院側と遺族側に強い緊張関係がある事が窺えます。こういう状況下で院長が産経の単独取材を受けた可能性は低いと考えます。ここは推測になりますが、1/8に病院側が記者会見を開いたのは1/7に産経から取材申し込みがあり、これに対応するために行なったと考えるのが妥当かと考えられます。今時の事でそれぐらいのマスコミ対応はどこでもすると思われます。
そうなると産経記事の院長コメントも病院側コメントもすべて遺族側情報であると考えられます。他には出所がないからです。遺族側の姿勢は報道情報だけとは言え「医療ミス」であると十分考えられます。そう信じるからこそ取材にも協力し、情報を提供したと考えるのが自然です。遺族側がそう考え、そう行動する事自体は問題ありません。またこの情報を受けて報道を考慮するのも基本的には問題は無いかと考えます。
ただそれであるならば、どういう取材であったか明確にする必要があったんじゃないでしょうか。遺族側の主張は直接取材ですからキッチリしたものが取れたとは思いますが、病院側の主張については遺族側からの伝聞(録音説もありますが、確証が無いので保留にします)だけです。これも推測になりますが、産経が1/7に取材を病院に申し込み、これを受けての記者会見を1/8に考えたなら、その旨も産経に伝えた可能性があると考えます。
現時点では今回の事件の真相はまだわからず、病院側に責任が本当にあるかどうかは分かりません。遺族側の主張を聞いて「医療過誤」であるの感触を抱いたにせよ、もう一方の当事者である病院側の主張を聞く必要があると考えます。それも病院側が応じないのなら仕方がありませんが、現実は翌日に行なわれています。報道の公平性からして双方の主張を取材した上で行うのが王道かと考えます。
産経記事の見出しは、
尼崎医療生協病院、医療過誤で女性死亡
こうなっています。デカデカと「医療過誤」と書かれています。さらに記事の中には、
病院側は「血管を刺したことで出血が止まらず亡くなった」とミスを認め、遺族に謝罪した。
こう続くと普通の読解力では、医療過誤があり病院が責任を認めての謝罪を行なったとの内容にしか読めません。しかし病院側が公式に発表した内容はホームページにあるように、
尼崎医療生協病院は不幸にもお亡くなりになられました患者様、ご遺族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。ご遺族の皆様には、これまで同様誠実な対応を継続して参ります。
お悔やみを申し上げるという意味での「謝罪」を行なったことは明言していますが、
現時点では今回の処置に明らかな過ちがあったとの認識はしておりません
医療行為についての責任を認めておりません。これは取材不足というか、取材の機会があったにも関らず勇み足で事実と異なる事を報道したとの批判が生じる余地が出てきます。ではどうすればまだマシであったかですが、これも報道手法で多用される「遺族側の話によれば」を付け加える必要があったと考えます。この「遺族側の話によれば」があれば、産経報道は病院側の取材ができておらず、報道時点では遺族側の主張に基づいて「医療過誤の可能性を考える」の報道になります。
私は医師ですから医療報道でよく目に付きますが、他の分野の報道でもこういう事が少なくないように感じています。今回のニュースは性質からして速報性が重視されるものではありません。当事者双方の取材という事に関しては、産経以外の3紙も遺族側の主張を欠いているのは確かです。ですからあくまでも事実関係と病院側の見解として報道しています。産経は当事者双方の取材をできる機会があったにも関らず、遺族側の取材のみで記事を掲載し、記者が遺族側の主張がすべてと信じて記事にした可能性を指摘します。
もちろん産経も遺族側から病院側の主張を聞いたと弁明するかもしれませんが、記事の正確性、公平性を保つために「遺族側から聞いた病院側の主張」と明記すべきであったと考えます。