日曜閑話8

今日のお題は「運動会」。とりあえずは昨日の見聞録からですが、とにかく暑かったのは置いとくとして運動場が実に狭い。実は開業の都合で子供を転校させているのですが、転校前の小学校も狭かったですが、今の小学校は輪をかけて狭く感じます。狭い上に転校前の小学校は全学年で8クラスと言う小規模校だったのですが、今度は25クラスですから父兄の数も当然多く、テンコモリって感じの運動会です。ただ狭いのはデメリットですが雰囲気は転校前より良好で、クーラーボックスでビールを持ち込んで酒盛りしている人がいないのはホッとしました。もっともビール持ち込みも味がある雰囲気なんですけどね。

思えば母校の小学校の運動場は広かったと思います。もちろん記憶の中の子供の目線であって、今見ると狭いのかもしれませんが、それでももう少し広かったと思います。当時のクラス数は30クラス程度だったと思いますが、なにせ45人学級時代ですから総数は確実に多かったと思います。それでも運動場周りにクラスごとに椅子を持ち出して座り、父兄席も運動場周りに確保され、さらに完全な入退場門システムでしたから、開会式では全校生徒が運動場の外に待機できる広さがありました。

もっとも私も転校歴がありまして、転校前の小学校は全学年で40クラス以上あり、それだけの規模でどうやって運動会をやっていたかとなると目が回りそうになります。残念ながら小学校1年生の時の話ですからほとんど記憶に記憶に残っていないのはちと残念です。まあ、田舎の小学校の運動場は広かったのは間違いないでしょう。

プログラムは二つの小学校を見て市内で共通なのだろうと思います。驚くほど似ていますから決め事があるとして良いかと思います。もちろん相違はありますが、細かい部分の類似が微笑ましいぐらい同じなのでアラカルト方式のプログラムが統一してあるのだろうと考えています。では全国ではどうかと思って調べてみたのですが微妙です。運動会には定番がありますから似てくるのは間違いないのですが、どうも全国統一までなっていない気がします。

それと昔(私の小学校時代)と今では時代の差が大きいですから、当然運動会の内容も変っている部分はあるのですが、一番驚いたのはプログラム数の少なさです。ちなみに昨日のプログラムです。

  1. 開会式
  2. はじめの体操
  3. 徒競走(3年)
  4. ダンス(2年)
  5. 玉いれ(1年)
  6. リレー(5年)
  7. 応援合戦
  8. 徒競争(2年)
  9. 棒引き(3年)
  10. 徒競走(1年)
  11. リレー(6年)
  12. 綱引き(父兄)
  13. ダンス(4年)
  14. 騎馬戦(5年)
  15. 大玉送り(全校生)
  16. 組体操(6年)
  17. おわりの体操
  18. 閉会式
「はじめ」と「おわり」の体操を開会式、閉会式に含めてしまうと、学年競技が2種目づつの12種目、全校競技が2種目、父兄競技が1種目です。小学校時代なんて遠い記憶の彼方ですから自信が無いのですが、もう少し競技数が多かった気がします。覚えている限りでは、
  1. 学年全体3種目(徒競走、演舞種目、得点競技)
  2. 学年ごとの男女別選抜学級対抗リレー
  3. 男女別地区対抗リレー(予選、決勝)
  4. PTA演技種目
学年種目も時に男女別(男子騎馬戦、女子棒引きとか、男子組体操、女子ダンスなど)があったりましたので、30個ぐらいプログラムがあったように思います。また昨日の運動会予定時間は9:00〜14:30になっていますが、私の記憶に残る閉会式はまさに夕闇迫る中で行なわれています。記憶の通りのプログラム数であれば丸一日がかりでないとこなせきれません。このプログラム数も地域によって違いがあるようで、今でも30近いプログラム数のところもあり一概には言えない様です。

もう一つ昔と今で違うのは運動会のための練習量もあると思っています。最近また手直しされたようですが、週休2日プラスゆとり教育は学校行事にかける時間を大幅に削る側面があったと言われています。ゆとり教育で学習内容も薄くなったようですが、これに比例する以上に授業時間数も減り、あれこれ融通して学校行事に割り振れる時間が窮屈になったとされています。

あくまでも遥か昔の記憶ですが、当時の運動会の練習は相当きつかったと記憶しています。体育の時間は当然ですが、それ以外にも臨時の学年練習の時間、さらに本番が近づくと午後の授業を潰して全体練習を執拗に行なっていた記憶があります。学年演舞種目の練習も厳しかったですが、子供心にウンザリさせられたのが開会式と始めの体操の練習、ついで言うと終わりの体操と閉会式の練習。

当時の母校はオリンピック型の開会式でしたから、入場門からグラウンドに入り、トラックを半周ぐらいして整然と並ぶ練習です。ここで足並みを綺麗にそろえ、一糸乱れぬ行進をする事を要求され、それこそ何回も何回もやらされた記憶があります。歩き方、並び方でおかしかったら容赦なく矯正されます。生徒もおもしろい練習ではない上に、そうとうくたびれているのですが、そこにかけられる叱声が

    「元気が無い、やり直し」
まあ本番まではひたすら怒られてばかりの練習で、私的には運動会にそうとう憂鬱な記憶が色濃く残っています。足もお世辞にも早くなかったですからね。高学年になると「誰のための練習だ!」と毎年内心毒づいていました。これも今から思えばですが、当時の小学校の運動会は誰のためかと言えば、あれだけ授業を潰してやったのですから教師が父兄に体育授業の成果を見せるためのものであったと思っています。つまり運動会とは超大規模の体育授業の参観日だったと言えば良いかと思います。


運動会も中学から高校になれば父兄の参観もなくなり、とくに高校ぐらいになれば完全に息抜きの一日に変っていきました。運動会(体育祭)の練習はほんの打ち合わせ程度で、むしろ力を入れたのはデコレーションとか仮装行列です。クラブ対抗リレーもありましたが、あれなんかも完全にパフォーマンスの場と化していました。完全に受けを狙うクラブと優勝を狙うクラブとに色分けされ、そのうえアッと驚く奇策も受ければOKみたいな感じです。

受けを狙うクラブの方は、これはどこでもそうでしょうが、剣道部は面・籠手・胴をつけた上に背中に旗指物なびかせ竹刀を持って裸足で走れば、柔道部は掛け声がかかれば受け身をしながら走るです。空手部も形を順次演じながら走ります。優勝を狙う方は陸上部が大本命なんですが、バトンが各クラブ自由だったので野球部が案外強かったのを覚えています。なんと言っても負けそうになると、トラック半周ぐらいバトンであるボールを投げて一挙に挽回してしまいますから良い勝負をしていました。

とりとめもない思い出話になってしまいしたが、このへんで休題とさせて頂きます。