滋賀の乱・ジェダイの復讐

昨日の滋賀の乱・帝国の逆襲の続編です。ちなみに今日のタイトルには大した寓意はなくて、この事件の病院側の通告がなんとなく「帝国の逆襲」として頭に浮かんだので、それの続きとなれば「ジェダイの復讐」にしたぐらいの理由です。ですから今日のお話はタイトルと違って、ジェダイが颯爽と登場して快刀乱麻に事件を収拾するなんて事はなく、滋賀県側にエラー続出で勝手に転んだ展開になっています。期待された方には申し訳なく思います。

まず昨日段階で専門家の方から厳しい指摘を頂いております。まず法務業の末席様から、

社会保険労務士の実務上は滋賀県の方針は決してエゲツナイとは言えません。私の顧問先の事業所で、同じように宿直や時間外労働の割増賃金支払について労基署にから是正勧告を受けたとしたら、この2万円は丸ごと時間外割増賃金の既払い分として全額相殺を主張するでしょう。
全額を既払い分として認めて貰えるかどうかは、事業所の賃金規定の内容次第、交渉する労務士のウデ次第ですが…
ただ私の個人的かつ直感的感想としては、7000円しか既払い分を認めてもらえなかったのはすくないとの印象です。
今までの時間外手当の計算と支給の実態が余程杜撰かつデタラメで労基署の心証を害しているか、或いは労基署との是正措置を折衝した担当者が労基法を不勉強で労基署の心証を悪くしているか、そのどちらか、或いは両方の可能性を感じます。

つづいてtadano-ry様から、

それこそ何でもありの民間でコンサル業をしていたものとしては、法務業の末席様のおっしゃるとおり、それほどエグイ内容とは思いませんでした。むしろこれでよく済んでるな−、と思うくらいです。Med_Lawさまには申し訳ありませんが、ちゃんと専門家に相談して決めたのだと思いますよ。

専門家の視点からは滋賀県が行なった通告内容である、

  1. 「宿日直手当」2万円のうち7000円分を「控除」する
  2. 「管理職手当」を「業務管理手当」に変更して生み出された差額を「控除」する
  3. これを労基局是正勧告期間(平成18年4月)に遡及して適用する
これらは「妥当」であるとの御指摘を頂いています。あらかじめ言っておきますが、こういう指摘は貴重なものですから私は非難をする気はまったくありません。むしろ感謝しています。感謝は感謝として、専門家でない人間からすれば驚きます。そんなに簡単に、一度支払われた賃金がクルクルと名目を変えて良いものかと素直に感じます。県立成人病センターの職員も感じたらしく、調査を行ったようです。調査の結果わかった事は、
  1. 県議会に改正条例が提出もされていない
  2. 労基局に報告されていない
県議会の改正条例がなぜ関係するかといえば、公務員の給与や手当は原則として条例主義だからです。条例として県議会で承認されないと、勝手に変更は出来ないのが原則です。ところが平成20年8月14日付け滋成セ第343号「時間外勤務の確認について(依頼)」及び平成20年(2008年)8月4日付け「是正勧告のうち労働基準法第37条(割増賃金等の支給)にかかる対応について」は条例として提出もされていない時点で、宿日直手当の額を変更したり、管理職手当を業務管理手当に変更し、なおかつ金額も変更している事になります。もちろん通告されて職員が仰天したぐらいですから、労使間の合意はありません。あくまでも一方的な滋賀県側(病院側)からの通告になります。

この辺の行政手続きは「そういう手法もある」のかもしれませんが、やや強引な印象を否めません。私も行政手続きの実際の運用に詳しいとは言えませんが、実態として現場先行で後日議会承認、遡及適用のケースはありえるかと思っています。ただしそのためには議会まで含んだ関係者一同の合意了承が前提と考えられ、反対者が強硬に正統な手続き論を主張すればチトまずいような事の運びに感じられます。

労基局のほうはあくまでも「どうやら」ですが、

    病院職員の相談 → 労基局が病院呼び出し → 労基局が病院に口頭指導
こういう順番で事は動いたようです。口頭指導の内容は「口頭」ですから文書化されていませんので、内部情報に基づいてのものになります。

  1. 未払い時間外手当を他の賃金(過剰払い)と相殺することは許さない
  2. 病院が管理職手当について錯誤無効を主張するのであれば、話し合いの上で解決するべし。

昨日からの話もまとめて解説を加えてみると、

  1. 未払い時間外手当を他の賃金(過剰払い)と相殺することは許さない


      滋賀県からの通告を読めばわかるように、滋賀県は未払い時間外手当を支払うにあたり、管理職手当、夜間看護等手当、宿日直手当(医師対象分)を減額した分を「控除」すなわち「相殺」するとしています。ところが労基局は「相殺」する事は「許さない」と指導しています。行なうのなら一旦、過剰払いの分を返還させ、その上で未払い時間外手当として支払うように命じている事が分かります。


  2. 病院が管理職手当について錯誤無効を主張するのであれば、話し合いの上で解決するべし。


      錯誤無効の解説は後述するとして、管理職手当を錯誤無効とするのなら、労使間で合意をせよと指導しています。
ここで法務業の末席様のコメントを読み返して頂きたいのですが、

或いは労基署との是正措置を折衝した担当者が労基法を不勉強で労基署の心証を悪くしているか

このコメントから分かることは、労基局からの是正勧告項目の改善については、労基局と適宜連絡を取り合いながら行なうものと考えられます。単純な違反で連絡がさほど必要でないものもあるでしょうが、今回のような項目は密接に連絡を取り合う必要がある事を窺わせます。少なくとも管理職手当、夜間看護等手当、宿日直手当(医師対象分)をどれほど減額するか、減額した上で未払い時間外手当の支払いを事務上でどう執り行うかについて、連絡了承した上で行なうのが常道であるとしてよさそうです。

ところが「どうやら」ですが、滋賀県側は労基局と大した相談もせずに一方的に決定通告を行なったようです。これも「おそらく」ですが、労基局には事後報告さえしていなかった状況が情報としてあります。後から聞かされた労基局の心証は悪くなったと考えるのが妥当かと思われます。「相殺」についても法務業の末席様、tadano-ry様のコメントを読む限り、運用上の融通として認められる事もあるのかもしれませんが、心証を害した労基局は建前に基づいて指導したと感じています。


ここで寄り道しますが、後述するとした錯誤無効について解説します。これは民法で「錯誤」とは第95条にあり、

意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない。

いつもながら砂を噛むような条文ですが、大雑把に言うと「明らかな勘違いによる間違いは訂正できる」みたいなもののようです。これを今回の事件の構図にあえて当てはめると、「表意者」とは賃金を払った滋賀県に該当し、「法律行為の要素」とは管理職手当になると考えたらよさそうです。法律解釈としては正確でないかもしれませんが、

「本物」を「名ばかり」に錯誤していたから、「本物」のつもりで支払っていた管理職手当は「名ばかり」の値段に落とすのは当然であるという主張になります。こういう説明を滋賀県が労基局で行なっていただろう事だけは分かります。滋賀県側にも社労士がもちろんいますから、こういう滋賀県の主張も実務上認められる事はきっとあるのだと思います。ただこれも折衝不足で労基局の心証を害していますから、「労使協議の合意をもってこい」になったとも考えられます。

ただ民法95条の錯誤は「重過失」さえなければ認められるなっていますが、私の調べた範囲では結構辛口の運用が為されているように感じます。説明をしてくれているサイトは幾つかあったのですが、詳しいものはかなり専門的な法律論が展開されてチョットお手上げなんですが、挙げられている例を出してみます。

まずこれは齋藤行政書士事務所のHPにあった例ですが、

  • 海外旅行に安く行ける会員にならないかと勧誘されて契約したが、実際は英会話教材がメインの契約だったケース
  • クロレラには薬効があると説明されて、薬効があると誤解して契約してしまったケース(クロレラは健康食品であり、薬効があるという説明はウソ)
  • ダイヤの販売で、品質や価値について、事実と異なった説明をされたために、価値があるものと誤解し、契約してしまったケース
  • 教材セットの販売で、市販されていない教師用指導書に準拠しているとのウソの説明により、教師用指導書と勘違いして契約したケース
これは「錯誤」と言うより「詐欺」に近い感じがするのですが、これぐらいなら錯誤による無効は認められるという感じのようです。もう一つ、Wikipediaから錯誤の例を引用してみますが、

 錯誤の典型とされてきたのが「表示上の錯誤」と「内容の錯誤」である(併せて表示錯誤という)。

 表示上の錯誤とは、誤記や誤談のことである。例えば契約書の購入代金の欄に「100万円」と記入しようと思ったが、うっかり「100万ドル」と書いてしまった場合が表示上の錯誤にあたる。ここでは100万円と記入しようという考えが内心的効果意思で、100万ドルと書いてしまったことが表示行為である。

 内容の錯誤は、契約書の購入代金の欄に「100万円」と書くべきだったのに円とドルは同じ価値だと誤解していたため「100万ドル」と書いてしまった場合がその例である。どちらの場合も表示と効果意思との間に齟齬がある。そしてその錯誤があることを知っていればそんな意思表示はしなかったし一般人もそうしないだろうというほどの食い違い、つまり要素の錯誤にあたり、かつ意思表示をした者(ここでは金額を書込んだ者)に非常な落ち度(重過失)がなければその意思表示は無効となり、契約も無効となる

Wikipediaの例は「100万円」と「100万ドル」を勘違いした例です。価値にして100倍以上異なりますから、これぐらいの錯誤があれば認められるのもわかります。もちろん例に挙がっているのは典型例ですから、これだけでは本当は何も言えませんが、実際の法の運用ではかなり微妙なものが多数あるように感じました。


長い寄り道でしたが、滋賀県が主張したと推測される、「本物の管理職」と「名ばかり管理職」を錯誤したのはどうなるんでしょうか。私も滋賀県の条例を知っているわけではありませんから推測ですが、管理職手当の条例に「名ばかり」と「本物」の区別は無い様に考えています。労基局の是正勧告を受けてそういう概念を持ち込み、今後は管理職手当(本物)と業務管理手当(名ばかり)に分類するのは良いとしても、それを遡及させるのは少々無理があるような気がしないでもありません。

もっとも条例に業務管理手当の規定が最初からあるのならまだ問題は少なくなりますが、管理職手当および業務管理手当の規定に「本物」「名ばかり」の内容が明記されていないと、理由が不明瞭な遡及措置付きの賃下げであるように感じてなりません。いずれにしても労基局の指導は、

    話し合いの上で解決するべし
こうなってしまえば、聞くところの状況によりますと「はい、そうですか♪」と労働者側が受け入れる空気ではありません。相当紛糾した病院側の説明会があったようですが、そこで病院側社労士は職員側からの違法性の指摘に対し、こう返答したとの情報があります。

「リスクは承知の上で、病院側が決めたことです。リスクは説明しました。」

私の印象とは違い、専門家の見解によると妥当性のある通告であったようですが、どうにも手順に問題があったようで、結果として滋賀県の通告はすべて撤回されたと聞いています。