新聞の明日

独占企業がいて、そこに同業のライバルが現れれば競争になります。切磋琢磨してシュアの攻防戦が繰り広げられます。分かりやすく言えば携帯電話業界みたいなものでしょうか。ここではライバルに食われた分だけシュアは落ちますが、最後はシュアを分け合っての棲み分けみたいな形になるのが一般的です。

一方で独占企業に同業のライバルではなく異種のライバルが出たときには大変です。例えれば算盤に対する電卓とか、レコードに対するCD、ビデオテープにな対するDVDみたいな感じです。異種のライバルとシュアを分け合って棲み分けるというより、業界の存続をかけてのサバイバルマッチになります。負けた方は消滅するか、生き残ってもマニア相手の小さな存在になります。

ネットと新聞はどうでしょうか。これは同業のライバルと言うより異種のライバルに近い関係と考えられます。日本ではまだまだ新聞が勢力を誇っていますが、諸外国の中には新聞の凋落が著しくなってきているところが多々あります。さすがに滅びはしませんが、紙媒体では勝負にならず、電子媒体で生き残りに懸命になっています。日本だって例外とは思えません。同じ道を確実にたどると考えるのが妥当です。

ネットと新聞を較べると新聞側に不利な材料は多々あります。ニュースに限ってみても新聞は速報性に劣ります。限られた紙面の中に詰め込まれる情報量に制約もあります。情報分析の限界も最近ではしばしば露呈しています。ネットの懐の深さはあらゆるジャンルの専門家の意見が探せば発掘される事です。それも単数ではなく多数の見解の違う考えを比較できます。

もっとも情報の質の評価は一概には言い切れませんが、新聞にはもっと大きな弱点があります。料金です。これは単純に新聞購読料の高い安いの問題ではなく、料金支払の優先度が絡んできます。ネット以前では新聞購入の優先度は非常に高かったと考えられます。それこそ電気、ガス、水道、テレビと同列に新聞購読がありました。今でも電気、ガス、水道、テレビの優先度は変わらないと思いますが、新聞はどうでしょうか。

一家に一台から、一人一台に普及段階が進みつつあるPCですが、今どきPCをネットに接続せずスタンドアローンで使うことはほとんど考えられません。PC購入とプロバイダ契約は完全にセットになっています。プロバイダ契約も安くなっているとは言え、ほぼ新聞購読料かそれ以上になります。私ぐらいの年代なら新聞を購読した上にプロバイダ契約の感覚が残っていますが、世代が下るにつれて、

    新聞購読 < プロバイダ契約
両者は二者択一の存在ですらなく、新聞購読はプロバイダ契約の次のオプションの地位に落ちつつあります。「落ちた」と言っても言いすぎではありません。新聞による情報収集の必要性は、世代が下るにつれて低くなる事が著明に現れています。つまりは先細りが確実な状態に新聞はなっています。これはもはや社会現象であり時代の流れでもありますから、かつて映画が没落しテレビが台頭したのと同じ事が起きているのです。

それぐらいは新聞も知っているとは思います。そこでの対策になりますが、

  1. 従来の読者層の死守
  2. ネット攻撃
この二つに全力を傾注しています。幸いと言うか、従来の読者層とネットに批判的な層はかなり重複しており、ネット攻撃は読者層防衛に連動する事になります。そこだけ見ると戦術としては妥当そうですが、一方で新聞離れが強くなっている層には完全に逆効果になります。これが進めば新聞の購読層は二分化し、現在の読者層である中高年層が減る分だけ目減りする事になります。もっとも強固な支持層である高齢者は数十年単位で分厚いですから、短期から中期的のサイバイバル戦略としては有効かもしれません。

ネット攻撃は若年層の新聞離れに拍車をかけますが、従来の読者層死守も同様の現象を起こします。従来の読者層を死守するという事は、従来の読者に阿る記事内容になると言う事です。記事の対象が全年齢層ではなく特定の対象に偏りますから、当然起こりうる現象です。限定された支持層に阿れば、その他の層の反発は強くなります。最終的には目減りする読者相手の偏向記事、どこかの団体の機関紙みたいな存在になっていくのは確実です。

今は過渡期ですが、本当のところどれほどの危機感を抱いているかは不明です。現在の「ネットは害毒」キャンペインはかつての「テレビは害毒」キャンペインと類似しています。「テレビは害毒」キャンペインが何を残したかと言えば、俗悪番組の定着化です。テレビと新聞は異業種のライバルであったのですが、最終的に並立と言う生存形態を得られました。今度のネットはテレビよりも新聞に近く強大な異業種ライバルです。

ネット攻撃をしながらこれを取り込む、テレビとの対決と同じ構図を描いているのかもしれません。でも難しいでしょうね。テレビと違いネットは無数の自発的参加者によって運用されている巨大な井戸端会議の一面もありますから、取り込みようがないからです。そうなるとどちらが倒れるかのサバイバル戦にならざるを得ません。

現在は新聞記事への批判がさかんに行なわれています。これが新聞が何を書いてもネットが反応しなくなった時が新聞の終焉でしょう。情報発信者として影響力を認めなくなった明らかな証拠になるからです。そんな日がいつ来るか、遠くなさそうな気がしています。