何を伝えるべきであったか

拒食症の正式の病名は神経性無食欲症と言います。基本的に原因不明の病気ですが、非常に単純にまとめると、「やせたい」という願望が、生命維持のための生理的欲求である食欲を凌駕してしまっている状態と考えたら良いと思います。単純すぎる解説のため専門家の方には不満があるかもしれませんが、私も専門とは言えないのでこの程度の理解で話を進めさせて頂きます。

拒食症の患者は体重減少への際限なき願望と、体重減少による体型変化への認識の変化があります。体重が減ればスマートになりますが、スマートからさらに体重が減ればガリになり、ガリからさらに減れば鶏がら状態になります。そういう体型になれば、本来なら「やせすぎて醜い」の感覚が生じるものなのですが、拒食症では「美しい」と感じ「もっと細くならなければ」とさらなるダイエットに励む事になります。

とは言え拒食症患者に食欲が無いわけではありません。メルクマニュアルからですが、

  • 患者は食物に没頭している
  • 彼らは食事とカロリーを研究する
  • 食物を貯蔵し,隠し,浪費する
  • レシピを集める
  • そして手の込んだ食事を他人のために調理する
これも異論はあるかもしれませんが、拒食症患者は彼らが設定している幻想の目標に達した時には「食べよう」とさえ思っていると考えます。ただ幻想の目標は無限とほぼ同意義語になり、生命の続く限り、果てしない体重減少に励み続ける事になります。つまり拒食症患者は体重と体型変化への認識に異常を来たしている以外は、知的レベルは高く、また体重減少への目標のために運動も非常に熱心に行います。平たく言えば、食事をしない以外は「ごくごく正常」としても大きな間違いではありません。

食べなければどうなるかですが、人間が貯えているエネルギー量は、

身体の活動のためのエネルギー源は炭水化物、蛋白質、脂肪として貯蔵されている。突然の需要の増加などにさいには肝臓や筋肉に貯蔵されるグリコーゲンやグルコースが利用される。それによるエネルギーは正常成人で1100kcalにすぎず、さらに必要な場合に利用される体内貯蔵の脂肪は135000kcalであり、飢餓のさいに生存の限界を決定する筋肉蛋白は40000kcalである。

これは飢餓モデルなんですが、拒食症患者といえども全く食べないわけではなく、栄養摂取量が消費量を慢性的に下回る結果、貯えられていたエネルギー源がすべて消耗しつくした時が限界となります。診断としては体重が15%減少したときに考えるとされ、40%以上の減少となると生命の危機となるとされます。

拒食症治療は難しい点がいろいろあるのですが、最も難しい点に患者自信が病気と考えていない点があげられます。患者にとってやせる事は単なるダイエットであり、全く病気と考えていないのです。患者にとって体重が増えることは最大の罪悪であり、これを行なおうとする医療行為は全く受け入れ難いものになります。

そのうえ患者は食事と体重以外はごくごく正常です。その点の認識の歪み以外は、知的活動も、身体活動も問題はありません。つまり本人の明快な意思によって治療を拒否します。医療は基本的に患者の依頼によって治療が開始されます。患者の依頼が無くとも強制的に治療が出来る疾患は法で以って限定されており、拒食症は強制的に治療できるものにはなっていません。つまり患者が明快な意思をもって拒否すれば手が出せないのです。

保護者の監督の下にある小児であれば、本人の意思にある程度関係なくまだ受診、治療は不可能ではありませんが、それでもこういう治療は本人の協力が無いと非常に困難な物になります。一般に心理療法やカウンセリングを重ねてのものになりますが、患者本人に病識が無く、治療しようとする気が全く無いどころか、強烈に反発する状態ですから、これがどれほど困難かは容易に想像がつくと思います。

薬物療法も効果は高いとされますが、薬物を服用してくれる患者はまだ軽症と言う表現も出来るかと考えます。薬物使用することで食物摂取が増えれば体重が増えます。拒食症患者にとって体重が増えることはなにより耐え難い事ですから、この点を乗り越えるには容易でない努力を要します。体重が増えてしまったの一点で二度と受診しない事もありうるからです。

拒食症の終着点は全身衰弱による死です。拒食症による全身衰弱は文字通りの全身衰弱で、体内のすべてのエネルギーを完全に消耗しつくした状態です。この状態で発見された時の治療も困難を極めます。医療は最終的に人間の体力に依存する部分が大です。他の病気であっても治療薬の投与や手術を行ないますが、最後は患者の体力による回復力を期待します。しかし拒食症患者ではこれが限りなくゼロに近い状態からの治療となります。

拒食症が終着駅に達した時の怖ろしい実態が記事になっています。1/19付時事通信より

7病院断り、16歳少女死亡=拒食症で治療拒否−大阪

 大阪市で2006年11月、救急搬送を要請された16歳の少女が7病院に受け入れを断られた後、搬送先の病院で死亡していたことが19日、分かった。市は搬送遅れと死亡との因果関係は不明としている。

 市消防局によると、06年11月30日午後10時20分ごろ、少女の母親から「娘が食事をせず、起きてこない」と119番があった。間もなく救急隊が到着、搬送先を探したが、7病院に断られ、8病院目となる守口市の病院に搬送した。救急隊が少女の自宅に到着してから搬送先の病院に到着するまで57分かかった。

 搬送先の病院によると、少女は拒食症で、到着時にはショック状態で意識が無かった。約1時間後に心肺停止状態となり、翌朝心不全で死亡した。それまでも複数の病院で受診していたが、治療を拒んでいたという。

記事にあるように

10:20 家族が119番通報
11:20 病院到着、ショック状態
12:20 心肺停止
翌朝 心不全により死亡


起きてこない少女を家族が発見したときには、既に手の施しようがない状態であった事がわかります。拒食症の終着駅状態はそれほど悪い状態であり、そこまで行かないようにするのが治療の本来の要点です。行ってしまえば生命エネルギーが枯渇した状態になっていますから、現代医療といえどもどうしようもなくなるという事です。

ここで記事は恒例の「たらい回し」に焦点をあててしまい、肝心の拒食症の怖さを無視しています。「たらい回し」記事がブームですから書きたい気持ちは最低限理解しますが、この経過を見る限り即座に受診入院できても救命は非常に困難であったと判断されます。

私は思います。少女の死という大きな犠牲に対し伝えなければならない事は何であるかです。「またもやたらい回し」では無いと考えます。拒食症という難病に対する啓蒙の方が遥かに重要な事ではないでしょうか。これもメルクマニュアルからですが、

この障害をもつ人の約95%が女性である。通常,発症は青年期で,もっと早いこともあり,成人期では少ない。患者の多くは社会的経済的に中間から上の階層に属している。死亡率は10〜20%という報告がある。

この病気の治療は上述した通り非常に厄介です。進めば進むほど患者の「食事、体重」に対する認識の歪みは強固になり、治療に強い抵抗性を示します。また治療には長い時間が必要です。つまり早期発見と家族の協力が欠かせないのです。こういう点を強くアピールする事こそが、少女の死に対してせめても行なう機会ではなかったかと思えてなりません。