ネタであって欲しい

■もはや現実です

悪名高き福島県の勤務医です。
もはや、おそれていた事態に突入です。
救急隊は、こちらの状況におかまいなく
患者を送るようになりました。
今、心肺停止の患者の治療中でみられません。といっても、ことわらない約束です、と
もう、玄関まで救急車がきています。
訴えられない内に、当直勤務のない病院に逃げ出そうと、本気で考えています。
Dr. mama 2007-12-13 15:40:46

ssd様のところで見つけたコメントで、このコメント自体は中間管理職様のところにあるそうです。今朝、探していたのですがどこに書いてあるかわからなかったを先にお詫びしておきます。ここで、これがネタなのかマジなのかは短いコメントなので判断が難しいところです。ネタであればそれで良いのですが、今朝はマジと考えて解釈してみます。

福島宣言「問答無用」の基本システムは記事からでは全貌がはっきりしていません。福島宣言が発令される二次救急地域は

    三つの当番病院と県立医大の付属病院
県立医大は三次救急なので3つの二次救急当番病院が対象となります。そういう状況下で福島宣言の運用方法として考えられるのは、
  1. 救急隊が任意の輪番病院を指名 → 医師と問答無用レベルか交渉 → 問答無用で搬送
  2. 救急隊がA、B、C病院と搬送要請を行なう → すべて満床なら救急隊が任意の病院に問答無用搬送を行なう
このどちらかが考えられます。私はもし行なわれたとしてもb.であろうと考えていました。あくまでも福島宣言は最後の最後の切り札で、どうしようもない非常事態に追い込まれたときに緊急避難的に適用されるシステムだろうと思っていました。救急隊は二次救急当番病院の「受け入れ不能」のすべての報告を聞いた上で、その中でまだ比較的マシなところに搬送決定する形式です。これはこれで問題があるのですが、使うならそれぐらいの状況であると考えるのが妥当だからです。どれぐらいの頻度で全二次救急輪番病院が「受け入れ不能」状態になるかはわかりませんが、そうそう連夜の事とは思えないからです。

ところが情報では

救急隊は、こちらの状況におかまいなく
患者を送るようになりました。

これを読む限り福島宣言の運用状況はa.であるらしい事がわかります。他の当番病院の状況を勘案して選別するという作業は余り無いように感じられます。さらに

今、心肺停止の患者の治療中でみられません。といっても、ことわらない約束です、と
もう、玄関まで救急車がきています。

これは福島宣言のうち「医師と問答無用レベルか交渉」があまり有用に活用されていない傍証かと推察されます。「受け入れ不能」でもレベルがあります。どう逆さに振ってもどうしようもない場合と、無茶苦茶だけど死力を振り絞れば辛うじて何とかなる場合です。「心肺停止患者の治療」となると夜間の病院の戦力は総動員と考えられます。一瞬たりとも手が抜けない状態ですから、どう逆さに振ってもどうしようもない場合と考えられ、そんなところに重傷患者が送り込まれてもお手上げです。

これを「ことわらない約束です」と言われても途方に暮れるのは誰でも分かるかと思います。どうも福島では宣言を受けて救急隊は、問合せ無しでバンバン救急患者を送りつける方針にしているように解釈出来ます。送りつけられて「堪忍してくれ」と頼んでも「約束だから」で患者を置いて立ち去るイメージです。

昨日は姫路宣言に驚きましたが、福島と言い、姫路と言い、宣言に基づいた強制搬送はあくまでも例外的事態に対する対応、どうしようもなくなった時の非常手段と解釈していました。言ってみれば年に数回以下の突発事態に対する禁じ手発動です。この方式を使うときには他の日常的手段をすべて行なった上で、それでも手段が無い時にのみ行われる宣言です。

でもこのコメントがネタではなくマジであれば、福島では日常的に「問答無用搬送」が行なわれていると考えられます。搬送先病院の事情にまったく斟酌する事無しに送りつけるのが「普通」と化しつつあるのと考えられそうです。救急隊にとっては実にありがたい方式でしょうが、病院は地獄になります。例えれば前線の野戦病院状態になります。

野戦病院での治療は治療結果にそれほどうるさく言われません。限られた医療資源で出来ることに対する理解があるからです。最近の日本で言えば大震災時の治療に類似していると思います。ああいう状況下では不十分でもやむを得ないの社会的合意が形成されるからです。しかし福島野戦病院では完全に平時の医療です。病院の状況がどうであるかなんて、結果の重大さの前では何も考慮してくれないのが現在の医療です。

このコメントがマジであるなら、福島の二次救急体制は長くはありません。救急は普通に行なっても地雷原であるというのに、その上、誘導爆弾がのべつ落とされるのなら、この狂気にどれだけの期間、医師が耐えられるか疑問視されます。

今回ばかりはネタであって欲しいと思っています。