13回目の1.17

13年前は成人の日が1月15日で、これが日曜だったので月曜が代休の日月連休でした。前年の10月に結婚し、新婚ホヤホヤだった私は奥様と嵐山にお出かけしていました。小雪が舞う寒い日だったのを覚えています。本当に平和な休日で、ごく普通に帰宅し、ごく普通に翌日に備えて寝たのは間違いありません。その日のお出かけが特別の意味を持つとか、忘れられない休日になるなんて夢にも思いませんでした。

翌朝の5:46に神戸は一転しました。大地の底から巨大な太鼓を打ち鳴らすような、重く猛烈な響きが、ビックリするような振動と共に襲い掛かり、まさに叩き起こされました。その響きは長い苦闘の日々の始まりであり、今もなお多くの人の心の中に修復できない傷口として残っています。そう、悪夢のような現実の始まりを告げる目覚めでした。

街中に繰り広げられていた惨状の凄まじさは、生で見たものしか最後のところで共感できないと思っています。倒壊、崩壊、火事は数え切れないぐらいで、ビルにしても傾いているものが多すぎて、見ているうちにどれが真っ直ぐ建っているのか区別できない有様でした。電気は比較的早く復旧しましたが、水道・ガスは長期に途絶し、交通は大混乱となりました。

今でもはっきりというより、おそらく死ぬまで忘れられない光景として脳裡に刻み込まれています。

最近思うようになったのは、あの震災の惨状が妙に医療崩壊とダブって見えます。医療が崩壊し焼野原になるとはよく言われますが、私のイメージとしては震災の光景が重なっています。医療が焼野原になっても火事が起こったり、家が壊れたりはしませんが、街が機能しなくなり、そこから復旧のために大きな犠牲を払い、10年以上が経過しても多くの人の心に傷口が残るような状態です。

神戸では今なお震災復興の言葉が残っています。また失われた町の営みを嘆く声が続いています。当たり前のように古くからの隣人がおり、子供の頃から見慣れた家並みがあり、そういう環境の中で育まれた共同体への郷愁です。元に戻す事など不可能な事は理性で分かっていても、人はそれを望みます。またいくら新しい建物が作られても、それに馴染めないものは永遠に馴染めません。

医療もそうなってしまうと怖れています。震災のように一瞬という事はありませんが、今の医療崩壊は見え難いところで拍車をかけて進んでいます。医療もまた長い年月をかけて作り上げたシステムです。建物や設備だけではなく、人が長年の試行錯誤の末に熟成させてきたシステムであり、精神でもあります。

このシステムは営みが続く事によって維持、発展します。一度壊れてしまうと取り戻すのは非常に困難となります。建物や設備は費用をかければ外観は復旧しますが、人の心は戻りません。中で育まれた精神も伝承が途絶えれば消え去ります。同じ能力に近づけるだけでも10年単位の時間が必要ですし、10年が過ぎても元には戻りません。失えば二度とは戻らないものです。

医療は震災と違い予想できます。被害を小さくする対策もいくらでも立てられます。今からでも決して遅くありません。時間は乏しくなっていますが、それでも時間はあります。

しかし確実に加速をつけて進んでいます。まるで地震がスローモーションで映されているかのようです。震災の経験は誰になんと言われようが「二度と御免」ですが、どうやら医療崩壊の被災経験をもう一度味合わなければならないようです。「嫌だな〜」と本当に思います。もう一度あれを経験するかと思えば心が暗くなります。それぐらい辛い被災者経験ですが、わかってもらえる方は少ないようです。とくに上の方の人がです。これは震災の時も同じでした。

もう一度は時間の問題となっていますし、残された時間はほとんど残っていません。嗚呼、またあれが来る・・・