去年キーワードにしたのは「難民」です。ちなみに去年上げた難民は、
- お産難民の顕在化
- 救急難民の日常化
- 介護難民の問題化
- 受診難民の可能性
今年はと言いたいところですが、どう考えても去年の続きです。1年かけて悪化したものがさらに深刻化するだけと感じます。良い材料が何もないのですから、そう考える他はありません。新年早々ですからもう少し明るい話題で始めたかったのですが、四大難民の今年を考える事でブログ始めとします。
「お産難民」はついにニュースとしてあまり取り上げられなくなりました。解消したのならめでたい限りなんですが、どうデータを眺めても産科事情は好転していません。第27回社会保障審議会医療保険部会の配布資料に2005年までの分娩施設のデータがあるのですが、これに2008年度予想を加えると
分娩施設数及び出生数 | ||||
年度 | 総施設数 | 病院数 | 診療所数 | 出生数 |
1996 | 3991 | 1720 | 2271 | 1206555 |
1999 | 3697 | 1625 | 2072 | 1177669 |
2002 | 3306 | 1503 | 1803 | 1153855 |
2005 | 2933 | 1321 | 1612 | 1114643 |
2008 | 2553 | 1121 | 1432 | 1085900 |
2008予想のうち出生数は、1/1付Ashi.comより
07年に国内で生まれた日本人の子どもの数(出生数)は109万人で、6年ぶりに増加に転じた前年より約3000人減少したことが、厚生労働省が31日付で公表した人口動態の年間推計で明らかになった
06年は「増えた、増えた」で07年の少子化対策はどこかに消えていきましたが、しっかり元の減少傾向に戻っているのが分かります。出生数が減れば「産科は減少するのは仕方が無い」が前厚生労働大臣の去年の迷言でしたが、データの残る1996年比でみれば、
出生数はたしかに10%減少していますが、分娩施設数は36%減少しています。これは「お産難民」が常態化してニュースバリューを失ってきたものと考えざるを得ません。さらに言えば、この減少傾向にはまったく歯止めがかかっていません。
救急難民
「救急難民」は一挙に深刻化しています。熱心な「たらい回し報道」のお蔭で事態は複雑、深刻化しています。受け入れが不能であるから断った事を鬼の首を取ったかのように煽った結果、救急の弱体化が目に見えて進みました。「たらい回し報道」の威力は救急現場の両輪である消防と救急病院の協力関係を破滅寸前まで追い込んでいます。
「たらい回し報道」は救急病院にとっても痛い報道ですが、消防はより深刻に受け止めているようです。深刻に受け止めて救急病院との連携強化に向かえば建設的だったのですが、消防も行政の一環であり、責任回避の方向への動きが露骨になっています。もちろん全国一斉にではなく局地的なものですが、消防による救急搬送が単なる運び屋に成り下がり、さらには「放り込み屋」に転じつつあります。
病院にさえ送り込めば「後は野となれ山となれ」的な態度が強くなっています。この救急搬送の「放り込み屋」の動きで一番象徴的なのは福島宣言であり、一部の医療関係者が加担したために酷い事になりつつあります。エグイのはその事を賛美する勢力が後を絶たず、さらに一番深刻なのは福島モデルが行政側の救急問題解決のマニュアル化しつつあることです。行政の横並び意識がどれだけ強いかは周知のことですが、福島宣言が全国各地で標準化される動きが強くなれば、今年の阿鼻叫喚は考えるだけで恐怖です。ついに救急荒廃地が誕生するかもしれません。
介護難民
「介護難民」は時間の問題です。療養病床38万床を15万床に減らすプランはついに達成率30%に及んだそうです。厚労省の二枚舌は療養病床から老健もしくは特養ないしは高齢者施設に転換するから「問題なし」としていますが、高齢者は算数的確実さで増加します。増加して溢れる分はまったく補充する気はありません。すべては「在宅でよろしく」路線を着々と進めています。
「在宅でよろしく」は当然の事ですが、家族が無償で介護することを意味しています。厚労官僚は「介護保険が充実している」と胸を張っていますが、高齢者が増え、在宅が増え、介護保険支出が増えただけで「大問題である」と早くも血相を変えて抑制にかかっています。厚労省の目標は在宅で「タダで」家族が介護することがプランであり、そのためには仕事もすべて休んで尽くせとしています。
自分の親を介護するのに異論は無いとは言え、仕事を休んだり、辞めたりして生活が維持できる人間がどれほどいるのでしょうか。そんな事をすれば路頭に迷う家族が数え切れないぐらい出てきます。私も開業医とは言え、親の介護で仕事を辞めたら路頭に迷います。この問題は徐々に深刻化していくのは誰でも分かります。
受診難民
「受診難民」はついに後期高齢者制度が始まります。私は小児科医ですから直接は関係が薄いのですが、完全な「姥捨て山」システムと評価されています。患者のために熱心に医療に励めば医師にペナルティが加えられる制度です。高齢者が多病であるのは当然ですし、なおかつ不治の慢性疾患を多く抱えているのも当然です。それらに対し良心的に医療を行なおうとすればするほど、当然のように医療費は増えます。
事あるごとに「無駄な検査、無駄な投薬」と非難されますが、現在の診療報酬制度では二昔も三昔も前のように、検査をすればするほど濡れ手に粟で儲かった時代は既に伝説です。また薬価差益でボロ儲けも遠い時代のお伽噺です。儲からなくとも必要な検査、必要な投薬はします。その必要な検査、必要な投薬を行なっても赤字が積み上がるのが後期高齢者制度です。ここで利益を確保しようと思えば、必要な検査・投薬さえ行なわない医療が行なわなければなりません。
必要な検査・投薬を極力要しない患者が歓迎されるのです。必要な患者は忌避されるのです。そんな患者を多数抱えれば診療所経営は成り立たなくなるのです。75歳時点でそこそこ健康なら医療機関が確保できるでしょうが、たっぷり持病を抱えていたら「拒否」される事態が容易に発生します。そうしないと経営が成り立たないように制度設計されています。さらに75歳時点でそこそこ健康でも、その後に病を発したら大変です。
患者自身も大変なのですが、医療機関も大変です。治療費のかかる患者は経営を確実に傾けますし、その比率が増えれば死命を制します。経営が傾けば高齢の開業医は店じまいをします。店じまいをされたら患者の次の行き先は難渋します。医師会の平均年齢は60歳ですから、苦しくなればバタバタ店じまいは十分ありえます。都市部はまだ受け皿があるかもしれませんが、地方は限定されます。明るい将来図を思い描くのが無理というところでしょうか。
新年展望
他にも医療を地獄図に落とすような施策が山盛りです。拙速の塊である事故調も法案成立に向かって驀進中です。最悪の事に、こうした時に声をあげなければならない日医が真っ先に転んでいます。どういう取引が執行部と行なわれたかは分かりませんが、現執行部の迷走は去年から延々と続き、もう常態化しています。日医さえ転べば「医師の同意を得た」として物事が進むのが世の習いです。日医の同意がなくとも物事は進みますが、あれば鬼に金棒状態です。
日医執行部の迷走はどこまで続くのでしょうか。腐っても医師最大の団体であり、去年の今頃はなんとか日医を盛り上げての声が残っていました。しかしこの1年で消えうせたと言っても良いと思います。日医には何も期待できないし、日医の姿勢が医師の声の代表と思ってもらったら困るの声がドンドン高まっています。これは勤務医だけではなく開業医にも急速に広がっています。日医改革は内部からのものは期待できないの認識は濃厚で、新団体が摸索され実現しようとしています。
日医さえしっかりしていれば新団体など不要のはずですが、それが生まれるほどに日医不信が医師の間に根付いているのです。新団体が結成される事に賛否両論があるのは当然でしょうが、私は行きます。良くある声に「ブログで吠えていないで行動せよ」がありますが、行動するために行きます。
しばらく休んでいたせいか話が散漫になりましたが、今年は去年のように平穏に終わらないと考えています。去年が平穏だったとは思いませんが、去年が平穏だったと思うほどの年になると予測します。激動の末に何があるのか、希望なのか、破滅なのかは、来年も新年エントリーが書ければ分かると思います。願わくば希望である事をせめてもの新年の気持ちとして、ブログ始めとさせて頂きます。