母子保健検討委員会中間答申

これも日医の報告書。前に触れた地位医療対策委員会中間報告書よりちょっと前に出されているものです。サブタイトルが

    周産期医療の充実、特に産科医、小児科医の地域における確保・偏在対策の具体的提言
実に気合の入ったお題目です。ただ読むには読んだのですがなんと30ページにもなる大部の力作のため、精読というレベルには至っていません。それでも読んだ感想としては、相当に議論が割れているのだろうと推測させるに十分な内容です。「まとめ」であるはずの中間答申であるのに、個人的には両論併記の妥協の産物と言うか、叩き合いの末の代物と言うかみたいな雰囲気です。

この委員会の党派は簡単に分けると、現状認識派と会長路線追随派があるようで、おそらく委員会の初期は現状認識派が会議をリードし、中間答申が出る頃に会長路線追随派が猛烈に巻き返したと考えています。そうでも考えないと内容の辻褄が合わないように思います。

「はじめに」なんて結構立派な事が書いてあります。現状認識としては合格点じゃないかと思います。

まず周産期医療の現状として、

  1. その水準は世界一である。国内総生産に対する医療費は先進国中21番目であるにもかかわらず、世界で最高の水準である。その指標である周産期死亡率及び新生児死亡率の低さは世界で第一位であり、妊婦死亡率の低さもトップレベルである。このことは、医療従事者の昼夜にわたる献身的努力に支えられていることを示唆している。
  2. 出生数は減少しているものの、医療危機の発達と、より安全な医療が求められているため、患者一人ひとりに対する診療内容は多岐に渡り医師の診療時間すなわち仕事量は多くなっている。晩婚・晩産傾向が顕著となり、体外受精等の高度生殖補助医療による妊娠・分娩が1.6%以上となり、多胎・早産が増加し、内科疾患を合併した妊婦も増加している。
  3. 産婦人科医においては、女性医師の割合は、特に若い勤務医の60%以上となり、自らの妊娠・出産・育児のために休職するなど医療現場の実質のマンパワーが不足している。
  4. 分娩の快適性・フィリースタイルの分娩など産婦の要求が増え、しかも多様化し、ややもするとリスクのある妊婦にも十分な監視ができにくい状況である。
  5. 医療危機が発達した今日、分娩は安全であるとの一般社会の認識がある。期待する成果を得られない場合には容易に紛争になりかねない状況である
さらに周産期医療の問題点として、
  1. 周産期医療システムの整備が不十分である。すなわち一次・二次・三次医療機関の機能・役割分担と連携が円滑に行なわれていない。慢性的なNICU不足は、周産期センターへの母体搬送に支障をきたしている。また、近隣の都道府県の医療機関との連携すなわち、広域的な救急医療体制が整備されていない。
  2. 妊産婦の死亡における刑法第211条、医師法第21条違反容疑、あるいは看護師の内診にかかわる保健師助産師看護師(以下、保助看法)違反容疑による警察の周産期医療現場への介入、訴訟の増加、賠償額の高額化など、縮小医療・防衛医療を招きかねず、産科を希望する医師が少ない要因にもなっている。
  3. 産科医は当直・オンコールが多い過重労働、さらには低給与など劣悪な労働環境のなかで必死に周産期医療を支えている。
  4. 産科医、助産師、麻酔科医、NICU小児科医などのマンパワーの不足が著明である。
具体的提案をする前にこれだけの前提が認識としてあるのなら、中間答申の内容に期待を寄せたくなるものです。ところが具体的な提案になるとレベルがドカンと下がっていきます。全部は紹介できないので適宜ピックアップします。

第Ⅱ章として周産期医療への具体的提言とありその中の長期的観点として、いろいろと書いてあるのですが結論は、

医師の偏在は産科だけの問題ではない。このため研修指定病院において研修医による診療科の選択を各地方の医療の現状から判断された必要性の基に行なうことのできる適正配置システムが厚生労働省の責任の基に構築されるべきである。

つまり研修医の診療科の選択は国家統制の基に行えとの提言です。

短期的観点の結論は

    立法化してでも産科からの離職者を再利用すべし
つまりこの中間答申の具体的提言とは、研修医を国家統制の基に必要数を強制的に産科医とし、離職した産科医を法制化してでも動員せよという事になります。具体的過ぎて涙が出そうです。

第Ⅲ章として中堅産科勤務医師の優遇とあります。どれだけ優遇するかも具体的に列挙してあります。

  1. 医療、特に周産期医療が社会生活上、必須のインフラであることを社会に強力にPRして、現場で働く医師の士気を鼓舞する。
  2. 出生率の低下は、医療の質の向上からいえば必ずしも医療需要の減少とは言えず、医学の進歩により、むしろ先進的医療需要は増加する事は必須で、やり甲斐のある仕事が増えることを強調する。
  3. 医療体制の集約化で、勤務医体制を改善する。
  4. 増加する女性医師を活用する体制を確立することで、中堅医師の負担軽減と有効活用を図る。また、周産期医療のオープンシステムの整備も有効であろう。
  5. 産科医療は自費であるから、医療の質を確保するために産科料金を値上げして、中堅医師を実質的に優遇した給与改定をする。
  6. 周産期医療の特質上、予期せぬ事故の発生は避け得ないことを可及的に社会に対して説明して理解を求め、周産期医療従事者への風当たりを極力減らす。

    裁判外紛争解決策(ADR)の整備や無過失補償制度(NFC)の整備を急ぎ、医療従事者の精神的負担を軽減する。
  7. 医師法第21条の取り扱いの早急な改善を要求する。
  8. 中堅医師に研究休暇を与える。また障害研修費用に関する税制上の優遇措置を当局に提言する。
  9. 中堅医師が立ち去って二次、三次機関が不足した状況では、産科の開業診療所の将来は決して明るくない。また近い将来、周産期のオープンシステム診察体制の整備が見込まれているから、それまでは早まった退職・開業はしないように提言する。
たしか「優遇」する項目のはずですが、あんまり「優遇」と言う感じがしません。逐次解説してみます。
  1. 慢性的な人手不足の現場を支えているのは使命感と士気であり、人員的な裏付け無しの言葉だけではこれ以上士気は上がらない。
  2. これ以上仕事が忙しくなることを強調されても誰も反応しない。
  3. 集約化などは算数上不可能であり、中途半端な撤収型集約では集約病院の負担だけが増大し、逃散を加速する。
  4. 女性医師もフルタイムで働くものは男性医師と同等の戦力であるが、育児で働く時間を制約され、とくに夜間の診療を行わない女性医師の増加は現場的にはさほど嬉しい話ではない。
  5. 分娩費用値上げのネックは公立病院の分娩費用であり、ここの値上げは「住民のため」を大義名分とする議会が頑張っており、実現はまず困難。また産科医師だけの優遇は他の診療科の医師のやっかみを呼ぶため、容易に出来ることではない。さらにこの理屈を拡げれば不採算の診療科の医師の給与の削減につながり、小児科医の逃散を招く。
  6. 周産期医療従事者への風当たりを減らしたいのであれば、社会へのPRなどは百年河清を待つと同じ意味であり、具体的というのなら、医師会の全面支援でDQN訴訟に徹底抗戦したほうがよほど効果的である。
  7. 助産師内診問題の通達一つの撤回さえ出来ない医師会に期待は誰もしていない。
  8. 逃散したい産科医のほとんどは産科では開業しない。
簡単ですがこれぐらいでしょうか。

第Ⅳ章、第Ⅴ章は飛ばして第Ⅵ章の新生児専門医師不足の現状と対策を見てみます。いきなり吹いたのは日本小児科学会の「小児医療・救急医療計画モデル」を引用した部分です。

シフト勤務制で医師の勤務時間を週58時間とした場合に、中核病院で10人、NICUを有する地域小児科センターでは4人勤務とすると、新生児専任医師数は240施設に小児科勤務医の22.6%に当たる1680人が必要である。

週58時間勤務がモデルとすると、1ヶ月の残業時間はそれだけで約80時間となります。1ヶ月の残業時間が80時間にもなるのが「モデル」とは恐れ入りました。それとNICUの勤務医師のモデルが4人と言うのも相当です。シフト勤務制というからには、24時間体制になります。2交代として計算しやすいように2月をモデルとすれば、夜勤回数は7回、これだけで28÷4×16=112(時間)です。週58時間ですから1ヶ月の勤務時間は232時間、そうなると日勤勤務時間は232-112=120時間、日数にすると120÷8=15(日)。

「モデル」でさえこれだけの労働時間を基本的に要求します。労働基準法の上限をはみだしかけているモデルです。もっとも現状となると労働基準法など鼻息で吹っ飛ばす状態で

現在はその半数以下の医師数

成立している事さえ信じられない状況と言えます。目も当てられない惨状への具体的提言は、

大学などの小児科医の研修養成機関では、後期研修に新生児医療研修を必修化し、医師不足の改善と志望者増加を積極的に推進すべきである。

そんな修羅場を体験して、志望者が増えると言う発想が私にはどうしても理解できないのですが。。。

第Ⅷ章は産科・小児科医師不足対策です。そのうち対策を見てみます。

  1. 医学部定員増(特別入学枠)暫定措置に対する提言


    1. 特別入学枠は将来、産科、小児科のいずれかの科を志望するものとする。
    2. 卒業後最低8年間はその地域において志望科の診療を行う。
    3. 医学部6年間並びに2年間の初期研修期間中は奨学金を与える。条件を果たせば返済を不要とするが、違反した場合は全額返済する。奨学金地方自治体が負担する。


  2. 研修制度に対する提言


    1. 後期研修開始時に、地方自治体が算定した必要な診療科医師数に基づいて、医師の配置のために研修各科の定員枠を設ける。
    2. 初期研修開始時に産科・小児科に限り志望科を仮登録し、最初のローテートを3ヶ月間志望科で行なう。これにより初期の志望者を確保できる可能性が高まる。

      *これらの研修医に対しては研修期間中、奨学金を与える。奨学金は国が負担する。産婦人科は産科を行うことを条件とすることも一法であろう。


  3. 専門医の受験をするための5〜6年間のうち、最低1〜2年間は医療過疎地域の医療機関で研修を行う事を義務づける。医師の養成には膨大な額の税金が使用されているので、この制度を適用してもよいのではないかと考えられる。


    • 指定医療機関は別途定める。
    • 指導医不在の医療機関についてはIT使用による指導医の指導が受けられるようにシステムを整備する。
母子保健対策検討委員会ですから、産科と婦人科しか考えていないのは致し方ないにしろ、違和感の残る提案です。なぜ違和感が残るかを考えると、この委員会の提案の前提は「医者は足りている」なんです。「医者は足りている」説の診療科の偏在による事に立脚した提案が一番の違和感の基だと考えています。理由は様々に書いてありましたが、とりあえず産科と小児科の数が足りないから、どんな強制手段を用いても産科医、小児科医を増やす事が正義であるとの思想が流れています。

また産科医、小児科医の不足理由はまずまずの分析をしていたかと思いますが、増やすために金でなんとかの思想も違和感を持ちます。金は貰えた方が嬉しいですが、現在の医師の激務を金で買うような発想ではついていきません。金では買えないQOMLを強く求めています。それに対する視点がほとんどないのがこの提言が医師にとって実感の無いものになっていると考えます。

産科医もそうですし、小児科医も置かれている勤務環境の改善を火急の事として望んでいます。産科に関しては既にどうにかできる段階を越えてしまっている感もありますが、小児科に関してはまだ現段階でも取り得る手法は残っています。小児医療を衰亡に追い込んでいる要因の一つに小児救急医療があります。正直なところ小児救急医療の整備を促進すれば促進するほど小児科医は疲弊し、逃散していなくなります。

にもかかわらず国を挙げて「ニーズに応えるための整備」を推進しています。ついには勤務医だけでは応需しきれないとなれば、開業医の動員まで大義名分を立てて強行しようと画策しています。はっきり言って開業医を総動員しても小児救急は賄いきれません。患者にとって無料のコンビニ診療所以上の認識は無く、無料であれば無造作に使いまくります。かつての老人医療無料化に匹敵する愚策であり、老人医療無料化と異なり小児科医にメリットはありません。

小児24時間コンビニ救急のニーズを満たすほどの小児科医がそろうのは、どんな施策をとろうとも私が生きている間には不可能です。今世紀中でも難しく、そもそも可能かどうかさえ疑問です。さらに激務に耐えている小児科医に30年、40年先の話をしても意味はありません。今しなければならないのは小児救急の需要抑制です。需要を抑制した上で、抑制された需要を満たす小児科医がいつになったらそろうのかを論じるべきです。

それとこれは上にも書きましたが、訴訟対策に啓蒙やら、裁判外紛争解決策(ADR)の整備や無過失補償制度(NFC)の整備をあげていましたが、これもまた大した希望を抱いていないのが実情かと考えています。やるなら医師会が傘下の学会を総動員してトンデモ訴訟に全面対決を行うべしです。安易にトンデモ訴訟がまかり通るから次なる訴訟を次々誘発している現状がありますから、トンデモ訴訟と判断すれば医師会が先頭に立ってこれを全面支援する姿勢を明示すべきです。

これをやれば現場の士気は間違い無く高まります。安易な訴訟を起こされても、そのたびに医師会が先頭になって対決するとなれば、訴訟を起す側に心理的なブレーキをかけるのに十分な存在感かと考えます。そこに踏み込まない姿勢に口先だけで誠意が感じられないと私は思います。

現日医会長の姿勢はもう明白になりましたが、政府の犬として尻尾を振りまくる路線です。精一杯の愛想で媚びて、縁側から投げ与えてくれる餌をひたすら待つ姿勢と言えばよいのでしょうか。ご存知の通り私も末端の日医会員ですが、そんな日医に愛想もクソも尽き果てる思いです。