第3回奈良事件裁判・書類編

民事訴訟では裁判に当たりあらかじめ準備書類を作成し、それに対する被告・原告の主張を書面上で行い、それ以外の補足を実際の法廷の場でやり取りするものらしいです。これも僻地の産科医様がupしてくれていますので読んでみます。

まず第2回原告準備書類で、この書類は被告側の求釈明に対する原告側の釈明となっています。言い換えれば被告側の質問に原告側が答えたものと考えれば良いかと思います。長いので分割しながら解説します。

1 脳内出血と死因に関する事項

     転院時CTでは右前頭葉径7cmの巨大血腫と著名な正中変位、脳幹部にも出血脳室穿破、これ以外の出血原因は?

     右前頭葉に生じた脳内出血による脳ヘルニアが8日午前6時時点ですでに完成。死因は8日午前0時ごろに被告病院で生じた脳内出血による脳ヘルニアである。死亡原因は右前頭葉に生じた脳内出血による脳ヘルニアである。

    (略)裁判と同じなので省略。開示請求を行っている。国立循環器病センターから得たカルテだけではなく、その全てのカルテを開示しろ。

ここは被告側の質問として、患者の死亡原因についての原告側の見解を質したものです。原告側も脳出血からの脳ヘルニアが死亡原因として認定し、これが国循到着時には完成していたとしています。脳出血の発生時刻は0時と主張しているのは昨日のやり取り編の通りです。それとこの文面からはニュアンスが汲み取り難いのですが、

    これ以外の出血原因は?
どのような回答を期待しての質問かが少し分かり難いものです。

2 被告の過失は脳内の出血の診断と治療の遅れ

 救命可能性は主張していない。過失は以下のポイントである。

  1. 8月8日午前0時14分直後の意識消失が回復せず高血圧が持続している。
  2. 脳内病変を疑って脳CT検査を行い脳内出血と診断すべきであった。
  3. 脳内出血の診療をなしうる高次医療機関へ転送すべきなのにこれを怠った。

ここの被告側の質問として、具体的に被告医師のどういう過失について責任を問う裁判なのかを質したものに対する原告側の回答です。書いてある通りなのですが、今回の原告側の争点を明示しています。もちろんこれしか争わないのか、ここを基点として争点を拡げる戦略なのかは知る由もありませんが、ストーリーはこうと考えられます。

  1. 脳出血は0時に発生した
  2. ただちにCT検査を行えば診断できたはずである
  3. 脳出血の治療だけであるのなら治療は可能だったはずである
つまり0時の時点で脳出血が起こっていたからこれを見逃したのは誤診であり、患者の脳出血の早期治療の可能性を奪った責任と解釈すれば良いかと思います。「じゃあ」と言う声が聞こえてきそうですが、これは主張ですから、そういうものだと考えてください。

以下は被告側が準備書類で求釈明事項が明確に分かっていますので求釈明事項を引用しながら対比させて見ます。求釈明の内容は9/17エントリーを参照にしています。

被告側:(当病院の救急で勤務経験があるという) 患者の夫の身内は、子癇の症状を見た経験があるのか?

原告側:夫の家族は40年看護士在職。産科では妊娠中毒による子癇発作の恐れがある場合医者から妊婦への説明があり注意をした。知識や症例は見たことがあるが。現実には見たことがない。

夫の家族とは祖母の事と考えられます。これに対し夫の家族(祖母)は

    「見たことがない」
と釈明しています。

被告側:患者の症状を見て、具体的にどのような点をもって、子癇ではなく除脳硬直と判断したのか?



原告側:除脳硬直の状態について。夫の家族は除脳硬直が脳内病変に特徴的な患者の姿勢であることはよく承知していた。2時に病室に訪れたときに妊婦に意識がないのを見届け、疼痛刺激を与えて意識確認とともに除脳姿勢らしい姿勢をとった。除脳硬直とはこぶしを握り両上肢伸ばして内側にまげ両下腹を突っ張る姿勢。夫の家族は直ちに医師に除脳硬直だと伝えた。この前に1時40分両上肢硬直、除脳硬直らしい姿勢をとっていたのをつきそいの夫が見つけていた。

子癇か除脳硬直の鑑別ですが、被告側の主張する除脳硬直の根拠となる所見が挙げられています。

  • 除脳硬直とはこぶしを握り両上肢伸ばして内側にまげ両下腹を突っ張る姿勢
これは相当重要な証言と私は考えます。

被告側:原告は脳出血を直接の死因としているが、国循の記録によれば搬送時は、脳血管撮影の時間も無いまま緊急手術を行っており、また、亡くなった後、遺族が病理解剖を望まなかったので、脳出血の原因は不明のままである。

原告側:陣痛発作と除脳硬直について。除脳硬直の姿勢が陣痛と思われる刺激ごとにくりかえしおきている。正確には同期していたかはわからない。3時30分から4時までは続いていた。医師は診断すべきであった。1時40分から、原告医師はこの状態を見ていない。

ここもまた重要な釈明が原告側から行なわれています。被告側の主張する除脳硬直が

  • 除脳硬直の姿勢が陣痛と思われる刺激ごとにくりかえしおきている
  • 3時30分から4時までは続いていた

こんな凄い証言が被告側から述べられています。除脳硬直の症状とあわせて重要な家族証言です。

被告側:今回の過程で、胎児のことを具体的にどうにか考えていたか? (例えば「患者のお腹の中で元気にしているであろう」とか)

原告側:胎児について。7日の入院や午後の陣痛の開始について。胎児は元気であると考えていた。母体の意識喪失や脳病変が胎児にどのような影響を与えるか母体を助けてもらいたいとの切なる気持ち以外胎児の動向への意識はなかった。CTを撮るときに胎児に悪影響を与えるので出来ないと言われたが赤ちゃんはあきらめるから母体だけは何とか助けたいと伝えた。

胎児に関する原告側の見解ですが、

  • 胎児の動向への意識はなかった
  • 赤ちゃんはあきらめるから母体だけは何とか助けたいと伝えた

胎児の事は二の次、三の次で良かったとの見解と解釈します。ただ「伝えた」となっていますが、かなり重要な意思確認であり、口頭だけでの了解で良いものかは、昨今の意思確認の厳重さからするとやや疑問が残ります。また口頭であってもどれほど明確に医師に伝えたかも問題でしょう。少なくとも家族の意思を代表者を立てて、医師に誤解の余地のない意思として伝えたかは重要な確認事項と考えます。家族の意向が分裂していて、後でトラブルが起こる事は多くの医師が経験するところです。

それとこの時点での被告医師の診断は子癇です。子癇の治療の基本は妊娠停止ですが、陣痛段階に至っている妊婦の妊娠停止を行なうためには、胎児を娩出しなければなりません。もちろん原告の主張である「誤診、見落とし」問題にも連動するところで、子癇脳出血論争の帰趨次第では重要な主張になるとも考えられます。

被告側:原告は“8月8日 2時00分 およびそれ以降、夫の身内が何度も除脳硬直を疑いCT等の検査を要求した”としている。これ自体は「不知」とするが、いつCTをとればよかったと考えるか?

原告側:検査をすべき時点。脳の病変が疑われる時点。0時14分に意識喪失して、その後数分しても回復しないときから以降。

これは原告側の脳出血0時説に基づく主張ですから、当然こうなります。

被告側:原告は“CT等”と包括的に書いているが、CTの他にどのような検査が必要であったと考えたか?

原告側:CT以外の検査について。まずCTを行い、その結果しだいでさらに脳病変を確認する検査方法、当時可能な手段状況による。原告では指摘できない。

なにか木で鼻をくくったような問答ですが、裁判とはこんなもののようです。

被告側:CT等の検査を行った場合(脳出血が判明した場合)、当病院で開頭手術ができない前提で、その後の対応は具体的にどのように変わり得たと考えるか?

原告側:検査後の対応について。医師に尋ねるのが適切であろう。治療のために最善をなして努力をしただろう。奈良県の母体救急システムが当時どのようなものか原告には到底知りようがないので脳出血患者の転送のあるべき対応を原告は指摘できない。

ここは昨日のやりとり編でも出てきた「救命の可能性」についてになるかと考えます。ここについては原告側は第1ラウンドでは争点にしないとしています。また被告側弁護士とのやりとりで、救命の可能性の立証は原告側と指摘され、それに反論せず了承していると受け取れます。もっとも救命の可能性については原告側主張の脳出血0時説が立証できないと進めませんので、保留みたいなところでしょうか。

被告側:脳出血が早期に分かっていた場合、母体搬送先の病院がより早く見つかったと考えるか?その場合、具体的にいつ、どこの病院が搬送可能であったと考えるか?

原告側:受け入れ可能な医療機関。当時も今も知らない。具体的に指摘できない。むしろ実香さんの意識喪失と診断したあと、どのような診断を行おうとし、転院等の手配を具体的にどう行ったかにつき被告病院関係者が唯一承知していただろうから搬送記録や交信記録などからその詳細な実態が医師から開示されることを期待したい。

ここもやりとり編では

    搬送できなかったは過失でない
ここも現時点では保留ないし搬送問題は責任問題を波及させるつもりはないと原告側はしているようです。

これも踏まえて今度は原告側から被告側に求釈明がなされています。

10月29日原告側の論点整理

  1. 1時40分除脳硬直を疑わせる病変を認めるか否か。
  2. 死因は脳内出血による脳ヘルニアか。
  3. 意識消失してから。ヒステリー、子癇と主張するのか。これらはどう関連するのか。さらに脳内出血との関連は。
  4. 妊娠中毒症の症状を有する妊婦であった根拠を示せ。
  5. CTやMRIが行われなかった理由。
  6. 妊娠中毒症に対する診療経験はあったのか、あったのなら異同は。子癇については。経歴と業績、所属学会を明らかに。
  7. バイタルサインを明らかにせよ


    • 8/7の朝9時40分から PGE2投与までの血圧
    • 14時55分から21時30分CTGまでの血圧
    • 0時血圧11/84とあるがこれ以前のものは
    • 0時14分147/73となるまでの血圧の記録はないが測定はしたのであれば何故記録していないのか
    • 0時14分から1時16分までの血圧
    • 4時19分の血圧は?何故しなかったのか。
    • 紹介状にある血圧、救急で知らせた血圧?はいつのときのものか。

読んでもらえればわかるように脳出血0時説への立証のためへの求釈明事項と考えます。血圧についての質問がかなりの分量を占めているのを見てもその意向は窺えます。ただすべてが求釈明事項かと言えばそうとも思えないところもあります。質問の2番目にある

    死因は脳内出血による脳ヘルニアか
これは原告側の釈明で「死亡原因は右前頭葉に生じた脳内出血による脳ヘルニアである」としていたはずなのですが、また質問しています。もっとも被告側は脳出血4時説は主張していますが、死亡原因については発言していませんので、被告側の死亡原因を確認するための質問とも考えられます。そう考えると裁判の進行がいかに大変なものかが良く分かります。