奈良事件証人尋問・争点整理編

お決まりの日々? 第一回口頭弁論メモ(1)(大淀事件22-2)から引用します。

まず「争いの無い事実」から、








時刻 争いの無い事実
0:00 死亡産婦に頭痛があり、こめかみが痛いと訴え、血圧が上昇
0:14 意識消失
1:37 けいれん様発作
1:50 被告産科医師は奈良県立医大産婦人科に対し、電話で母体搬送を依頼
4:49 国循へ搬送開始
5:47 国循到着

  • 意識状態JCS300
  • 瞳孔が中等度散瞳して固定
  • 両側の瞳孔が5mmで対光反射は無かったが、自発呼吸は残存
6:20 頭部CT施行、右前頭葉に径7cmの血腫
7:55 開頭除去手術および帝王切開術が開始
8:04 原告幼児出生
10:00 手術終了


上記の表と8/16に脳内出血により死亡産婦が亡くなられたことが認められています。あえて注目しておきたいのは、
  • 国循到着後に頭部CT施行まで33分を要している事
  • 手術開始まで国循到着から2時間8分、頭部CT施行から1時間35分要している事
なお子癇であっても頭部CTを行なうのはルチーンだそうです。


次は「争点及び、争点に対する両者の主張」

争点 原告 被告
脳内出血発生時期 0:00 4:00
1:37の痙攣様発作の解釈 脳内出血による除脳硬直 子癇発作による痙攣


ここは目新しいところはありません。原告も被告も当然そういう主張になります。


つづいて「原告の主張する被告の過失について」ですが、これも主張は明快です。

    頭部CT検査をせず、転送が遅延した過失。
これを裁判前から原告は主張していたわけであり、これ以外には無いことになります。これについての原告被告双方の主張をまとめると、





原告 被告

  • 被告産科医師は、午前0時14分から数分間経過した時点で、死亡産婦の意識の消失が一過性のものではないと判断し、脳内病変を疑って頭部CT検査等をし、脳内出血と診断した上で、脳内出血の診察が出来る高次医療機関に転送すべきだった。

  • 死亡産婦が午前0時14分に意識を消失した後、内科当直医師に診察を依頼し、瞳孔は丸く変化が無かった事などから経過観察とした処置は適切であり、頭部CT検査を実施する義務は無かった。
  • 8日午前1時37分ごろ以降の被告M医師の処置について、痙攣様発作は子癇であったのであるから、痙攣発生後、マグネゾールの静注を指示した上で安静にさせ、経過観察を行なった処置は適切であり、この時点で頭部CT検査を実施する義務は無かった。
  • また直ちに、奈良県立医大の母体搬送システムに転送先を探すように依頼しており、この処置は適切だった。
  • 仮に午前0時14分ころの意識消失が脳内出血によるものであったとしても、子癇と脳血管障害との鑑別は困難であり、子癇である場合が圧倒的に多い事等から、子癇発作であると判断して、上記処置を行なった事は適切であった。


この部分に関する指摘は次の「因果関係」と合わせてしたいと思います。


原告 被告
死亡産婦が午前0時14分ごろに意識を消失したあと、速やかにCT検査を実施していれば脳内出血の存在は明らかとなっていた。脳外科救急機関は数多くあることから、子癇の場合より速やかに搬送先を確保する事ができ、搬送先で速やかに血腫除去手術が行なわれていれば、死亡産婦が一命を取り留めた高度の蓋然性があった。  仮に午前0時14分ごろの意識消失が脳内出血によるものであったとしても、速やかに頭部CT検査の準備を行なったとしても、血腫除去までは時間を要する事からすれば、脳ヘルニアの完成を回避する事はできなかった。



 死亡産婦の脳内血腫除去手術は、帝王切開手術を併せて行う事が不可欠であり、産科医、麻酔医、小児科医の管理なども必要であったのであるから、脳内出血の緊急手術であれば搬送先の確保が容易であったという事は出来ない。


「原告の主張する被告の過失について」及び「因果関係」から原告側の主張を考えてみます。主張自体の論理構成はシンプルで、
  1. 0:14の「意識消失」で脳内出血を疑わなければならない
  2. 0:14の時点で頭部CT検査を行えば死亡産婦を救命できた「高度の蓋然性」があった
「意識消失」を脳内出血と診断できなかったとし、この診断できなかった責任は被告産科医師にあるとまずしています。ここで思い出して欲しいのですが、0:14の「意識消失」の診断は被告産科医師が単独で行なったものではありません。当直の内科医師の対診を仰いだ上の判断です。さらに内科医師のこの時点の診断は「経過観察」です。当直内科医師が脳内出血の可能性があるからCT検査を勧めたにも関らず、被告産科医師がこれを拒絶したわけではありません。当直内科医師も証人尋問を行なっていますので、該当部分を産科医療のこれから 大淀事件 証人喚問 内科医先生編から一部抜粋すると、

病院側弁護士(金)

 心因性の意識消失と判断したのはなぜですか。

内科医

 若かったということ、それからバイタルが安定していたことです。それから腕落下試験というのをやりまして、これは腕を顔の真上にもっていって落とすのですが、脳であればストンと顔の上に落ちます。でもこのとき払いのける動作をして、それで脳だとそういうことはないので、心因性と判断しました。

病院側弁護士(金)

 それで経過観察を助言されたのですね。

内科医

 はい

もう1ヵ所

原告側弁護士

 ところで0:14の意識消失の時の診察で、JCS100-200でしたが、CTを撮られた方がいいとは思いましたか?

内科医

 その時点ではCTが必要だなんて思ったこともありません。

さらにもう1ヵ所

裁判官(左陪席)

 0:14の意識消失の時のことですが。何かいいましたか。

内科医

 はっきりしたことは覚えていません。産婦人科医に頭の方はいいか、ときかれたので、大丈夫と答えたように思います。

内科医師は0:14の時点の診察では「意識消失」を脳内出血とは考えず、またその旨を被告産科医に伝えている事が分かります。被告産科医は当直内科医の診察結果を受け入れ経過観察を指示しています。もう一つ当直内科医の証言です。

病院側弁護士(金)

 それでどのくらいの経過観察としたのですか?

内科医

 具体的には言っていません。30分くらいが適切かなと思いましたが、自分も他の患者さんの診察をしていましたので、電話で確認したりすることはありませんでした。10分くらい診察していたでしょうか。0:40−0:50くらいだと思います。

0:14に「意識消失」があり、まず被告産科医が呼ばれます。被告産科医は呼ばれてから内科医の対診が必要と判断し呼びます。内科医の診察時間が10分程度と証言があり、診察終了時刻が「0:40〜0:50」であるなら、内科医の病室到着は「0:30〜0:40」であったと考えるのが妥当です。ここの時間関係を整理しておくと、


時刻 事柄
0:14 ・意識消失、被告産科医が呼ばれる
・被告産科医、内科医対診を判断する
0:30〜0:40 内科医到着
0:40〜0:50 内科医「経過観察」と診断


内科医への対診依頼、診察結果と時間関係は証言から上記の通りと考えられます。しかし「原告の主張する被告の過失について」には内科医の対診は本質的に無関係です。「原告の主張する被告の過失について」では内科医の対診行為そのものを否定しています。ここで原告側の主張をもう一度読み直すと、
    午前0時14分から数分間経過した時点で、死亡産婦の意識の消失が一過性のものではないと判断
原告側は「意識消失」の時点から「数分間」での診断を主張しています。「意識消失」から「数分間」の時点とは被告産科医が病室に到着して即座に近い時間です。つまり原告側は被告産科医に内科医の対診など求めず、すぐに頭部CT検査を行わなかったのが「過失」と主張している事になります。つまり被告産科医は病室に到着して即座に「脳出血だ!」と診断できなかった事自体が「過失」であるとの主張であり、内科医の対診に呼び、診察にかけた時間さえも「過失」に相当すると解釈できます。

司法用語と一般用語はしばしば乖離しますが、「数分間」とはどれぐらいの時間を指すのでしょうか。一般的には「2〜3分間」から「5〜6分間」ぐらいを指すと考えますし、最低限「10分以上」は司法用語でも「数分間」にはならないと思います。原告側の主張では被告産科医が死亡産婦を見た瞬間に脳出血であると診断できる明らかな証拠があるとしていると考えられ、それについての立証に深い自信を持たれている事が分かります。


もう一つの「因果関係」での「高度の蓋然性」ですが、司法において「高度の蓋然性」とは80%以上の可能性を指すとされます。原告主張からすれば0:14から「数分間程度」すなわち0:20頃には頭部CTの判断を下せばまず「過失」ではないとしています。CTのスタンバイ時間が40〜50分と内科医の証言にあり、仮に40分としても頭部CT検査開始は1:00になります。

モニター時点で脳出血と診断できたとして、そこから家族への説明、搬送先の手配、搬送時間を考えると、机上の理想論で事が運んでも原告の主張する1:37の除脳硬直までに搬送先病院に到着するかどうかさえ微妙です。ここで妊娠中の脳血腫除去術の困難性や、胎児の動向をあえて無視しても、どんなに急いでも脳手術は除脳硬直後になります。ここの話は単純化しておきますが、原告の主張通り、0:00に脳出血が起こり、1:37に除脳硬直が起こる脳出血の救命が「高度の蓋然性」つまり80%以上の確率でありうると主張している事になります。

もっとも原告側の救命の度合いは

    一命を取り留めた高度の蓋然性があった
原告側は「一命を取り留める」と言う文学的な表現を用いています。司法用語も言葉の定義に厳密さがあり、当然ですが「一命を取り留める」にも定義があるのではないかと考えています。死亡産婦は国循での手術を8/8に受け、8/16に亡くなっています。これはあくまでも見方ですが手術により8日間生存が伸びたとも受け取れます。もちろんその程度の期間では不満があったので訴訟に及んでいるわけですが、どの程度なら「一命を取り留める」と認定されるのでしょうか。「10日」それとも「1ヶ月」もしくは「半年」、それとも「数年」でしょうか。

「一命を取り留める」の質と期間によって「高度の蓋然性」の解釈は異なってくると思われますが、その点についての原告側の主張と司法的な定義も強い関心が寄せられると考えています。