真実の論証

この2年間でネットの力は急速に伸びています。もちろんブロードバンドの普及により動画配信分野もそれなりに成長していますが、ネットで一番伸びているのは情報のリテラリシー分野だと感じています。この分野の伸び方は異様なほどで、この分野の成長を支えているツールがブログです。ブログは3年前にもありましたが、そこからの急発展はまさに驚異的です。

当初のブログは今でも「インターネット上の日記」という解説があるように、個人の日常を綴ったものを公開するものが主流でした。今でもこのスタイルはしっかり残っており、日本のブログの一つの基本容態ではあります。このスタイルだけにブログが留まっていればたいした発展はなかったと思うのですが、ブログというツールの成長力はその殻を簡単に打ち破ってしまいます。

私も「はてな」に移る前からをあわせると2年半ほどブログを書き続けています。当初はお決まりの日常雑感ネタから始まっているのですが、毎日書いているとすぐにネタに詰まります。日記とは言っても公開されていますから、そうそうプライベートな事を微に入り細に窺い書けるものではありません。そうなると必然的に時事ネタを漁る事になります。つまり目に付く報道記事の解説路線に移行せざるを得なくなるということです。

報道記事解説路線はそれなりのコメンターが集まってきます。政治、経済、スポーツなどなど、様々な見方をするコメンターが意見を書きます。ブロガーもコメンターに負けないように勉強してエントリーを書きますから、続きさえすればエントリーの水準はドンドン上がっていきます。もちろんすべてのブログが上がるわけではありませんが、上がっていくブログが確固とした人気を集める事になります。

ブロガーの多くは匿名ですが、匿名だからいい加減な事を書いているところには人は集まりません。また匿名であるが故に信用はそう簡単には獲得できるものではなく、ブロガーが日々積み重ねたエントリーの集積が信用となります。ネットは基本的に匿名の世界ではありますが、匿名により肩書きが分からないのを補うために、書かれている文章の信用性、信頼性が非常に厳しく問われる世界だと考えています。水準が上がり、信用性を獲得した人気ブログの情報発信力はもはやメディアの中で無視しきれる存在で無くなって来ていると思います。

医療系ブログもまたそういう存在になってきていると考えます。医師は日常業務が多忙であるため、情報交換ツールとしてのネットの利用率が高い職種です。余力のある者はブロガーとして情報を発信し、そこまで手が回らない者はコメンターとして情報を発信します。ブロガーやコメンターのほかにもROM専で情報収集だけを行なっている者も万単位でいます。

医療系ブログのほとんどはクソ真面目です。職業柄としか言い様がありませんが、どんなに感情的なエントリーやコメントをしようが、最後の最後に医師としての一線を守ってしまいます。また感情的になりながらでも基本思考が論理的になり、感情の爆発の原因まで論理で説明してしまいます。医療系ブログやBBSでニセ医師がすぐ発覚するのはそのためです。

そんなネット医師が情報リテラリシーをやれば壮絶です。情報の隅々を検証し、考えられるあらゆる可能性を論証し、その上で情報の真価を問います。これは検証材料が多いほど考察は深いものになります。医療と言う仕事は、人間と言う不確実性に満ち溢れたものが対象なだけに、不確実性を少しでも少なくするために、どんな小さな材料でも疎かにしない習性があります。ある材料の見方も一面からしか見ないようでは医師とは言えず、四方八方から見て、その評価を下すのが職業的習性です。

これは福島事件のときにまず炸裂しています。福島事件の時はそれでも手に入る情報が少なかったのですが、かなりの精度で当日の状況を考察し、この考察が相当部分正しかった事は裁判の場で立証されつつあります。

奈良事件の考証はそれに輪をかけたものがあります。福島事件の時よりも入手できた情報が格段に多く、その入手した情報に対する分析、評価は異様に詳しいものであった事は間違いありません。私もその時の論議に一部参加しましたが、ほんのわずかな不審点まで徹底的に論証、考証されたと言っても過言ではありません。

またネットでの医学討議には日常の現場での討議と違う点があります。それはすべての診療科の医師が横断的に討議に参加できる事です。こういう事は通常の医療機関や学会でもそうそうありえる事ではありません。そのうえ匿名ですから、発言に肩書きによる遠慮が不要で、まさに容赦無しの質問疑問が飛び交う事になります。

奈良事件の焦点は

  • 最初の意識消失状態の時に脳出血が起こっていたか
  • 次に痙攣発作が起こったのは子癇であったか
  • 全経過中にCTの必要があったか
当時でもこの点が問題にされ、看護記録、診療記録から詳細に検討されています。検討に参加したのは、産科、脳外科はもちろんの事、あらゆる診療科の現場の最前線の医師が疑問に考える点の論議を煮詰めあげています。結論については言うまでもありません、妊婦死亡は不幸な事故です。それ以上でもそれ以下でもありません。医療として、その時点で考えられる最善の判断、処置を下した以外の結論はありません。

奈良事件の余波はm3閉鎖まで影響を及ぼしましたが、医学的な結論は変わりません。妊婦が死亡する事と、医療として最善を尽くした事は、当たり前ですが並立します。その事実を容認できないのは不幸な事ですが、真実は論証されています。