リテラリシーを巡る話題

話の題材はkoume様の読者のリテラシーと発信者のリテラシーからです。この話の構造はちょっと複雑と言うかkoume様も当初勘違いされている部分があるので、私の見解を適当に混ぜながら話を進めます。

koume様が激怒(に近い印象)したのは、

若手農業人主体で作られている雑誌「Agrizm」を発行している農業技術通信社

Agrizmはこの後はアグリズムと表記しますが、ここのオカルト農法探検隊なるコラムコーナーみたいなものがあるそうです。どういう趣旨のコラムかと言うと、

「農業の生産現場で起こる不可思議な現象を、「科学的に解明できなくても、農業経営に役立てばいいじゃないか!」と開き直ってレポートするものです。」だそうです。

そこでkoume様が発見したというか、どうも農業関係者が話題にしたコラムが

ここもまた事実関係が煩雑なんですが、農業技術通信社はアグリズムも発行していますが、このコラムが掲載されたのはアグリズムではなく「農業経営者」と言うまた別の雑誌だそうです。ただ後を読んでもらえるとわかるのですが、どうやら編集部としてのメンバーは同じかかなり重複する様子です。そんな大きな出版社とも思えないので、同じ編集部が2つの雑誌を発行してもさして不思議ではないでしょう。

それでもってこのコラムですが刺激的なタイトルで、内容も刺激的と言うか、御馴染みのホメパチ理論満載のコラムです。私も読んで見ましたが、典型的と言うか、教条的な御馴染みのホメパチ宣伝テンプレートがツラツラと並べられています。そりゃ反応するだろうという内容でしたが、koume様もウッカリされていた事実があります。このコラムが書かれたのは

    2006年04月01日
4年前の事でホメパチ騒動のかなり前の事です。4年前でも許されないとの意見もあるかもしれませんが、正直なところ4年前ならオカルト農法として紹介するぐらいの価値判断を行なってもそんなには責められないと思います。2006年時点でもホメパチの脅威への先覚者はいたでしょうが、まだまだホメパチではなくホメオパシーの時代ですからね。



ほいじゃ、2006年時点の記事であったから一件落着になったかと言えばそうではありません。妙な部分に飛び火して、話がこれまた妙な方向にねじれています。そうなった主犯は申し訳ないですが、アグリズム編集部です。あくまでも「どうも」なんですが、ホメパチ農法の記事が今さらになって話題になった事にアグリズム編集部はかなり気になったようです。

私に言わせればスルーしておけば良いようにも思うのですが、話題と言うか悪評に対しての編集部自らが介入する方針としたようです。介入するのも一つの判断ですが、こういう時の介入の方針はどうであるべきかが問われそうな気がします。

私がもし担当者であれば、アグリズム紙の理である「記事はあくまでも2006年時点の判断で掲載しました」ぐらいで、あくまでも低姿勢で理解を求める方針にしたいところです。これでも噛み付く人は現在の情勢ならいるでしょうから、基本方針は「申し訳ありませんが、御理解を」「以後はより慎重な編集方針を心がけます」とかです。

介入する方針は相手を論破して叩き潰す事では無く、これもまたあくまでも話題(悪評)の早期鎮火のはずですから、介入により事実関係を報せ、燃え上がろうとする話に水を差すのが目的になるはずです。もうちょっと言い換えれば、スルーによる自然鎮火より、介入による積極鎮火の方がメリットがあるの判断であったはずだからです。

ところがkoume様のtogetterに介入したアグリズム編集部は「説明と御理解」路線ではなく真っ向議論になってしまっています。是非リンク先を読んで頂きたいのですが、一部だけ抜粋して引用しておきます。

発言者 発言内容
koume 農業技術通信社め、やってくれたな!間違えるにしても間違え方ってもんだあるだろうにこんな不細工に間違えやがって、これこそ業界人としてムカムカするわ / 植物を治療する方法「ホメオパシー」その2 http://htn.to/R29afp
アグリズム 『農業経営者』本誌をご覧いただいていないのでしょう。この「オカルト農法」という連載のタイトルや、農業技術通信社がやっている(きた)こと全体を見ていただかないと木を見て森を見ずな的外れな批判かと。RT @koume_nouka [トンデモ][農業]農業技術通信社め、やってくれたな!
koume あの恥さらし極まりない「アガバドロ数」の記事から「木を見て森を見ず」と言われるとは思わなかった。「私は科学的素養が全くない馬鹿です」と全力で叫ぶ奴の「森」などなぜわざわざ見なくてはいかんのか。オカルトだしと言うならせめて明らかなジョークとして扱え
アグリズム 読み手にリテラシーがあればいいのではないですか。おかげさまで本誌読者は無知蒙昧ではなくリテラシーがあるというのが前提ですし。そもそもあの企画は書名原稿ですしね。自分たちの違う意見だから載せないというのはファシズムみたいなもん。@koume_nouka


ここは冒頭部に近いのですが、リンク先の全体も本当に読んで欲しいところで、編集部が掲載年月日を持ち出したのはかなりの後半部です。koume様のテンションが高いのは良くわかります。それにつられたのではないかと思わないでもありませんが、編集部もテンション高く反論、つまり「説明と御理解」路線でなく、「そこまで言うなら言わせてもらう」式の反論を行なっているのが確認できます。

個人的にはそれだけでも編集部の姿勢としては失敗と思うのですが、テンションが上り熱くなったばかりに大きな失言をやらかす事になっています。失言までの簡単な流れは、このコラムが現時点で掲載されたと誤解しているkoume様が、ホメパチへの現時点での基礎知識を基に「トンデモ記事の極致を掲載する神経が理解不能だ」ぐらいの発言を続けているのがわかります。

それに対しアグリズム紙はkoume様の批判が、アグリズム紙全体のへの無理解から来ていると指摘します。そんな指摘をすればテンションの高そうなkoume様がさらに燃え上がるのは必至で、さらに強烈な発言で返す事になります。アグリズム紙も、その姿勢としてホメパチ農法擁護の姿勢は拙いとは判断しているらしく、再反論のため、つまり議論のための議論のために論理を飛躍させてしまいます。

私も読みながら「あちゃ〜」てなところです。つまりうちの読者は、アグリズム紙がどんな話題を提供しようが、優秀な読者が完璧にリテラリシーして、不良記事と有用記事を選別してくれるから問題はないとしてしまっています。非常に危うい論理の構成になっているのは誰でもわかります。

アグリズム紙の読者の質は私にはもちろん判りません。非常に優秀な可能性ももちろんあります。しかし問題は読者の質ではありません。商業雑誌を発行して読者に情報を提供する商売人の姿勢になってきます。つまり小なりとは言え商業メディアが、読者に情報を提供するとはどういう事かの本質が問われる発言になってしまっています。


私はマスコミ・フィルターを批判的な意味合いに用いる事が多いです。だからと言って情報選別機関をを否定しているかと言えばそうではありません。この世に氾濫する情報を無秩序かつ未整理に受け入れたら、たまったものではありません。そんな事になれば、膨大な情報の中から自分にとって有用な情報を見つけ出す事に莫大な手間がかかってしまう事になります。

やはり誰かがある程度までの情報の取捨選択を行ってもらう必要があります。そうやって選べる程度の数になった情報の中からなら、自分に有用な情報を入手する事が容易になります。情報社会の中で一次情報の取捨選択の役割は非常に重要です。そのために情報を取捨選択する機関や人物は重大な役割を担っているわけです。

そういう重大な役割を果たす機関や人物に必要とされる条件に「信用」があります。あの人物、あの機関が選別した情報であるなら一定程度の信頼が置ける信用です。この信用はかつて(いや今でも)「新聞沙汰」と言う言葉で象徴されます。この意味は新聞に取り上げれれるほど(新聞の選別基準でもクリアするぐらい)重要な出来事を指す事になります。

私がマスコミフィルターを批判的に用いるのは、それほどの信用が必要な情報選別機関が、信用を裏切って偏向したり、意図的に言論を誘導したり、、故意に情報を操作する時です。そういう行為自体も非難の対象になりますが、そういう行為が情報化社会の要である情報選別機関の信用を低下させ、情報を得る側にすれば余計なリテラリシーを強いられるからです。

現在の情報リテラリシーとは、かつては一流の情報選別機関と無邪気に信じられていたマスコミ情報の信用度の低下があり、マスコミと言う情報選別機関(フィルター)を通った情報であっても十分な注意(リテラリシー)が必要な時代に突入していると言う事です。


ちょっと寄り道がながくなりましたが、アグリズム編集部の主張は情報発信者の情報選別機能を放棄する宣言に等しいものになります。アグリズム紙の編集方針は、有用な情報も発信するが、一方で与太記事、クズ記事も満載していますから、その選別は読者のリテラリシーに任せると言っているに等しい事になります。

編集部が選別した良質の情報を提供するのが情報誌の役割であり、前提として発信した情報はすべて編集部のお墨付情報でなければならないはずです。読者も記事のリテラリシーを行いますが、リテラリシーはそれなりに信用を置いている編集部の選別が終っている前提で行われるはずです。決して、リテラリシーの最初が「これはクズか与太か」で始まる訳ではないはずです。

この情報選別の信用は雑誌の価値にも通じます。俗に言う三流雑誌は、読む前から情報の信用性については眉にツバをタップリ付けて読みます。では何を求めて三流雑誌を読むかといえば、信用できない情報から紡ぎだされた読み物の面白さです。これが二流、一流と格が上れば、読み物の面白さより、書かれている情報に重きがおかれます。

情報の質と読み物としての面白さが合わされば超一流の格がつくといえば良いでしょうか。アグリズム紙は自社の発行物を三流週刊誌程度のものと自負されているのでしょうか。一流紙やましてや超一流紙を読む者は、その情報に高い信用を置いているので、ある意味、掲載されている情報へのリテラリシーはかえって低くなる事があります。よほどの事が無い限り、情報をそんなに疑わないからです。

ところが三流紙を読むものはそうではありません。高いリテラリシーで読み、なおかつ信用できない情報の中から有用な信用が置けそうな情報を見つけ出す作業を行わなければなりません。言ったら悪いですが、一流紙を読む者の方が掲載情報に対するリテラリシーが低い可能さえありうると言う事です。これは読者と言うより、その情報源が一流であるか、三流であるかによってリテラリシーの程度が変化するとした方が良いかもしれません。

ちょっとだけ注釈なんですが、「紙」としましたが必ずしも紙媒体の事を意味している訳ではありませんし、ましてや「紙」だから新聞を意味しているものではありません。FEP変換と表現の関係で「紙」としているだけで、もっと広く情報源と解釈していただければ幸いです。

そこまで考えるとこの発言が笑えてきます。

    おかげさまで本誌読者は無知蒙昧ではなくリテラシーがあるというのが前提ですし。
商業雑誌の運用方針によりますが、大きな意味での基本は、情報発信者は自分が発信した情報を信用して欲しいと言うのがあるはずです。言い方は悪いですが、発信した情報を受け手が鵜呑みしてくれるのが究極の理想とすれば語弊が生じるでしょうか。これは究極の理想ですが、理想に近づけば近づくほど、発信される情報に対して高いリテラリシーを必要としなくなる関係が起こるはずです。

アグリズム紙が自慢している読者に十分なリテラリシーがあると言うのは、裏返せば読者のアグリズム紙に対する信用が非常に低い事を意味します。読者が情報を受け取る時に、三流紙からの情報に接する様にさせてきた成果と言い換える事さえできます。書いているのが小なりとは言えプロの編集部ですから大いに笑えるところです。


それと良質の情報の提供メディアにはリテラリシーの閾値が低くなるとはしましたが、別次元のリテラリシーは発生します。その場に書いてある情報としては正しくとも、全体の中ではどうかの俯瞰的なリテラリシーです。物事にはその場、その場は間違っていなくとも、つなぎ合わせるとどうにも都合が悪くなる事が起こります。

これは価値観の置き方を長期にとるか短期にとるかでも変わりますし、社会における立ち位置によっても当然変わってきます。世の中は多数派の意見が正しいとされる事も少なくありませんが、自分の立場が少数派に置かざるを得ない事も当然生じますから、様々な角度からの情報のリテラリシーが必要になると言う事です。それによって情報の利用価値は全然変わってくると言う事です。

この別次元のリテラリシーは、判断材料である情報の真偽のリテラリシーとは基本的に異なります。ではアグリズム紙が読者に求めているリテラリシーは、そういう別次元のものかと言えばそうではありません。

    自分たちの違う意見だから載せないというのはファシズムみたいなもん。
自分と違う意見をあえて読むのは必要なことです。人間の考えられる事には限界がありますから、自分では見えない角度の意見を取り入れるようにしなければ、見識が非常に狭くなります。ですからこの意見自体は正論にも見えますが、議論の流れからすればそうとは言い切れないところがあります。

この意見が出る前に焦点になっていたのはホメパチ農法の掲載の是非です。2006年時点でアグリズム紙が掲載したのはまだ理解できるとしましたが、2006年時点でもホメパチ農法の紹介はわざわざ「オカルト農法探検隊」シリーズとしています。なぜにそういうネーミングにしたかと言えば、アグリズム紙が提供する情報の中では注意を要するものであるとのサインと考えるのが妥当です。つまり紹介はするが、十分注意して情報を取り扱ってくれの意思表示のはずです。

話が現在と2006年時点が混在するのでややこしいのですが、アグリズム紙の主張はあくまでも2006年時点で掲載しても、リテラリシー能力の高い読者はホメパチ農法の情報は現時点と同じようにリテラリシーできたとの主張に解釈するのが妥当でしょう。つまりアグリズム紙が主張するリテラリシーとはあくまでも情報そのものの真偽を判別するリテラリシーである事になります。

このアグリズム紙の主張はこうにも拡大されます。そんなに読者が信用できるのなら、現時点でもホメパチ農法を推奨する特集を平然と組める事になります。医療現場からの追放は日本学術会議の声明で為されましたし、これに同調する医療者は大多数になりますが、農業現場からはとくに追放の宣言が無いからです。

医療においてのホメパチ効果の否定の根拠はタンマリありますが、農業はどうでしょうか。医療での否定も相当大変な作業でしたが、医療での情報をそのまま流用できるほど相手は軟弱ではありません。医療での否定の根拠でさえ、ホメパチ側は一点たりとも容認していませんし、自分たちが依って立つ根拠を強硬に主張し続けています。

であればホメパチ農法は農業現場では今でも「自分たちの違う意見」であり、さらにこれを掲載しないと言うのは「ファシズムみたいなもん」が成立してしまいます。人間に対する医療効果でもホメパチ側の反論は強烈(内容はあえて語りません)でしたから、同様の主張が農業分野でも展開されると考えるのが妥当であり、これを否定できるだけのものがなければ、これからも特集でホメパチ農法バンザイ特集はありうることになります。



それにしてもです。最初の方に話が戻りますが、何故に編集部はわざわざ介入したのか謎です。もっと謎なのは介入してディベート的な議論を行ったことです。ネットで議論を吹っかければ相手によりますが、余計にヒートアップする事は多々あります。koume様のテンションの高さは発言を読めば理解できますから、ここに議論を吹っかければ必然的に燃え盛ります。

ディベート的としましたが、本当のディベート(実はやった事が無いので伝聞だけです)ならルールもあり、論争の優劣の判定者もいますから、論理の優秀さを競う一種のゲームになり、何より大事なのは議論が終了します。

しかしディベート的なものは終わりが基本としてありません。議論が白熱すれば、やがて水掛け論から感情論になり、得てして罵りあいになる事さえ多々あります。罵りあいにまでなれば、どちらかが嫌気が差して退場するまで泥仕合が展開します。それを望んで介入したのならともかく、批判の鎮火のために介入したのなら、わざわざ何しに行ったのかと首を捻りたくなります。

そこで出てくる疑問なんですがkoume様は、

で、どうもこの社名で検索してきたらしいアグリズム編集部(http://twitter.com/agrizm_edit/ )が私を批判してきました。

これも根拠の無い指摘ではなく「agrizum_edit」と書いてあれば「アグリズム編集部」と理解するのは普通です。ただなんですがアグリズム編集部が会社の方針として組織的に介入したかどうかとなると内容から大きな疑問を感じざるを得ません。理由は長々と書いた通りです。あまりにも杜撰な対応であると言う事です。少なくともアグリズム編集部の名を使ってのものならお粗末過ぎます。

ここで気になるのはツィッターで発言が行われた日時です。日付は10/24でこれは日曜日です。つまり休日と言う事です。そして時刻ですが、全部で10回のアグリズム編集部の発言は、

    15:02
    16:12
    16:13
    16:26
    16:40
    17:13
    17:15
    17:18
    17:26
    17:49
    17:26
    17:49
おおよそ午後3時から午後6時までの間の3時間弱ほどの間に行われています。先ほど休日と言いましたが、小なりとも商業メディアなら、日曜であろうが祝日であろうがフル稼働していそうなイメージがありますが、そうでも無さそうな経験があります。去年にたまた招かれて(実態としては押しかけて)丹波未来新聞社を見学させてもらった事があります。

見学させてもらったのは日曜日でしたが、完全にお休みでした。担当者に社内を案内してもらったのですが、それこそ通用口のカギを開けて、電気をつけての無人の社内見学です。アグリズム編集部も同じかどうかの証拠はありませんが、同様にお休みであった可能性は十分あると考えています。それとアグリズム編集部が休日もフル稼働状態であるなら午後3時から6時までの間に10回もツィッターに発言を書き込むのもどうかと素直に思います。

実態としては、業務の都合によりたまたま休日出勤した編集部員が、業務が一段落した後に、これもたまたまkoume様のツィッターが目に付き、興味にかられてチョッカイを出しただけのような気がしています。暇つぶしに手を出しただけですから、ホメパチ農法記事批判に対する編集部としての収拾方針も何も無く、自分の気の向くままに発言を繰り返したと言う事です。

ではそれなら免責かと言うとこれまた微妙です。これがアグリズム編集部員であっても個人のアカウントで発言したのであればまだしもなんですが、アグリズム編集部のアカウントで発言しています。発言を受け取る側がアグリズム編集部の見解と受け取るのは避け難い事です。シチュエーションとしては限りなく個人発言に近いかもしれませんが、編集部発言になっているのは大変よろしくないと思わざるを得ません。


なんつうか、ほんつうかですが、最大のそもそも論は、編集部のアカウントで論戦の相手に依りによってkoume様を選んだことです。ネット・リテラリシーが低すぎるとしか言い様がありません。農業分野でのkoume様の知名度は低いのかなぁ???私なら怖くて、怖くて、あんな議論を吹っかけようとは思いもつきません。