医学部に僻地枠

しばらく探偵ゴッコをしているうちにいろんなニュースがまた出ているようです。半周遅れですが追っかけてみたいと思います。2007.5.13付読売新聞から引用します。全文引用は長くなるのでポイントをピックアップします。

  • 卒業後10年程度はへき地など地域医療に従事することを条件とした「地域医療枠(仮称)」の新設
  • 47都道府県ごとに年5人程度、全国で約250人の定員増を想定
  • 地域枠の学生には、授業料の免除といった優遇措置を設ける
  • 地域枠を設けた大学に対し、政府・与党は、交付金などによる財政支援を検討
  • 丹羽総務会長は講演で、「自治医大の制度を全国47都道府県の国公立大などに拡大したらどうか。5人ずつ増やせば、へき地での医師不足は間違いなく解消する」と述べた
  • 医学部を卒業した学生にへき地勤務を義務づけることは当初、「職業選択の自由に抵触する恐れがある」との指摘もあった。だが、「入学前からへき地勤務を前提条件とし、在学中に学費貸与などで支援すれば、問題ない」と判断
  • 現在の医師不足問題が、医師の絶対数不足よりも、都市と地方の医師の偏在に、より問題がある
どうしても私が取り上げると辛口の批評になると予期される方も多いでしょうが、まず評価するところはキチンと評価したいと思います。

なんと言っても画期的なのは医師を増やす方針を初めて明確に打ち出した事です。これまで現場がいかに医師不足を訴えても「医師は足りている」一辺倒の答弁しかなく、ひたすら幻の過剰地域からの医師の融通策ばかりであった事と較べると飛躍的な進歩です。足りない医師を補充するには医師を増やすしかなく、医師を増やすには医学部の定員を増やす以外に方策はありませんから、この点は素直に評価しなければならないと思います。

細かい問題は皆様が既に突っ込まれているので全部は取り上げませんが、この記事で大きな誤解を招く表現に、丹羽総務会長の講演の引用があります。この発言を読めば来年からでも僻地の医師不足は解消に向かうようなイメージを抱かれる方も中にはおられると思いますが、間違ってもそんな事はありません。

この構想が言葉通り行なわれても僻地枠の1期生が入学するのは2008年度になります。さらに医学部は6年ありますから、晴れて医師免許を得て研修医になるのは2014年度からです。医師は免許を受けただけでは全く使い物になりません。知識はそれなりですが、臨床の実戦に役に立つようになるには研修が必要です。現在の研修制度が続いているとして、最低限、2年の前期研修が終わらないと話になりません。

2年の前期研修が終われば一人前かと言えば全くそうではありません。せいぜい普通の医師なら一目で診断がつき、目を瞑っていても治せる病気の診療に当たれる程度です。新卒時より出来る範囲は遥かに広がっていますが、それでもそんなものです。卵からヒヨコになったといえば良いでしょうか。その程度のヒヨコが出てくるのが2016年度からです。実に9年後のお話です。

この程度のお話はどこでも書いてあるかと思いますが、ちょっと角度を変えて費用の計算をしてみたいと思います。優遇措置で具体的に挙がっているのは授業料だけです。これを免除と解釈すればどうなるかですが、国公立はほぼ授業料は同じですから、平成17年度データでは、

  • 入学金:28万2000円
  • 年間授業料:53万5800円
対象が250人ですから、
  • 入学金総額:28万2000(円)×250(人)=7050万(円)
  • 授業料:53万5800×250(人)=1億3995万(円)
そんなに驚くような額ではありません。しかしこの額は年とともに増えていきます。


年数
費用
1年目2億450万円
2年目3億3840万円
3年目4億7835万円
4年目6億1830万円
5年目7億5825万円
6年目8億9820万円


7年目以降は1期生が卒業するので同じです。そうなると1期生250人が9年目のヒヨコとして実戦投入されるとして、そこまでの費用総額が50億240万円になります。この数字も250人定員の医学部の授業料と思えばそんなものでしょう。それでもって一人当たりに授業料として貸付金としたら324万3000円です。324万3000円と言えば大した額ですが、この額で自治医大方式に準じて9年間の義務年数を買うとすれば、年間36万333円、月額にして3万27円です。9年間の「職業選択の自由」を買うにしてはチト安すぎます。

安すぎるとどうなるかですが、貸付金を早期に返済して「職業選択の自由」を取り戻す医師が出てくるということです。貸付金を早期に返済して「職業選択の自由」を取り戻す医師は自治医大にもいますし、似た方式を取る防衛医大にもいます。当然ですが今度の僻地枠でもそうしようと考える医師は出てくるはずです。これだけハードルが低いと割合が増える可能性が強くなります。9年は長いですからね。

そうなれば9年間の義務年限を勤めたほうが「お得」と思わせる額を貸し付ける必要があります。自治医大防衛医大と違って全寮制ではありませんから、奨学金と言う形態を取るしかありません。月額10万円とすると6年間で720万円となり、授業料とあわせると1044万3000円となります。これで年額116万円、月額9万7000円です。9年間の僻地勤務と引き換えにしては個人的にまだ安い気がします。この額ではまだ返済して職業選択自由を買い戻そうとする医師が多いような気がします。

月額15万円なら1404万3000円(年額156万円)、月額20万円なら1764万3000円(年額196万円)です。さすがに月20万円の奨学金はベラボウですので、15万円は必要になるかと考えます。そうなると先ほどの表はかなり変わります。


年数
授業料分
プラス奨学金
1年目2億450万円6億5450万円
2年目3億3840万円11億450万円
3年目4億7835万円15億5450万円
4年目6億1830万円20億450万円
5年目7億5825万円24億5450万円
6年目8億9820万円29億450万円


そうなると1期生250人が前期研修を終えて9年目でヒヨコデビューするまでに178億6130万円必要です。さらにこの事業を10年間(入学年数として)続けたとすると細かい計算は省きますが、総事業費は266億2055万円です。国家予算規模に較べると大した額ではありませんし、これだけ投入すればて2500人の医師が僻地用に調達できる事になりますが、2500人がすべてヒヨコレベルに達する年数は18年後になります。

10年間僻地枠募集をやるとして18年後には4期生までが義務年限を終える事になります。4期分といえば1000人となり、ここは甘く見積もって7割が僻地に留まるとすれば、残るのは2300人です。18年間に2300人しか僻地医療は不足していないのでしょうか。かなり足りないような気が私はしますし、2300人も脱落率は現実にはもう少し高くて2000人ぐらいしか残っていない可能性も十分あります。

ここで誤解して欲しくないのは、僻地枠を自治医大方式で創設する事自体は、僻地枠という考え方に違和感があるものの、医療危機の原因の一つである医師不足解消のためには基本的に必要な施策と考えています。総事業費266億2055万円も医療のために必要な投資と考えています。しかしそれだけの費用と時間をかけても2000人程度の医師がやっと確保できるだけであり、それも18年後のお話です。

そもそも9年後からようやく補充が始まり、18年後に2000人程度で本当に足りるのか、本当に丹羽総務会長の言葉通り「へき地での医師不足は間違いなく解消する」するのか素直に疑問です。その程度の増加ペースで補充すれば間に合うほどの不足かと言う事です。本当に真面目に考えての政策だろうかの素直な疑問です。

それでも厚生労働省は強弁しています。

    現在の医師不足問題が、医師の絶対数不足よりも、都市と地方の医師の偏在に、より問題がある
この記事でもこうやって平然と書いていますが、「どこが過剰地域であるか具体的に挙げろ」の国会質問に柳沢大臣が立ち往生したのは記憶に新しいところです。厚生労働省ですら把握していない医師過剰地域なんて本当にあるのでしょうか。医師過剰地域は国会答弁でさえ教えてはならない機密事項なんでしょうか。偏在が問題と言うなら代表的な大都市である東京や大阪、横浜、名古屋辺りから18年間かけて養成する2000人分の医師を僻地に赴任させれば僻地問題はすべて解消すると言うのでしょうか。大都市からその規模の医師を突然引き抜いたらどうなるか。大都市部の医療は微塵も揺るがず、困窮していた僻地は救われるのでしょうか。

今回の施策が大真面目なものであれば、たった2000人程度偏在しただけで僻地医療や地方医療は崩壊寸前にまで追い込まれていると言う事とになります。医師は毎年7700人程度誕生し、医師総数は約25万人となっています。2000人と言えばこのうち0.8%です。0.8%の偏在で医療が崩壊するとは一体どれだけ「医師は足りている」のか誰でも疑問に思うと考えます。

医学部定員を増やすのは賛成ですし、僻地誘導のためにある程度のバイアスをかけるのも現状の政策ならば仕方がないかとは思いますが、こうなる羽目になった根本原因は厚生労働省の失政と考えます。僻地医療の問題は慢性的に人手不足ではありましたが、ここまで深刻になったのはほんの2年ほどの事です。もちろん2年間だけの政策が誤っていたのではなく、少なくとも10年程度の失政のツケが今噴き出していると考えるのが妥当です。失政さえなければこんな予算さえ必要なかったのです。つまり国家財政困窮の時に余計な支出を増やすという大罪を犯したということです。

その点の反省を行い、反省の上で医療政策を大転換しない限り、僻地枠1期生が誕生するより早く医療は崩壊します。それよりも1期生が入学する以前に崩壊する可能性の方が高そうですが。