ネットとマスコミ

ここ1年だけでもネットの情報発信力は飛躍的に伸びていると感じています。もっともまだまだ未成熟で玉石混交ですが、発信するパワー、ボリュームは発展途上の荒々しさを十分体感でき、ネットに棲む者としてはその成長力を日々実感しています。

ネットの情報発信の特徴は幾つかありますが、従来のマスコミと較べると分散型であることです。マスコミがデパートやスーパーとすればネットは専門店の大集団の趣があります。ネットの情報発信の主体は掲示板とブログですが、とくにブログは個人が発信するものであり、当然のようにその個人がもっとも専門とする分野に特化する傾向があります。

専門性の高い人気ブログにはその専門分野の読者がコメンターとして集まります。私も書いている医療系ブログでもその傾向が強く、医療のプロである医師が多く集まり、医療分野の話題では、時に医療関係者以外の理解を遥かに超えた論議が交わされます。本当の医学論議に較べるとあれでもかなり低い水準で、医師以外の人間にも分かるように書いているつもりなんですが、専門分野の専門用語が飛び交いますから、読まれるときに苦労するの批評を時に頂きます。

他の専門分野のブログでもそういうところはたくさんあります。私も幾つか読んだことはありますが、途中からチンプンカンプンになる事はしばしばあります。それでもそこで論議されている内容は非常にレベルが高いと感じます。決して与太話や嘘偽りの積み重ねでない事はわかります。与太話や嘘偽りは人気ブログでは即座に排撃されるからです。書き込むほうもそれなりの知識量と勉強をしないと迂闊な事は書けない雰囲気が濃厚に漂っていますし、書けば強烈な反応が返ってくるのを目の当たりにするからです。

そういうブログの情報発信力は旧来のマスコミよりその分野に於て確実に凌駕します。当然と言えば当然で、マスメディアと言えども世の中のすべての分野の専門家を完備しているわけではなく、百貨店方式、スーパー方式であるが故の、全部あるが弱点もたくさんあるの欠点を覆いきれないのです。

百貨店とは読んで字の如しで百貨すなわちあらゆる種類の品揃えを行い、そこに行けばすべての品揃えが可能であるとの意味合いがあります。スーパーもかつてのダイエー路線が目指したように「安価な百貨店」としてすべての商品の品揃えを行い、そこに行けばすべての品揃えができることを目指した時期がありました。百貨店も総合スーパーも全盛時には文字通りの機能を果たしていたと考えます。

ところが現在の百貨店もスーパーもすべての分野の品揃えを行い、すべての分野で勝利しようとはしていません。これが出来なくなったのは、ある分野に特化する専門店が力をつけ、その分野で競争しても勝てなくなったのです。そのため百貨店もスーパーも手を出す分野を絞り、専門店にも十分対抗できる分野に特色を強めて生き残りを図っています。

旧来マスコミとネットとの関係もそうなりつつあるように感じます。旧来マスコミはあらゆる情報を独占し、取捨選択をすべて行ない、さらに情報に対する論評、さらにはその情報の読み取り方、価値観のつけ方まで一手に握っていました。今でも基本的にそうあると信じているようですし、これからもそうあるべしと信じて疑わないようです。

しかしマスコミがいかに力もうが弱点部門は確実に存在し、弱点部門の情報量、知識量はネットに凌駕されつつあります。その差はマスコミがいかに努力しようが縮まる事はなく日々拡大していると思います。当然と言えば当然で、マスコミは従来弱点部門の知識量を補うためにその分野の専門家に意見を求めていました。ところがネット時代になり専門家がマスコミというフィルターを通さずに直接情報を発信し、その数が膨大となれば太刀打ち出来るはずがありません。

逮捕されて訴訟中ですが、堀江前社長の言葉が時代を見ていたと私は考えています。彼についての評価の光と影はコントラストが余りにも明瞭ですが、才人であった事は間違いありません。時代を見る目があったからこそ一時的にとは言えあそこまでの成功を収めたと考えています。彼のニュースに対する発言に

    報道機関は事実を正確に伝えれば事足りる。論評は読者が行なえばよい。
記憶に頼って書いているので正確さに欠きますが、おおよそこんな趣旨の発言がなされていました。この発言がなされた時点ではそこまでネット世論は成熟していないと思ったものですが、ネットの世界はそういう方向性に向かって驀進していると感じています。

ネットである程度の人気を集めるブログで報道記事を鵜呑みにしているところはありません。鵜呑みブログはまだまだ存在しますが、そういうところに人気は集まりません。報道記事はネタ元に引用しますが、その記事の事実のエッセンス、記事が書かれた時に伏せられた事実、記事の狙いと実情の差などを細かく論証するところに人気が集まり、論議が沸騰します。

従来はマスコミだけが情報収集が可能で、マスコミだけが情報発信力を持っていました。マスコミが情報発信してしまうとそれに対し反論する場所すらなかったのです。ところがネット時代になると、いかにマスコミが「クロだ」と発信しても、「いやシロである」の反論が緻密に行われ、ネットに容易に発信される時代になっているのです。

「シロだ」と発信するサイトの一個一個の発信力はマスコミに劣っても、数が集まれば対抗できるところまで時代は進んでいます。ネットのサイトはお互いのサイトを読み比べ知識を急速に増やします。知識を増やした上で何度でも考証を練り直し、論議の水準を高いところに持って行きます。こういう作業が日々積み重ねられ、ネットの情報発信力は強化されていると考えます。

ネットがマスコミに劣る分野はもちろんたくさんあります。情報収集力については直接記者を派遣できるマスコミにはかないません。国際情報の収集力も遠く及ばないところが多々あります。しかし情報の分析力はネットが対抗するところまで特定分野では成長していますし、凌駕し、圧倒する日がそう遠くない日に来るのも確実視されています。

そういうネットとマスコミの関係、棲み分けを知り、新しい関係を構築したものが次の時代のマスコミとして生き残れるかと考えます。今は過渡期です。マスコミは従来の情報独占時代に回帰しようと懸命ですし、ネットはそういうマスコミの独善を嘲笑しています。しかしもう次の時代の情報発信のあり方はネットに棲む者なら確実に見えてきています。

時代の流れは驚くほど速やかです。来年の今頃にはこんな見解さえ陳腐化しているかもしれません。