日大光が丘病院問題と地域医療振興協会

日大光が丘病院問題

漏れ聞く話で経緯をまとめると、






年月 事柄
2010年2月 日大からの光が丘病院撤退の申し入れ
2011年3月 日大は撤退を一時保留
2011年4月 練馬区長選挙
2011年7月
2011年9月


2010年2月に撤退交渉が始まっているわけですが、多くの人が不可解に思っているのは、1年半近くもこの撤退交渉が行われている事を公表されなかった点だと思っています。知らされていなかっただけではなく、練馬区から公表された時には、撤退の決定と後継事業者選出に進んでいると言う既成事実であったのが驚きをもって迎えられたと見ています。

練馬区の発表が唐突であった証拠として練馬区議会議員池沢池尻成二氏の果たされなかった区長の責任 〜光が丘病院問題の中間総括1〜があります。

区長が区長の名において、日大に対しておおやけにした唯一の言葉は、7月15日付の「回答書」です。

こんな事でウソを書いても仕方がないので、区議会議員であっても寝耳に水の事態であったとしても良いかと判断します。回答書の冒頭部分ですが、

 学校法人日本大学(以下「日本大学」)より、平成24年3月31日(土曜)をもって日本大学医学部付属練馬光が丘病院(以下「日大練馬光が丘病院」)の運営から撤退するという申し出がありました。

 区は、区民の皆さまが安心して地域医療を受けられる体制を継続するため、病院の新たな運営主体を選定する検討を進めていきます。

以下は理由が書いてあるのですが、ある意味決定事項の通達とその説明だけです。ここで日大光が丘病院が医療崩壊でニッチもサッチもいかない病院であれば「仕方がない」で見ても良い問題ですが、現実は地域住民にとって重要な病院であり、機能としてもactivityが高い病院であったことです。当然のように「どうなっているんだ」の声が噴出する事になります。

住民の不満・不安は2点だと思います。

  1. 日大とは本当に交渉の余地はないのか
  2. 後継事業者がこれまでの体制を維持できるのか
交渉の余地については1年半もの間、ひたすら水面下で交渉が行われ、表面化した時には「決定」の唐突さがすべてでしょう。さらに言えば、私がウォッチングする限りで、どの点が日大と練馬区の間で妥協できなかった点であるかがサッパリわからない事です。日大も撤退カードを切りながら1年半も交渉を続けていたのですから、条件によっては妥結の余地もあったんじゃないかの疑念です。

練馬区は交渉決裂は「終わったこと」で切り上げられ、ひたすら後継事業者選出にひた走っておられます。これは外野の感想ですが、何となくきな臭いと言うか、利権がらみの裏舞台があるんじゃないかの感触を持ってしまいます。とは言うものの明らかな証拠があるわけではなく、また日大側と交渉の余地がなくなっている(とくに練馬区サイド)のだけは事実のようですから、地域医療医療振興協会が来春から事業を粛々と引き継ぐのだけは間違い無さそうです。


立派なホームページがあるので紹介しておきます。ここは公益社団法人となっているのですが、お仕事の内容については定款から引用します。

(目的)
第5条

    協会は、全国のへき地を中心とした地域保健医療の調査研究及び地域医学知識の啓蒙と普及を行うとともに、地域保健医療の確保と質の向上等住民福祉の増進を図り、もって、地域の振興に寄与することを目的とする。
(事業)
第6条
    協会は、前条の目的を達成するため、次の事業を行う。

    1. 医学生のへき地医療研修活動の指導
    2. へき地医療における診療活動基準の研究と確立
    3. 総合医の確立及び養成
    4. 医療情報の提供
    5. 地域保健医療に関する研究会及び講習会の開催
    6. へき地等に勤務する医師等の職業紹介及び派遣
    7. 関係行政機関との連絡、調整
    8. 会報・会誌の発行
    9. へき地等に勤務する医師の確保等へき地等の医療を支援する病院等の開設及び運営管理の受託
    10. へき地等の医療を支援する病院等に勤務する看護師等を養成するための学校の運営事業等の養成事業
    11. その他前条の目的を達成するために必要な事業

「地域医療」と名前にありますが、どうも「地域 ≒ 僻地」の色合いが濃そうな定款です。このうち今回の病院の後継者に該当しそうな事業は、

    へき地等に勤務する医師の確保等へき地等の医療を支援する病院等の開設及び運営管理の受託

これが該当しそうに思うのですが、練馬区は東京の中では医療がプアとはなっているようですが、僻地かと言えばチト違うような気がします。僻地も様々な定義があるのでややこしいのですが、やはり無理がありそうに思います。法人にとって定款は重いもので、とくに事業展開によっては定款変更も必要なことがあります。

ただ地域医療振興協会が東京で運営管理の事業を行っている前例はあります。池沢池尻成二氏のブログから、

実は、ここ東京でも2つの病院を運営しています。台東区立病院、そして北社会保険病院です。

どうやって定款をクリアしたのだろうと思うのですが、

協会の定款との整合性を取るためでしょうか、たとえば北社会保険病院は「へき地、離島等への医療支援を行う」ことも病院の目的として謳ったりしています

なるほどです。そうなると光が丘病院では定款にある、

    その他前条の目的を達成するために必要な事業
これに基いているのかもしれません。こういう条文の解釈については監督官庁の意向が濃厚に反映されますから、問題視されないところを見ると「OK」とされていると解釈するしかありません。ただ感覚的に「やりすぎ」と思わないでもありませんが、監督官庁の意向さえ問題なければ、問題視された時点で「誤解を招かないように速やかに定款変更」でチョンですから、これ以上は突付いても無駄でしょう。

ま、地域医療医振興協会は自治医大が中核になっているのは周知の事実であり、自治医大卒業生が実は厚労省の医系技官の大きな供給源になっているのもまた有名です。そこまで考えると東京での事業展開についても、監督官庁の了解はバッチリとも言えそうに感じます。


背景事情はともかく、地域医療振興協会の実績はどうかは気になります。定款を拡大解釈しても問題ない実績を残していれば、それこそ定款を正式に変更して実情に合わせても文句は出ないかと思います。平成22年度事業報告書からですが、

 平成22年4月横須賀市立市民病院、奈良市立月ヶ瀬診療所、奈良市立都祁診療所及び明日香村健康保険診療所、平成22年7月、伊豆下田病院が運営を開始し、運営施設は、病院21、診療所(附属診療所及び出張診療所を含まない)22、老人保健施設13となった。

 なお共立湊病院を平成9年10月から13年6月間、介護老人保健施設なぎさ園を平成13年4月から10年間、運営してきたが、平成23年3月、その運営を終了した。

チョット寄り道ですが、奈良市立の病院・診療所を示します。

病院・診療所 運営開始日 運営形態
市立奈良病院 平成16年12月1日 指定管理
奈良診療所 どうやら奈良市直営
月ヶ瀬診療所 平成22年4月1日 指定管理
都祁診療所 平成22年4月1日 指定管理
柳生診療所 平成20年4月1日 指定管理
田原診療所 平成20年4月1日 指定管理
休日夜間応急診療所/休日歯科応急診療所 どうやら奈良市直営


だそうです。奈良市の事はともかく、平成22年度から運営が始まった横須賀市立病院、また運営から撤退した共立湊病院について若干の情報があるので見てみます。


file 1:横須賀市立病院

ソース元は

このレポートを書かれたのが横須賀市職員労働組合・書記長である事を幾分差し引かなければならない点を先に注意して書いておいて、読んでみます。病院の沿革をレポートから簡単に引用しておきますが、

新病院は1971年に病床数220床、総事業費9億3,000万円でスタートしました。

 その後も高度成長期の流れに沿った形で第2期増改築事業計画が策定され、地元医師会との協定も締結し、病床数526床(うち20床伝染病床)、総事業費87億7,400万円の病院が1984年4月に開設しました。現在の許可病床数は482床となっています。

ちょっと微笑ましかったのは1971年に220床の新病院の建設費が9億3000万円。1984年に増築して526床にした時の事業費が87億7400万円になっています。いろいろあったのでしょうが、13年間で事業費が10倍になっているのにチョット驚かされました。次の個所はかなり興味深い記述です。

日本大学医学部は指定管理者問題についてこう語っています。「そもそも指定管理者に変更することについて事前に相談もなく、新聞記事を見て知った。民営化されたら今までの日大の研修病院という位置づけではなくなるのは当たり前。横須賀市の見識を疑う」。これに対し地域医療振興協会側は「日大はきれい事を言うな。そもそも銚子市民病院と同じように理由をつけて引き上げようとしていたものだ」と応じています。

どうも横須賀市立病院はもともとは日大の派遣病院であったようです。横須賀市が経営を地域医療振興協会(以後「協会」とします)を指定管理者にしたのは経営の問題と言うか、総務省の公立病院経営改善指令の一環だと思いますが、日大サイドは寝耳に水の状態であったようです。これは医療界の慣習ですが、日大サイドが重視したのは民営になった事ではなく、経営主体が協会つまり自治医大系になったのを重視したのだと見ます。

結果としてどうなったかですが、

  • 4月時点で呼吸器内科が3人減で0、消化器内科が1人減で3人、循環器内科が1人増で5人、神経内科が2人減で0、血液内科が1人増で2人、脳神経外科が2人減で1人、形成外科が1人増で2人、リウマチ科が1人増で1人、小児科は5人減し5人増の総入れ替え、泌尿器科は1人減で0、耳鼻咽喉科は1人増で3人、麻酔科は1人減で2人、トータルでは5人減ですが、非常勤医師での外来診療が多くなっており常勤換算すれば5人減では収まりません。そして、呼吸器内科、神経内科脳神経外科泌尿器科では入院の停止となりました。
  • 市民病院の産婦人科は、3人の日大医局からの派遣医師で分娩等を行っていました。今回の指定管理者移行をきっかけとしてこの3人とも市民病院を10月に去ることとなり、今後は日大からの派遣はなされません。地域医療振興協会横浜市立大学からの派遣を希望していると伝わってきていますが、実現の見込みは立っていません。

ここも表にしておくと、

診療科 指定管理前 増減 指定管理後
呼吸器内科 3 -3 0
消化器内科 4 -1 3
循環器内科 4 +1 5
神経内科 2 -2 0
血液内科 1 +1 2
脳神経外科 3 -2 1
形成外科 1 +1 2
リウマチ科 0 +1 1
小児科 5 ±5 5
泌尿器科 1 -1 0
耳鼻咽喉科 2 +1 3
麻酔科 3 -1 2
産婦人科 3 -3 0
32 -8 24


呼吸器内科、神経内科泌尿器科産婦人科の常勤医がゼロになり、脳神経外科の常勤医が1人なった事が確認できます。増えているところは循環器内科を除いてマイナー科であり、これだけの規模の病院ですから痛いところに見えます。それにしても小児科医をよく5人も確保できたものだと思います。では医師以外はどうであったかですが、

看護師はトータルで75人の減となりました。3月に在籍していた242人中、定年退職5人、自己都合退職21人、市長部局への異動63人と89人が病院を去りました。コメディカルは68人中、50人が市長部局への異動等で病院を去っています。当然ながら看護師の新規採用は難しく病棟の運営に大きな影響を及ぼしています。稼働していたベッド数377床が131床減の246床で4月をスタートしています。それでも10:1看護基準が満たされない時期が4月、5月と続き、許可病床数の半分という規模にまで、機能が低下しています。

この市長部局への異動とはなんぞやですが、

医師を除く職員については、技術職であっても障害があっても(あん摩マッサージ指圧師視覚障害者も複数います)無条件で市長部局への異動ができることが労使交渉で確認されました。

外部からでは判り難いお話なんですが、公務員待遇の問題のようには見えます。しかしそれにしても看護師、コメが113人も大量異動した市長部局ってどんな仕事をしているんだろうと思ってしまいます。まあそこは今日は置いておいて、看護師が大量にいなくなったので病床稼動数が半分ぐらいに減ったとの事のようです。

これは広い意味の寄り道ですが、

4月からの病院は、未だ就業規則労働基準監督署に提出もしていない状態です。36協定も結ばずに平然と時間外勤務を命じるなど違法状態に陥っています。4月から医師や看護師等の新規採用職員が入り、管理監督者の範囲も不明確な状況の中、労働組合の組織率も50%を割り込んでいると主張しており、労働者過半数代表を選出しなければならないという理屈です。そして未だに過半数代表者は選出されていません。

さすがは医師と違って労組のヒトですから、時間外労働についてはよく御存知です。個人的にはレポートを書くより労基署に相談さらには告発(告訴かな?)に行くべきかと思うのですが、どうなっているのかと思うだけです。


市立 → 民営(指定管理)に伴う混乱とは言えますが、幾つか注目すべき点はあります。日大との確執から日大サイドが医師を引き上げるのは織り込み済みだったはずです。また公務員看護師や公務員コメの反応にも無知であったとは思えません。にも関らず協会は不足分を補充で来ていないのは注目していても良いかと思います。

光が丘病院であてはめれば、看護師・コメは公務員ではありませんが日大職員であったかと思われます。医師は付属病院ですから日大医師が主力を占めていると考えて良いかと思います。これも池沢池尻成二氏のブログからですが、協会が選考された理由の中に、

  1. 多くの自治体病院を管理受託しており、これにより培われたノウハウが高く評価できる。
  2. 人材の確保について積極的な姿勢がみられる。また、日大光が丘病院が現在行っている小児医療や周産期医療を維持するために必要な医師数が提案されている。
  3. 地域医療振興協会が運営している東京北社会保険病院(280床)は、分娩件数および救急車受入件数は日大練馬光が丘病院と同等または上回る実績がある。
  4. 運営開始後に損失が出た場合の補てんを区に求めていない。

注目しておいてよいのは、

    日大光が丘病院が現在行っている小児医療や周産期医療を維持するために必要な医師数が提案されている。
これは提案と言うより、日大撤退に際し練馬区が絶対の条件としているとしてもよい部分ですが、横須賀市立病院では産婦人科が消滅しています。横須賀市の条件が「産婦人科はなくなっても構わない」であったとは思い難いのですが、この御時世に産婦人科医をどうやって調達するのか、また横須賀ではかき集められた小児科医5人の再現が具体的に可能なのかは注目されるところです。


file 2:共立湊病院

ソース元は共立湊病院組合議会による、

これからです。この意見書は末尾に、

よって、国においては、こうした協会の湊病院の運営について、調査・検証をされ、今後の指定管理者制度と公立病院の適切な運営に特段の配慮をされることを強く要望致します。

以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。

かなり気合が入っています。とりあえず意見書では2つの問題をあげています。1個ずつ見たいのですが、

協会は、理事会で湊病院からの撤退を決めて組合の公募には参加しませんでしたが、指定管理契約期間中の平成22年7月、同じ医療圏にある伊豆下田病院(60床)を買い取りました。同病院にて診療を開始し、これに伴い、医師や看護師などを移動させ、湊病院は入院・外来ともに大幅な患者の減少と言う影響を受けました。

また、指定管理契約の終了に伴い、「希望」とはいえ湊病院で働いていた看護師をはじめ職員の約6割を伊豆下田病院等に移動させました。

これは期待と言うか信義の問題に見えます。管理を委託する側は指定管理者は運営を委ねた病院が悪い方にならない事を期待しているわけです。間違ってもハゲタカ・ファンドに委ねているつもりは無いという事です。指定管理にしろ、PFIにしろ内情は複雑ですが、結果論は別にして建前上は病院の経営改善に頑張られる事を期待しているとして良いでしょう。

ところが湊病院の場合は、やり方があまりにも「あざとい」ように見えます。ごく普通に経緯を読むと、

  1. 湊病院と同じ医療圏内の病院を買収し直営とした。
  2. 湊病院の指定管理者であるのに湊病院の職員を買収した病院に異動させたように外形的には見える。少なくとも食い止めには積極的でなかった
  3. 病院を買収し、職員が大量異動した後の指定管理者には立候補しなかった
誰が見ても
    指定管理病院 << 直営病院
こういう処置を公然と取ったわけです。そりゃ協会的には高いカネを払った直営病院の経営に力を入れたいのはわかりますが、あまりにも「あざとい」と言うか、「ミエミエ」の手法を白昼堂々取られたわけです。組合側(自治体側)は素朴に「裏切られた」と感じるのは無理も無いと思います。

国立病院の移譲時に市町では「赤字の負担」を懸念していました。そんな中、「赤字の負担はない」と言うことで協会と契約して病院運営を任せてきました。

しかし、協会が湊病院の運営してきた13年半の間に、みなし寄付や本部費で、病院会計から協会本部会計に7億6,114万円を上納していますが、それでもなお病院会計には未処分利益6億5,868万円が残っております。未処分利益から4,5億円を本部預かり金として活用しております。患者さんの減少によりここ2か年で3億円に達するような大きな経常損失を計上しても大きな利益を留保しています。

ちょっと信じられないようなお話ですが、13年半の間に

  1. 7億6114万円を協会本部に上納
  2. 病院内に6億5868万円の利益を積み上げている
  3. 6億5868万円のうち4.5億円を本部に「預かり金」としている
一番良く判らないのは、
    患者さんの減少によりここ2か年で3億円に達するような大きな経常損失を計上しても大きな利益を留保
ここは3年前には10億近い内部留保があったと解釈して良いのでしょうか。そうなると13年半の間に協会は湊病院経営により14億円ぐらいの収益を叩きだした事になります。物凄い経営手腕なんですが、理由も書かれています。

協会が13年半の間にこれだけの資金を確保できることの大本には、協会は医療収益の全額は当然としても、通常の医療においても減価償却相当の負担金を市町に全額支払わない事や医療機器購入を組合(市町)に負担させる、政策補助金交付税を全額受け入れるなどの契約を全国で行っていることです。

まあそれをやっても自治体経営では必ずしも黒字にならないのも現実ですが、かなりの凄腕と感じます。ただ重要なポイントの指摘もあります。

こうした契約では、国立病院の移譲を受けた自治体において新病院建設などの投資的財源の確保は困難です。

自治体の直接経営でも病院建て替え費用の積み立てができるかどうかは正直なところ疑問ですが、協会による指定者管理でも補助金交付金も含めた利益を根こそぎ持っていかれますから、やはり建て替え費用は出てこないと言う事です。

協会が湊病院から撤退した理由は近くの病院を買収・直営にしたのも理由ですが、もう一つ、

    ここ2か年で3億円に達するような大きな経常損失
湊病院からはこれ以上収益を上げる事は不可能と判断したのも大きな理由とも見えます。これ以上ずるずると指定管理者を続けても、これまで積み上げた収益を食い潰すだけの経営判断です。それも2年我慢したと言うより、2年前に赤字になった時点で次の対応へ素早く動いたと見れないこともありません。素晴らしくドライな経営感覚とさせて頂いて良さそうです。


2つの事例から読み取れる事

横須賀市立病院の例はシンプルで、協会とは言え医師や看護師を打ち出の小槌のように振り出せる訳ではない事に尽きるかと思います。これは共立湊病院の例でもあてはまり、同じ医療圏に直営病院を持てば、2つの病院を維持できるほどの医師や看護師を調達できなかったとも言えます。もっとも共立湊病院はそれ以前に切り捨てられたとしても良さそうです。

共立湊病院の例は、まず経営感覚のシビアさを象徴していると見ます。協会の指定管理での経営術と言うか錬金術は素晴らしいものがありますし、そのカラクリの一端が意見書にもありますし、横須賀市立病院の労務管理にも窺えます。もっとも、そうでもしなければ僻地病院経営なんて成り立たないのは確かですし、同じ条件で自治体が経営しても累積赤字が積みあがるだけだろうとも言えるのが厳しいところです。

経営術はともかくとして、共立湊病院の見切りの早さは注目しておいて良いかと思います。協会だって趣味で経営していないのは明らかで、協会の経営術でも黒字が出ないとなれば、いともアッサリ切り捨てると言う事です。そういうところであると言うのは、これから事業を委託する自治体は覚えておいても良いと思います。丸投げしておけば後は安心という訳ではないと言う事です。


共立湊病院の例でもう一つ感じるのは、協会の職員の帰属意識です。どうも実際に勤務する病院ではなく、協会に強い帰属意識を持つようになっていると見ます。医師の大学医局制度に似ているのですが、大学医局制度と異なるのは、医師だけでなく看護師以下のコメにも範囲が広がっているだけでなく、経営者でもあると言う点です。

共立湊病院から買収した病院への異動も、協会系職員にとっては単なる部署異動ぐらいの感覚ではなかったと推測しています。もちろん表向きは自由意志と言うか、自由意志で無いと拙いからです。ここも医局人事が労働者派遣業や斡旋業との抵触が何度か話題になっていますが、協会がこの点をどうクリアしているのかは興味深いところです。


もう一つ感じるものがあります。協会の試算はヒトではないかと言う点です。協会は一部直営もありますが、大部分は指定管理の管理委託を請け負う事が業務の中心です。協会は収益が上りそうな病院に手持ちのヒトを投入して利益を確保していると見えます。総務省ガイドラインのお蔭で委託対象はこれから選り取り見取り状態が続くでしょうから、優良な投資対象は事欠かないと考えられます。

必ずしも悪いと言えないのですが、共立湊病院で見切りのドライさも示しましたので、協会さえ見放したところ、または鼻も引っ掛けられないところは「まさにどうしようもない」ぐらいに考えても良さそうです。


光が丘病院の希望への可能性

協会にとって光が丘病院の位置付けがどうなっているかが問題です。協会の経営優先度は「直営病院 >> 指定管理病院」であるのは明らかです。とりあえず光が丘病院をどういう形態で事業継承するかは注目されるところです。日大時代は純然たる家主と店子の関係だったように推測されますが、直営色が濃いほど協会は経営に力を入れるかと考えられます。

別の見方も出来ます。協会は光が丘病院が欲しかった可能性です。これは光が丘病院がと言うより、東京都に病院が欲しかったと言い換えた方が適切かもしれません。協会は定款によりどうしても地方僻地にネットワークの重点を置かざるを得ないところがあります。資産はヒトとしても、人事ループに東京都の病院があった方が、資産集め(ヒト集め)に有利の計算です。

今回の騒動も最初から協会が裏で策動していたと考えるのは陰謀論過ぎますが、途中から便乗したぐらいの可能性はあります。日大との交渉は水面下で行われていますが、区役所の担当部署及び関係幹部職員はこの事実も、交渉経緯も知っているわけです。結果から考えると、日大が撤退を撤回する条件は練馬区としては呑む意向がない事はハッキリしていたと考えられます。

練馬区が呑まなければ日大は撤退しますから、発表時には後継事業者の事実上の選定もセットである事が望まれたと考えてもおかしくありません。水面下での日大との交渉のさらに水面下で協会と接触があったとしても不思議ないでしょう。接触があった時点で東京都に病院が欲しかった協会が積極的になり、協会が積極的になった分だけ練馬区の日大への姿勢がより強くなったは考えすぎでしょうか。


この推測が当たっていれば、協会は光が丘病院を単なる収益病院として扱うのではなく、協会の旗艦病院に仕立てる可能性はあります。さすがに東京都の病院ですから、これだけ問題が報道されれば、協会が面子にかけて充実を図っても不思議はなく、さらにそうする事が協会全体の利益につながる計算が可能だからです。

そういう希望的観測が当たっていれば、練馬区民は日大時代と遜色ない医療が享受できるかもしれません。共立湊病院の例を参考にすれば、横須賀市立病院を切り捨ててでも光が丘病院充実を行うことも十分可能性があります。さてどうなるかは来年4月のお楽しみになりそうです。