春は来る

昨日はいつもと違う趣のエントリーに御協力頂き有難うございました。お蔭で鬱病患者の動物園の御評価まで賜りましたが、意義のあるエントリーだったと考えています。ネットとは言え理解し、支えてくれる人間がいる事を知ってもらえれば、ささやかでも治療の手助けになると信じています。しかし鬱病とまでは行かないものの、抑鬱状態の経験者があまりに多いのには驚かされました。

抑鬱状態の原因は誰が考えても激務です。これは医師に限らずどの職種でも基本的に当てはまります。激務以外の個人的な要因もあるでしょうが、激務が大きな部分である事を否定する人間は少ないかと思います。激務の元は言うまでも無く仕事量の多さと、それ故の長時間労働なのもまた周知の事です。仕事量の多さは需要と供給の関係で決まります。現在の医療は患者からの要求が医師が出来る範囲を恒常的に大きく上回っています。そういう状態が日常化し、疲弊から抑鬱状態に導かれている事は医師なら誰でも知っています。

あくまでも単純かつ大雑把な分類ですが、いわゆる日勤帯の勤務はさほどの問題では無いと考えています。もちろん多忙を極めるところもあるでしょうから一概に言えませんが、現在の主力の医師はその程度はこなせてしまいます。どれだけ忙しくとも、日勤帯で終わりならばこれだけ鬱および鬱予備軍は増えないかと考えます。問題は日勤帯以外の業務量の天井知らずの増大でしょう。

厚生労働省の強弁に「医師は足りている、偏在が問題だ」は平日の日勤帯医療に限って言えばあてはまると考えます。それだけで終わるなら、言葉通りかと考えます。厚生労働省の見解では当直は完全に寝当直であると言う建前であり、いくら当直しても業務の負担につながらないと言う建前です。この事は看護師内診問題の厚生労働省通達とはまったく逆に通達が利用され、当直は寝当直であるから働いていないの原則を一歩たりとも譲りません。つまり通達で働いて無いことにしているから、働いていても働いていない事にすると言う公式見解です。

この働いていないはずの夜勤帯、休日の負担が医師を締め上げているのが現実です。働いていないはずの当直が救急当番医であるという事が常識化、日常化している事が医師を疲弊させています。当直の現実は並クラスでも断続的な時間外受診でまともな睡眠は取れず、さらにこれも医師の長年の慣習で当直明けも当然のように勤務が待っています。最近少し知られるようになった36時間連続勤務です。時に2連直、3連直なんてのもあり、個人的には最大4連直まで経験しましたが、その程度でも相当骨身にこたえます。

もちろん正規の当直以外でも患者の急変に備えて無給のオンコールを強いられ、常に呼び出されるかもしれないの緊張が続きますし、実際に呼び出されます。当直、オンコールを含めて拘束日数が300日以上なんてありふれた状態で、主治医制を強力に取る病院では事実上24時間365日なんてのも珍しくもなんともありません。そういう生活が勤務医を続けている限り終わる事も無く続きます。それでも甘いと言う意見もありますが、医療訴訟増加時代となり常に無謬である事を要求されれば疲弊しない方がおかしいと考えます。

実質夜勤の当直も若い頃はなんとか耐えられました。私が医者になった頃はまだ牧歌的で、早ければ40歳ぐらい、遅くとも50歳ぐらいになれば当直免除になる病院はありました。当直勤務の負担も一人前になるための勉強と受け取られていた面があり、やらされている方としても「そんなものか」と考え、早く一人前になってバリバリ臨床を切り回したいと、声に出しては言いませんでしたが「当直免除」になる日を夢見ていました。

ところがちょうど私が医師になる頃から、救急需要が鰻上りに増えてきたかと思います。もちろんそれまでもありましたが、その頃より行政が音頭を取って救急体制の整備が、行政特有の横並び意識の下に推進される事になります。できればできたで、行政の功績になりますから「どうぞご利用ください」のキャンペインも出ます。そういう動きの結果、それまでは医師に無理を言って時間外に診察してもらっていたの意識から、診察してもらって当然の意識にドンドン変わっていく事になります。

これが良かったか悪かったかの功罪の評価はあるかもしれませんが、起こった現象は救急需要の驚くほどの増大です。増大した救急需要は当直勤務を実質夜勤に変えてしまいます。またそういう勤務を強いる病院が見る見る増大し、どこに行ってもそんな勤務体制になってしまいます。すべては言いすぎだとしても、基幹病院とされるところは軒並みそういう状態に陥ります。

ここで救急体制の整備といっても、夜勤化した当直時間帯への人員の増強はほとんど行なわれていません。行政の机上の計画で病院を指名し、そこで救急をやるべしとしただけで、病院の現実の体制は日勤帯の診療を賄い、せいぜいかかりつけ患者の急変に対応できる体制で当直勤務の夜勤化が進むことになります。夜勤帯は日勤帯の2倍の時間があり、これをカバーするには単純計算で3倍、どう少なく見積もっても2倍の人員は最低限必要かと考えます。それを日勤帯+αぐらいの体制でこなそうとしたのですから、相当な負担がかかる事は自明の事です。

それでも大きな破綻を出さずに、2年前まで表面上は平穏に医療は営まれていました。今から考えれば奇跡のような状態です。ただこの奇跡のような状態を奇跡とは思わない人間の方が遥かに多かったのが現実です。奇跡ではなく「当たり前」であり、この状態からの更なる充実、更なる費用削減を一生懸命推進しようとする勢力が喝采浴びながら力を揮います。

そもそも成立していた理由がわからないほど貧弱な体制で行なわれていた救急医療は、見た目の平穏さとは別に累卵の危うさの状態にありました。その累卵をあっさり踏み潰す最後の引き金が新研修医制度です。新研修医制度は奇跡のタネであった医局制度に止めを刺し、医局の人事機能が麻痺する事により、極限の薄さで耐えていた地方病院から医師が消失する現象が続出します。

極限の薄さの地方病院は一人、二人の医師の減少だけであっさり負担の臨界点を超え、臨界点を越えた後は雪崩をうって崩れ去ります。では地方から都市へ医師が流入すれば都市部に医師余り現象が顕在化するかといえば、医局人事の強力さで、地方を維持するために都市部も相当医師分配を抑えこんでいたので、都市部でも相当不足していた医師需要を満たしたに過ぎない結果となります。いや都市部でも救急需要の増大に対する医師需要にはまだまだ足りない状態です。

去年の春も大きな影響が出ました。春の影響の波及は1年かけてより深刻なものになっています。では今年の春はどうかといえば、潜在的な崖っぷち病院が一挙に噴出倒壊し、さらなる崖っぷち病院が量産される事は確実かと考えます。量産された崖っぷち病院は、4月人事のあと、6月人事、9月人事と続く大波にどこまで耐えられるかになります。

最初の大波までもう1ヶ月、今月は全国から春を待てない悲鳴があがるでしょう。