鑑定医の鑑定書を検証すべし

befu先生のエントリーへのコメントでフト思い浮かんだ事です。コメントにしようかと考えたのですが、長くなりそうなので自分のところのエントリーにします。

医療訴訟の問題点は医師の間でも論議が盛んですし、私も自分のエントリーで何度か触れています。ただ医者が一人でいきがって「トンデモ訴訟の撲滅」と叫んでもほとんど意味がありません。訴訟問題に対して医者がとりあえず要望している、専門家による第3者審査機関、無過失補償制度、刑事免責の3点セットのうち、第3者審査機関と分娩による無過失補償制度については、厚生労働省が重い腰をあげて、実現に取り組む姿勢を打ち出しましたが、現在の医療への世論の風向きでは、最悪「かえって無かった方がマシ」みたいなものになる懸念さえあると私は憂慮しています。

少なくとも言えるのは、第3者審査機関や無過失補償制度が出来ても訴訟は無くならないのは確かです。制度が有効に働いて激減すれば嬉しいですが、なんの歯止めにならない可能性もあります。制度自体も作るとは厚生労働省が発表していますが、本当に出来るのか、いつ出来るのかも先行き不透明です。よほど理想的に運用されない限り訴訟からは医者は逃げられないだろうと考えています。

逃げられないのなら訴訟対策を考える必要があります。訴訟の世界なんて小説やテレビドラマで知ってそうで実は良く知らないものです。それでもネット社会のありがたいところで、元検弁護士のつぶやき様のところや、当ブログにコメントを寄せていただいたふぉーりん・あとにーの憂鬱などの、ある程度医療問題に関心を寄せていただき、医療者の疑問や不満点に法曹関係者の立場で解説してくれるブログのお蔭で、おぼろげながら訴訟とはどんなものかが少しは理解できるようになりました。

これまでのエントリーと重複する部分があるかもしれませんが、まず訴訟は誰でも自由に起せることです。これは広い意味の国民の権利であり、これを妨げる事は許され無いと言う事です。また訴訟で最優先されるのは、当事者である原告と被告の利益であるという事です。さらに訴訟を司る司法は現行の憲法、法律の枠内で是非を判断し、これを越える事は無いと言う事です。そして今日の主眼にしたい事ですが、判決を行なう裁判官は必ずしも扱う事件の専門的知識を有していないと言う事です。

裁判官とは言え世の中の森羅万象、すべての事に精通しているわけではありません。所詮は一人の人間ですから、有している知識、経験には限度があります。私の知っている限り、医師免許を持ち、臨床経験のある裁判官は皆無だったと思います。弁護士には数人程度いるかもしれませんし、法科大学院の設立により今後はある程度弁護士は増えるでしょうが、現状では裁判官には皆無だということです。検察官もまた同様かと考えています。

また裁判は基本的に裁判官、原告代理人の検察官(民事の場合は弁護士)、被告代理人の弁護士の3者の討論で進められます。その他の関係者は証人という形で、この3者の尋問に答えるという範囲でしか参加出来ません。細かい例外はたくさんあるでしょうが、大筋ではそんな物かと理解しています。原告被告の代理人の目的は裁判官に自らの主張を認めさせるのが唯一にして無二の目的です。

医療訴訟に於ても基本的に同様です。医療という高度に専門化され、細分化された科学を、全くの素人である法曹3者が論争し判決まで下すのです。「だから専門家による第3者審査機関が必要なんだ」の話は今日は触れません。この現実の訴訟の枠組みの中で、どうやって医療の専門性を主張し反映させるかの方法論を考えなくてはなりません。

法曹3者は医療に於ては専門知識の無い素人とは上述したとおりです。素人ですから自分自身では専門的な知識に基づいた判断や主張を行なうのは不可能です。訴訟に関わる事で泥縄式に断片的な知識を身につけるかもしれませんが、高度な医療判断の是非など「わからない」と言うことです。これは医療に関わらず他の専門分野でも同様であり、この事自体は法曹関係者の恥とすることではありません。

「わからない」法曹関係者がどうするかといえば、信頼できる専門家の意見を聞くということです。専門家の意見をベースにこれを法律をあてはめて、司法判断を行なうという手法をとります。ここで大きな問題になるのは、信頼できる専門家の意見です。誰に聞いても同じ意見なら判断はさして難しくありません。ところが医療では高度化するほど意見が分かれるという特徴があります。私は医者なので良く分かりますが、同じ病気の治療の方法論でも意見が真っ二つなんて事は珍しくもありません。ある時点の患者の症状や検査結果を基に診断を考えた時に、意見が百出であってもなんの不思議もありません。

医療訴訟でも信頼できそうな専門家に意見を聞いて回っても、一人づつ見解や考え方が違うと言う事はやすやすと発生します。この専門家の意見が分かれたときにどの意見が正しいかの判断は、既に医療に素人である法曹関係者の能力を超えているということです。医者は自負が極めて強い人種ですから、持論には異様なぐらい固執します。また時に突飛な意見を主張して止まない時があります。この様な意見の主張は医療界では常識でごく当たり前の風景なんです。全くのウソでなければ何を主張しても良いのが医療界の常識です。

何を主張しても良いのですが、主張に対してはその後検証がなされます。綿密な検証の末に幾多の主張が淘汰整理され、それが医学常識として確立されるというのが医学の進歩です。そうなっても突飛な理論を振り回す医者はいますが、それは医者の常識として冷笑の対象にしかならないと言う事です。

医療訴訟で問題なのは、訴訟の争点になる事柄がしばしば意見の分かれるものになる事です。というか、余程の基本的なものでない限り、必ず少数派であっても異論が生じる事なんです。あまりに少数派の異論は医学界では無視されるのですが、これが訴訟の場となると扱いがかなり変わります。ごく簡単に例とすれば、多数派の常識論と、少数派の異端論が同じ重みをもって、素人の法曹関係者の前に置かれることになるのです。どちらが正論かは医者ならすぐに分かりますが、素人では同等の重みとなり、五分五分の判断と化すということです。

とくに検察官となると、仕事が被告を有罪にする事ですから、言っては悪いですが、有罪にするのに都合が良い少数派異端論をかき集める事になります。こう書けば検察官は極悪人みたいみたいですが、訴訟の場の常識ではそれが疑いも無い正義の行為とされるようです。訴訟の場の裁判官の判断材料は提出された証拠のみにおいて判断するのがルールであり、裁判官が異端派の意見が正しそうと考えればこれが司法の正義となります。

ここから先は法廷戦術になるのでしょうが、検察官は異端派意見であり、弁護士は正論派意見と医者が考えても、裁判官の心証一つで結果はどう転ぶか分からないのが訴訟のようです。だから医療訴訟でなくとも、絶対有利であると考えていた訴訟が、必ずしも勝てるわけで無いと弁護士が語るわけです。

非常に粗い理解かもしれませんが、医療訴訟とはそんな展開になるようです。何が言いたいかですが、医療の素人である法曹関係者が論拠のベースに据える、鑑定医による鑑定書は医者が思うより遥かに重要な地位を占めているという事です。鑑定医選出のルールはいろいろあるらしいですし、これが単独なのか複数なのかも様々らしいです。選出過程はともかく鑑定医の人選で判決が大きく左右されるものであるといえます。

だから鑑定医の選出ルールとか、鑑定書の作成ルールを考えようの意見があります。これはこれで正しいですが、そういうルール変更は思いつきがすぐさま実行されるようなものではありません。また構想自体がいかに秀逸でも具現化するためには、時間的にも、政治的にも大きな壁を幾つも乗り越えていく必要があります。多忙な前線の臨床医が悠長に取り組める課題ではありません。

むちゃくちゃ長い前置きでしたが、医者として鑑定医にプレッシャーをかけていくのが、トンデモ鑑定書の発生抑制になるのではないかと考えます。現状では鑑定医の選出も、鑑定書の作成過程にも関与できません。トンデモ鑑定書が訴訟の場で大きな顔をしてのし歩いても指をくわえて見るしかありません。だから鑑定医に無言の重圧をかけるべきかと考えます。

具体的に何をするかといえば、医療訴訟に用いられた鑑定書の内容の医学的再検証です。司法の判決に直接的な批判は慎んだほうが良いかもしれませんが、鑑定書は医学的批評にされされても差し支えないと考えます。鑑定書は公式に提出されたものであり、万人に公開されるものです。医学と言う観点から検証するのは自由であり、誤謬があれば容赦なく批判の対象になるべきものです。まさか訴訟の場に提出されたので批判の許されないアンタッチャブルの文書ではないと考えます。

2ch医療板や、m3.comでも一部行なわれ、活発な議論が行なわれることもあります。これをなんとか学会レベルまで持っていけないかと考えます。ネット世論は気にしていない鑑定医は多いかもしれませんが、学会で検証批判の対象に成るとなれば、鑑定医に間接的ですが大きな重圧になると考えます。学会での検証が待っているという重圧は、トンデモ鑑定書提出への大きな抑止力になると考えます。

学会で検証すればトンデモ鑑定の医学的誤謬が少なくとも医学界では周知されるでしょうし、鑑定書を提出した鑑定医もまた周知されます。トンデモ鑑定書に基づいた判決がいかに馬鹿げた物かを科学的に公式に表明できます。もちろん司法判断を直接変える力にはならないでしょうが、間接的には大きな影響力を及ぼすと考えます。

鑑定書を学会で再検証するのであれば、新しい枠組みは不要ですし、すぐにでも実行可能です。医療訴訟攻勢に一矢報いる効果は十分だと考えるのですが、いかがなものでしょうか。