救急の黄昏・続編

ブログをやっている楽しみとして思わぬコメントを頂く事があります。匿名ゆえにその内容の信憑性は内容の迫真性をどれだけ評価するかになるのですが、今日エントリーに挙げさせてもらうコメントは真実である可能性が高いと判断しています。かなり込み入った話ですので、判決文ないしはせめて救急の黄昏をまず読まれてから今日のエントリーをお読みください。読んで知ってもらっていると言う前提で書かせていただきます。

コメントをいただいたのは「間抜け弁護士」様。原文は11/8付エントリーのコメント欄にあります。少々長いコメントですので、順番に引用しながら、私の分かる範囲で解説してみます。

うちの弁護士に教えられて目を通した。福島事件から様子が少し変わったが,20年も前から他人事ではないのだから,戦っている仲間の裁判に注意して必要な支援を惜しむなと説いてきた(医事紛争と医療裁判,医療行為と刑法など)。批判は必要なことだが,発言を見ると肝心の仲間の裁判の中身を正しく理解する難しさが分かる。忙しいためだろうが,調べて被告弁護士の説明を聞こうともしていないのはお粗末。その程度で被告の応訴活動を評価できるはずはない。
記録が手元にないので不正確な部分もあるが,コメントしておく

コメント頂いたのはHNにもあるように弁護士と考えます。それも医療訴訟を数多く手がけている気配を窺わせます。上記コメントの中で「仲間」とは弁護士の中で医療訴訟に関わっている弁護士の事を指すと思われ、「20年も前から」との記述から相当なベテランであると考えます。

この交通事故は嫁の運転で死んだのは姑。道路から飛び出し道と直角のブロック塀に正面から激突。あまりにも異常で道ずれ心中も疑われた。生きていれば姑が被害者の交通事故で処罰されている。

判決文中で運転手Fとあったのが嫁、同乗者Jとあったのは姑であったことが明記されています。判決文では自損事故ぐらいしか分かりませんでしたが、無理心中さえ疑わせる異常な事故であったとも述べられています。たしかに判決文にも「スリップ痕が認められない」とあり、この後死亡する嫁が生きていれば、姑が被害者の交通事故事件になったと述べています。まず交通事故自体がかなり異常性を帯びたものであった事を窺わせます。

裁判では健康保険法の自殺,犯罪,有責患者の診療制限も持ち出していた。無理筋だが,全体的評価では無視できないはず。アメリカの屋根から落ちた泥棒の賠償請求に似た部分もあるが,大幅な過失相殺があってもいい。遺族は姑の自賠責賠償は受けているはず しかし,高裁は取り上げなかった。

この辺は法律論ですが、事故の異常性からゆえの論議かと考えます。この論議が裁判のどの段階で為されたかはわかりませんが、おそらく賠償額を算定する時の論議かと推測します。それにしてもアメリカでは泥棒が屋根から落ちても損害賠償を請求した話には驚きました。

自傷は犯罪にならないし,死ねば姑の加害責任も問えない。警察が事件にならないと検視しかしていなかったのは残念であった。

ここからこの事件では解剖が行われなかった事がわかります。そうなるとこの事件で死因とされた外傷性の心タンポナーゼが事故発生後2時間半後に起こったと言うのはあくまでも推定で、脳神経外科医が心嚢穿刺に失敗さえしなければ救命可能であったかもしれないと言うのは、心タンポであったであろう、心嚢穿刺で救命できたであろうの二重の仮定から導かれている事になります。

一審で勝ったのは札幌の救急医学教授の鑑定で田舎病院の体制はやむをえないし,正しく診断するのは無理としたため。一審裁判官はいい感覚の人,ただし,未完成のメモのような異様な鑑定書だったが,X線で原告協力医と同様に腹部損傷と判断していた。鑑定を出すのに3年ほどかかったが,遅延損害金の3年分は鑑定人の責任 裁判所と鑑定料でおお揉めした

例の判決は高裁ですから、当然一審が行なわれているはずで、一審では被告側が勝訴したようです。コメントを頂いた「間抜け弁護士」様は一審での札幌の救急医学教授の鑑定書の現物ないしそのコピーを見られたようです。高裁判決の中で死因の候補の一つにあげられ退けられた腹部損傷は、一審では鑑定医及び協力医の協力医の鑑定で認められています。このコメントを読む限り協力医は「原告」側となっており、一審では運転手であった嫁の死因は腹部損傷であると認めたようです。

鑑定を出すのに3年かかったとありますが、そうなれば一審は少なくとも3年以上かかった事になります。ただし3年は時間がかかりすぎというものらしく、「遅延損害金の3年分は鑑定人の責任」ともめた事が書かれています。鑑定医になれば速やかに鑑定書を出さないと遅延損害金を請求されるようです。

高裁で負けたのは高裁で相手が依頼した救急医学教授の鑑定から 全身打撲なので札幌鑑定人の見解もあり,それに尽きるかも問題であったが,奈良だけでなく,数人の救急専門医が取り組む大阪にも乏しい充実したセンターなら助かったという現実離れしたもの 進行中の奈良の大淀病院事件は,周産期救急システムのお粗末さを教えている。別件では当直医の輸液の中身が悪くて死亡させたという鑑定をしたあとで,自分もこんな症例は経験したことがないと証言したこともある。

やたらに高みから見下げる人もいる。さすがにエコーの技師がいたかと鑑定書で聞いていたが,救急指定基準の実態を一番よく知っている救急医学の教授がこれではナンセンス 

ここでは二審である高裁の敗訴理由が書かれています。敗訴の最大の原因は高裁の鑑定医の鑑定書であると述べられています。おそらく高裁の鑑定医の鑑定内容は、死因は腹部損傷でなく、事故後2時間半後に発生した心タンポであるとしたと考えられます。またそれが大阪の超一級の三次救命であるなら、心嚢穿刺や心嚢切開、開窓術で十分救命しえたはずの内容である事を推測させます。

判決文の脳外科医の責任を述べるくだりの前段である、事件が起こった病院の医療レベルは全国的な事情もあり「これ以上望んでも無理」は一審の判決を受けたものと考えられ、後段の「しかしながら・・・」以下は高裁鑑定医の意見を全面的に取り入れた文章であると考えられます。

担当医は大学から救急患者を送られたこともある有能な脳外科医。心嚢穿刺の経験は乏しいが,急変時のことである。穿刺方法が間違っていたとも,心タンポであったと言える根拠もない。解剖されていないので確かなことは言えないが,その可能性もあると言うのがEBMの常識
搬入から急変までの時間も問題にされているが,頭部打撲も予断を許さず,外表や胸部X線で異常がなかったことに加えて,姑の急変の蘇生や大学との連絡・送り出しに手をとられたことからすれば,転送して急変までに姑を送った大学に送ることはできない。

病院に搬送されたとき、運転手であった嫁のほうは意識レベルが相当低下した状態であり、事故の様子から頭部損傷の可能性をまず強く疑ったのは、担当が有能な脳外科医であったことからもごく自然の思考であったと考えます。ところが見た目は軽症そうであった同乗者の姑が急変し大騒ぎになったのは判決文の通りです。

急変した同乗者の姑を送ったのは奈良医大。ここで運転手であった嫁の状態は一応安定していましたが、意識レベルの低下した運転手の嫁を三次救急に送らなかったのは何故かという疑問があります。判決文及びこのコメントから推測すると、三次救急はこの病院から30分の奈良医大と、もう一つは1時間以上かかる奈良市内の病院です。急変した同乗者の姑を奈良医大に一人搬送したため、なんらかの事情でもう一人の搬送をやんわり断られた可能性を推測します。つまり二人はチト厳しいと。とはいえ1時間以上かけてもう一つの三次救急病院に送るメリット、デメリット、全身状態がそれなりに安定し、検査所見で緊急を要する徴候が認められなかったことから、自院で経過観察を決断したと考えます。

もっとも私の考察は小児科医レベルの憶測の塊ですから、判決文に書かれた運転手であった嫁の状態で、三次救急に搬送するかどうかの是非は、現場に従事する専門家の意見が欲しいところです。

それとここでも重要な点を指摘しています。この事件では上述したとおり解剖は行なわれておらず、高裁判決で断定された心タンポが死因かどうかの確証はありません。脳神経外科医は心タンポを疑って心嚢穿刺を試みましたが、心エコーを行なって確認してから行なったわけではなく、容体急変の原因の一つの可能性として心嚢穿刺を行なっていたことがわかります。

心嚢穿刺は成功していませんが、これは手技が失敗したのか、そもそも心タンポ自体が無かったのかの証拠は無かったようです。訴訟でも一審の鑑定では、心タンポの存在自体をどれほど触れたか分かりませんが、原告の協力医も死因は腹部損傷としているぐらいですから。

高裁鑑定でがっくりした脳外科医は気を取り直して調べて,東京の大学救急センターで安易な穿刺を戒めた文献も見つけて提出した。
その後,エホバの証人の心タンポの別件でも東北の循環器内科教授が心嚢穿刺で助かると鑑定で主張したが,証人尋問では出血が止まらず手術した例があることを認めた例もある。これほどの防御をしても間抜けかな。

高裁の鑑定書の内容の詳細は分かりませんが、判決文からある程度推測できます。一審段階の死因は腹部損傷から、心タンポによるものに変更され、それを見逃し、なおかつ心嚢穿刺が出来なかった注意義務違反を指摘されたと推測します。一審段階から急転直下で脳神経外科医が悪いの鑑定に変わればそれはガックリくるでしょう。

そのため反証を探すことになります。反証で挙げたのは2つのようで

  1. 東京の大学救急センターで安易な穿刺を戒めた文献
  2. エホバの証人の心タンポの別件でも東北の循環器内科教授が心嚢穿刺で助かると鑑定で主張したが,証人尋問では出血が止まらず手術した例があることを認めた例
文脈から考えると、心嚢穿刺の施行や成功の是非に関わらず、患者の生死を左右する責任は生じないと主張したのではないかと考えます。この主張に対しての反応はコメントにあるように「これほどの防御をしても間抜けかな」で、主張は認められなかったと言う事です。

ここから先はコメントを頂いた「間抜け弁護士」様の現在の裁判への感想と言うか意見となります。

今の裁判で十分な立証をすれば必ず正しい判決が出ると思うのは幻想 さすがに主治医には責任を負わせられないので,公権力論を持ち出したが,無理筋もいいところで,普通の債務不履行論で医師とともに負かす例が普通だ。しかし,事実把握や医学評価を誤った判決は最高裁にもゴロゴロ 刑事事件は検察官が問題で福島事件も間違えたのは検事 それに乗る裁判官もいる。もちろん,いい検事も裁判官もいる。

法律論なので私も十分に理解したとは言えないのですが、ポイントをまとめれば次の通りかと思います。

  1. 裁判で十分な立証さえすれば正しい判決がでると思うのは幻想


      これはYUNYUN様から頂いたコメントにもありますが、どんなに正しい立証を行なっても、最後に判決を下すのは裁判官であり、裁判官が裁判中に立証された証拠の価値を認めなければ意味が無いと言う事です。その裁判官の最終判断は、裁判官だけが考え、裁判官だけが決定し、たとえその決定が科学的や論理的に辻褄の合わないものであっても、事実上何人も抗議や意見を差し挟めないと言う事です。


  2. 普通の債務不履行論で医師とともに負かす例が普通だ


      この訴訟は法律的には債務不履行論となるそうです。さらにそれで争うのなら、当事者である脳神経外科医も責任が負わされるのが司法の常識だそうです。それがこの判決では、判決文で脳神経外科医の注意義務違反を認めながら、その違反を主治医に負わせることをできていません。そのため、管理者である奈良県に「公権力論」とかで無理やり責任を負わせたのは、司法の常識から大いに問題があると指摘していると思います。

      正直なところこの辺の話は半分も理解しているかどうか怪しいのですが、法律的には無理強引に力技で被告側を敗訴にし、賠償をさせたとでも言えばよいのでしょうか。そうとう捻じ曲がった判決であると述べられているように感じます。


  3. 事実把握や医学評価を誤った判決は最高裁にもゴロゴロ 刑事事件は検察官が問題で福島事件も間違えたのは検事 それに乗る裁判官もいる。もちろん,いい検事も裁判官もいる。


      ここはYUNYUN様のコメントを引用させて頂きます。

        裁判官が「いくら言っても分かってくれない」人種であるということは、私も弁護士の端くれとして、日々の仕事を通じて痛感しておるところです。 しかしながら、私たちには裁判官のクビをすげ替える権限はない以上、弁護士としては自らの職能でもってできること、すなわち訴訟戦術を磨きレベルアップして次回の戦いに臨むという以外はないと思います。
最後に医療訴訟へのアドバイスをされています。

福島事件では院内の検討会が軽率なミスをしていた。
この事件もそうだが,鑑定人が悪いことがとても多い。ただ,鑑定ミスは世界的 権威者のSIDS誤証言で大騒ぎしたイギリスではNHSが専門家証人を選ぶ案が動き出している。
問題の深刻さ理解し,医療の現状や限界を正直に示しながら,批判を自らにも向け,足元を正して,粘り強く戦いを地道に続けることが必要だろう。僕たちもそれを続けているのだ。
アメリカが先輩の医療崩壊も前から指摘しているが,全体としては正しい皆さんのコーラスがダウンブローのように利くことを願っている。

モトケンさんのところでも論議されていますが、医療訴訟において鑑定医の鑑定書は大きな力を持っています。この裁判でも一審では鑑定医の死因は腹部損傷説が通ったので被告は勝訴していますが、高裁では鑑定書の心タンポは助けられる説が通ったため、それを覆す努力に失敗して敗訴していると考えられます。だから鑑定医の選出を、医学界が責任を持って信用できる人物を選出できるシステムが必要としています。

それとネット普及以前にはこういう判決が行なわれても、とくに医療訴訟では再検証は殆どなされず、無批判に闇に包まれていました。ところがささやかながらでも、こうやって批評の声を上げることは、司法に対してそれなりに影響があると述べられています。過去の裁判の判決は変更できませんが、判決の内容に常に専門家がネットであっても目を光らせている事は、これからの判決を下す裁判官の心理にダウンブローの様な効果が期待できると結ばれています。

以上です。私の中途半端な解説が無かった方がかえって読みやすかったかもしれませんが、平成5年の奈良救急事件の法曹側から見た裏話でした。ここまで分かったのなら、鑑定書の原文も読みたいところですが、無理でしょうかね。