メリークリスマス

時々ある質問に「医療危機の原因はなんですか」てなものがあります。こういう質問をされる方は医療にはどうもそれなりに問題がありそうで、それも医療が崩壊するなんて事も聞いたことがある程度の知識の方に多いです。質問者の意図として問題があるなら原因を究明し、原因を解決すれば危機は去るという考えかと思います。問題解決の筋道としては正しいもので、医者ならそれを知っているだろうというのも変な発想ではありません。

私も2月ぐらいからこの危機の原因をあれこれ考えてきました。考え方は基本的に一緒で危機があるなら原因を見つけ出し、原因の解決の方法を摸索しようと思ったからです。ところが考えてみると頗る付きの難題である事が分かります。いくつか目に付く事、思いつくことがあるのですが、一つの問題を煮詰めると新たな問題点が絡んでくると言う具合です。

たとえばわりとよく挙げられる物に新研修医制度があります。確かにこの問題は大きいと考えます。新研修医制度がもたらした医療危機の原因としては、

  1. この制度の導入により2年間医局への医師の供給が断たれた。そのため定年や開業で減少した医局医師の補充がスムーズに行かず、派遣病院への医師数の削減、撤収を余儀なくされた。
  2. 地方医学部出身者が大都市部での研修を希望し、そのまま大都市部での勤務をする傾向が著明となった。
  3. 3年目になり新研修医制度1期生が後期研修を迎えたが、医局入局者数が半分程度に減った。そのため派遣病院確保のために頑張っていた地方僻地病院の医師が相当数引き揚げた。
  4. 研修医たちは昔と違い診療科毎の業務の厳しさの情報を豊富に手に入れられる上に、2年間も実地で見学できるようになり、勤務条件が過酷な診療科を忌避するようになった。そのため産科や小児科はもとより、脳外科やその他の一般外科、内科さえも志望者が激減した。
  5. 研修医が自らの意志で研修先、勤務先を選ぶのを見て、医局支配の人事しか頭になかった医師の意識に変化が生じ始め、主力である中堅医師が条件の悪い地方僻地病院への赴任命令を公然と拒否し始めた。医局も戦力が落ちる中、医局員の意向を尊重せざるを得なくなり、残った医局戦力は都市部の有力病院に固まるようになった。
おおよそこんなものかと思います。もちろん大学により医局の気風や医局員の戦力数が違いますから濃淡はあるでしょうが、かなり広い範囲でそういう事が起こっていると考えます。これだけでも医療危機の十分な要因となりますが、もし新研修医制度を廃止して旧来の研修医制度に戻せばすべてが正常化するかといえばそうとは思えません。

新研修医制度の影響は大きいものですが、これは原因ではなく増悪因子あるいは加速因子であると考えます。新研修医制度によって今までくすぶっていた医療危機が表面化させるのを早くしただけだと言う事です。現在まで地方僻地の病院に医師を行き渡らせていたのは医局人事のおかげです。医局人事には光と影がありすぎるのですが、それでも医者の分配配置のための功績は認めても良いかと思います。

その医局の解体を官民上げて行なっていたのがここ10年ほどの情勢です。医局解体努力の結果、医局の人事権は傾き、新研修医制度によりさらに大きな痛手を背負った状態です。医局の医者が減った結果、医局からの派遣医師数も自動的に減ります。数が減れば必然的に派遣病院数も減ります。ところが日本のほとんどの病院は医局ルート以外の医者供給路を持っていないのです。

医局から撤収された地方病院は悲惨です。医者は医局から来るのが当たり前と信じ込んでいたので、自前で調達する方法さえ浮かびません。これまで医者なんて自然に湧いてくるものだったので、医者の待遇なんてたいして配慮していませんでした。地方僻地の公立病院では、何年か毎に入れ替わる医者よりも、事務やコメディカルの待遇に血道を上げてきたとも言えます。事務やコメディカルは医者とは違い地元の人間ですし、定年まで勤める人間です。その声だけしか聞いてなかったとも言えます。

医者が湧いてこなくなっても、湧いてこなくなった事実をどうしても認識できずに対応を摸索します。しばしば医者から失笑を買う公募条件なんかもそうです。おそらくその条件でそれまでの医局派遣医を待遇していたのでしょう。ところがそんな条件ではほとんど誰も応募してきません。医局人事がいかに重かったかがこの一事だけでもよく分かります。また残存している医者に減った分までカバーせよの命令を下します。医局人事が重い頃はそんな命令も通用したかもしれませんが、現在では逃散を加速させるだけです。

それが原因なら医局人事を復活させれば危機は回避かという事になります。医局人事復活論は一部の医者に囁かれていますが、大きな声にはなりません。もちろん今さら影の部分まで復活されるのは御免蒙りたいのが一つでしょうし、医局人事を可能にしていた医局の神聖権威が失墜してしまったのが大きいと考えます。医局の求心力は神聖権威あってのものであり、これが形骸化したのであれば復活は無理であろうの見解です。

実は医局人事復活論をエントリーしたことがあるのですが、現在医局に属している医者の意見の大多数は否定的でした。たとえ医局にある程度の医者が再び集まるようになっても地方僻地の医者不足の解消にはつながらないとの否定的な意見が多数でした。従来の医局人事があれば今より崩壊の速度は緩やかであったかもしれないが、医療危機の本質は趣が違うという事です。

そうなると医局解体による医局人事権の凋落も医療危機の本質では無いという事になります。医局人事権の凋落はいずれ起こりうるものであり、新研修医制度により加速はされたがそれだけの事であるという考えでよいようです。医者の分配配置の問題はデリケートな問題なのでこれ以上は今日は触れませんが、危機の本質は他にあるということです。

医療訴訟が問題であるという意見も多数見られます。これは直接的にも間接的にも医師に多大な影響を及ぼしています。今年のネット医師の流行語大賞に確実にノミネートされるだろうJBMにも現れています。医療訴訟が医療を滅ぼすという主張はある程度真実を突いていますし、モトケンさんのところでも長い間議論が行なわれています。

しかし医療訴訟のみが医療危機を招いているかと言われれば違和感が残ります。医療訴訟が医療を追い詰めてはいますが、新研修医制度が医局解体を促進したのと同様ぐらいの位置づけのように感じてなりません。つまり「・・・・・」により医療訴訟が頻発しさらに医療を危機に導いているという考え方です。

「・・・・・」は何なんでしょうか。あくまでもこれは私見ですが、医者と患者の関係だと考えます。もう少し広く言えば社会の中の医療の位置づけという事になります。医療の社会での必要性、医療に求めるもの、医療が果たすべき役割についての認識ギャップが問題の根底のように最近考えています。

患者が医者に求めるものは単純です。病気になったから治してくれです。医者の仕事も単純です。患者の病気を治すことです。これが根底の関係です。根底の関係ではありますが、古来医者といってもほとんどの病気を治せませんでした。だから患者が医者を受診しても「絶対治る」とは考えていませんでした。将軍家の侍医でさえ治せなかった責任は問われない鉄則がありました。医学と言う物への期待と限界を良く知っていたという事です。

しかし近代から現代にかけ医学は飛躍的に進歩しました。進歩した結果、「治る」患者数が増えてきたのです。現代でも治せない病気は数え切れないぐらいありますが、治る患者数は飛躍的に増えたのです。出産が一番分かり安いかと思います。出産は古来命懸けのものでした。もっとも古い統計データでも、明治32年には新生児死亡率が1000人当たり77.9人もいます。これに対し産科医が延々と努力を積み重ねた結果、1000人当たり1.6人まで減少しています。

1000人当たり77.9人も死亡していた時代には無事出産できただけで無条件に喜ばれました。ところが1000人当たり1.6人にまで減少すると無事出産できなければ非難されます。意識として出産は絶対安全なものであるという考えが前提になってしまったからです。絶対安全である前提なので、失敗する事は許されないとの関係になります。

こういう患者と医者の関係は産科だけではなく他の診療科でも多かれ少なかれ現れています。患者は治ると考えて医者を受診するようになったのです。当たり前そうですが、かつては治るかもしれないと期待して受診していたのが、治ると思って受診するようになった意識変化は大きいものです。

治るかもしれない時代は治れば医者に感謝し、治らなければ天命とあきらめていました。治る時代となれば治って当たり前ですから医者に対してさほど感謝の念は起こりませんし、単に治るだけではなくいかに上手に治るかまで関心が強くなります。もちろん治らなければ論外になります。

ここで患者が期待するほど医者ないし医学が病気を治せれば問題は小さくなるのですが、実際は患者が期待するほどには医学は病気を治せません。そこでのギャップが医療訴訟の温床になっていると考えます。患者側は治るはずだと信じ込んでいますから、治らないのは担当した医者が「ミス」をしたからだと確信します。広い意味で裁判官もまた患者サイドの人間ですから、治せなかったのは医者が「ミス」をしたはずだとの前提で物事を考えます。「ミス」が無くても治せないことがあるのを理解できなくなっているという事です。

もちろんそんな患者ばかりではありませんし、そうでない方のほうがはるかに多数である事も知っています。ただそんな患者が確実に増えている事だけは間違いありません。そんな患者は少数派と言っても絶対数は相当なものです。相当数というのは医者の数に較べてです。そういう患者を担当するたびに医者は相当消耗します。

どんな業界でもそういう人間をある程度相手にしなければならないのは宿命ですが、一定数を越えれば大きな問題となります。医者の意識の中に「やってられない」が芽生え増えていきますし、「それならもっと報酬をよこせ」の考えも強くなります。ただここで言っておいて良いのは「それならもっと報酬をよこせ」派はごく少数であり、「やってられない」派が圧倒的多数である事です。

医者と患者の認識ギャップが医者の「やってられない」派をドンドン増やしているのが一番の問題かと考えます。ここを軸として考えるとかなりの医療危機を説明できます。地方僻地病院からの医者の逃散現象は、患者の高くなった医療への要求を貧弱な医療体制で賄う事が不可能だと判断した結果だと考えます。産科や救急、小児科からメジャー科まで拡がる危機的な不足もまた同様です。さすがに危機を感じた行政の姑息的対策に医師の反応が極めて冷淡なのも、「やってられない」という医師の意識を全く顧慮していないからです。

もちろん私が考えた原因もどれだけ真相に近いかはわかりません。根本原因の一つでなくとも原因の一つぐらいにはなると考えます。では解決法はという事になります。医者と患者の認識ギャップを簡単に埋める方法はありません。世間でこれを埋めようとしている勢力はごく僅かで、逆にこれを煽り立てようとする勢力が圧倒的多数派です。とくに世論に多大な影響力を持つマスコミはこぞって煽る派です。

こんな環境の中で一個人の力がいかにか弱いかだけがヒシヒシとわかります。やはり行くところまで事態が進み、医療が崩壊し、医療にかかれるだけでも幸せ、治ればラッキーとまでに意識が変わらないとどうしようもないのでしょうか。それとこれだけは言っておきたいのですが、医療が崩壊し焼野原となっても再建される医療は現在の医療とは異質のものに変化しているのはまず間違いないことです。その変化はこれもほぼ間違い無く患者にとって望ましくない変化でもあるのです。

その事をどれだけの人が分かっているのか、分かっていないでしょうね〜。

気分は暗いですがそれでも

    メリークリスマス
来年も言いたいですね。