医療の滅び

8/9付毎日新聞記事より、

東京都港区の「愛育病院」で、出産直後死亡した女児に頭蓋(ずがい)骨折が見つかり、医療過誤の疑いがあることが分かった。警視庁麻布署は、分娩(ぶんべん)時の処置にミスがあった疑いがあるとみて捜査を開始。業務上過失致死容疑を視野に担当の男性医師(31)らから事情を聴く方針。

 調べでは、今月6日午後5時すぎ、女性(38)の分娩が始まった。処置が長時間にわたったため、担当医師が胎児の頭を器具ではさんで引っ張る「鉗子(かんし)分娩」を行った。午後9時半ごろ女児が生まれたが、仮死状態で、7日午前に死亡した。

 愛育病院の中林正雄病院長は妊娠中の秋篠宮紀子さまの主治医。

これだけではほとんど事実関係は分からないに等しいので、事故かミスについての断定は避けておきます。あくまでもこの記事に掲載されているだけの事実関係だけで導かれそうな推測だけを書きます。

記事に書かれている事実関係は単純で、とりあえず難産だった事はすぐに分かります。最終的に鉗子分娩を選択したところを見ると、児頭ぐらいまでは出た時点(排臨ぐらいかな)でニッチもサッチも行かなくなっただろう事は推測できます。産婦が38歳と高齢であったので、もし初産であれば軟産道強靱があったか、児による肩甲難産かなとぐらいまでは想像の範囲です。

原因はともかく分娩室で立ち往生状態であったのは間違いありません。私は小児科医ですのでこういう場合にどういう選択枝があるかのすべてを知っているわけではありませんが、知っている範囲ではそれでもなんとか経腟で引っ張り出すか、緊急帝王切開ですくい上げて引っ張り出すかのどちらかが選択枝ではないかと思います。

どちらを選ぶかはその時の分娩状況での産科医の決断です。この記事では経腟で引っ張り出す方が良いと判断し、手技として鉗子分娩を選択しています。とにもかくにもようやく児の娩出には成功したようですが、仮死状態であり残念ながら翌朝には死亡。その後の検査により児に頭蓋骨骨折が見つかり、医療ミスの可能性がありと警察が判断し業務上過失致死の疑いで捜査が始まったという事です。

医者として知りたいのは分娩が遷延した原因、緊急帝王切開に移行するタイミングと、鉗子分娩を選択した判断はどうであったか、児の頭蓋骨骨折が死因とどれほどの因果関係があったかの情報を知りたいのですが、この記事ではこれ以上はどうしようもありません。そこであくまでも仮定ですが、担当した産科医の処置が医学的に妥当な処置であったとの前提で考えてみます。もちろん続報で詳細が分かれば見解は変わるかもしれませんが、あくまでも現時点の情報量での仮定の前提です。

まず一般の方々は記事を読まれて「また医者がミスをした。あんな医者は社会から抹殺すべし」との感想を素直に抱かれるかと思います。素直に読めばそうとしか受け取れないからでしょうからです。むしろ関心はこの病院の院長が秋篠宮紀子さまの主治医である事から、8月にも行なわれるご出産への影響の方に関心が寄せられるような気がします。

医者のほうは恐怖に震え上がります。難産というのはある一定の頻度で必ず発生します。産科医は経験と技術のすべてを尽くしてそれに立ち向かいます。大多数は産科医の努力により無事出産のハッピー・エンドを迎えます。しかし大多数であってすべてではありません。どんなに手を尽くしても不幸な結果に到るケースはゼロにはできないのです。

不幸な結末を後から検証すれば、これは医学ですから、あの時点でAと言う選択ではなく、Bと言う選択をすれば「ひょっとして」結果は違ったのではないかという事は必ず出てきます。ただしBの選択をしたと言って「絶対」に成功したかとは憶測に過ぎません。治療法を選択した時点ではAもBもどちらも選択の余地があり、主治医の決断でAの方がベターと選択したわけです。ところがその後の経過が結果として思わしくない方に進行し、Aの選択はベターではなく、Bの選択のほうが良かったかも知れないと言う事なんて医学ではいくらでもあります。

Aがうまく行かなかったからBに変更してやり直せるケースも病気によってはあります。しかし逆にどちらかを選べばやり直しはきかないケースも多数存在します。今回もそんなケースではないかと考えます。医者としてはそういう受け取り方をします。人間という不確実性の高い対象を相手の医療ですから、あらゆる時点で絶対に間違わない判断を下せるかといえば、それを「できる」と断言できるのはごく一部の「神」を自称する医師のみかと思います。

となれば、この報道から思い浮かぶ事は誠心誠意、もてる技術と経験を振り絞って診療に当たっても、結果が不幸なものとなれば業務上過失致死に問われるという事です。生死に関わる状態であるほど、医師は瞬時に重大な決断を迫られます。じっくり考える事自体が許される状況でなく、そういう時間の浪費は患者の状態の悪化に直結します。またそういう状況では決断の助けになる情報はきわめて限定的です。

それでも結果としての不幸な結末は罪に問われるという事です。今回は事件が発生した翌日には警察が動いています。これの意味する事は医者にはどんな状況であっても絶対に判断のミスが、結果的であっても許されない事を意味します。これを読んで震え上がらない医師がどれほどいるでしょうか。私も震えています。

このような恐怖が何をもたらすかです。医療なんてするから罪に問われるという短絡的な結論です。軽めの反応として「やばい」症例には絶対手を出さない防衛医療、萎縮医療に雪崩を打って向かいます。中ぐらいの反応として医者なんてリスクが高い商売はやめるという事になります。重い反応として、そんな逮捕と隣り合わせの危険な商売である医者になんてならないという事につながります。

医療は滅びますね。